ひかちゃんとふゆくん(EP7承前)



 ――なんだ、アイツ。


 それが、彼に対しての第一印象だった。

 基本的に僕らの通っている高校は、同中からのメンツが多い。


 そのなかで、県外から来た一人暮らし。愛想はない。誰とも積極的にコミュニケーションを取りたがらない。そつなく自分のペースで授業や課題をこなしてしまう。ついたあだ名は【気まぐれ猫】


 言い得て妙だと思う。

 上川冬希は、そんなヤツだった。


 ――下河さんのことで、上川君にお願いしたいことがあるんだけれど?


 教室の喧噪のなか、僕は思わず耳を疑った。あの日、雪姫が発作で悶え苦しんだ姿が、今も瞼の裏側から、焼きついて離れない。どうして、あの時すぐに手を差し伸べられなかったのだろう、そんな後悔ばかり渦巻く。


 上川、君じゃムリだ。

 そう心の中で忠告してあげる。

 勝手な優越感が、胸中を満たしていく。


(だって、君は雪姫のことを知らなすぎる)


 僕らでダメだったんだから、君ができるはずないじゃないか。

 上川が、先生からプリントを受け取る姿を見て、思わず目を逸らした。


 窓際、光が反射して。

 僕の顔を映す。

 なんて、イヤな顔をして笑っているのだろう。


 僕は、自分の顔に嫌悪した。





■■■





 夜道を歩く。

 何回、下河の家を通り過ぎただろう。


 ストーカーのようだって、自分でも思う。


 でも、僕だけじゃなくて。

 彩音も一緒だった。


「……今日はもう帰るね」

「うん」


 コクンと僕は頷く。

 重苦しい空気を二人、纏いながら。


 まるでお通夜みたいだって、思う。

 どうして良いのか、まるで分からない。


 桜の花びらが、街頭の灯に照らされる。

 桜が今年はまだ残っていて、その花弁がヒラヒラ舞う。そういえば、と思う。よくクソガキ団のみんなと、深夜に家を抜け出しては、夜桜見物に出かけては父さん達に怒られていたっけ。


 当たり前のように、僕らの関係は続く。

 ずっとずっとそう思っていたのに。


 ――病原菌。

 誰かが言った。

 それを、僕らは止めなかった。


 ムキになって、頬をふくらます。

 雪ん子は、みんなを軽くあしらう。


 無理にからかったら、雪ん子の拳骨が飛ぶ。

 そんな僕らの関係はまだまだ続く。当たり前のように信じていた僕達は、本当にバカだったんだ。


 ――帰ってくれないか、海崎先輩。

 インターホン越し、空君の声がいまだに、耳の奥で残響して消えてくれない。


 ――ようやく、上川先輩のおかげで、姉ちゃんが笑ってくれたんだ。姉ちゃんのことを誰にも邪魔してほしくないの。だからお願い、帰っ……て。


 空君の語尾は、感情で揺れた。

 何を間違ったのだろう。

 どうすれば良かったんだろう?


 一瞥すれば、下河家の玄関から光が漏れて。

 雪姫の顔が見え――慌てて、僕は隠れる。


「またね」


 上川の何気ない言葉が聞こえて。その顔は見えない。ただ玄関に立つ、雪姫の表情が目に焼きついた。


 心の底から、嬉しそうに微笑んでいたのが見えて――。

 気付いたら僕は、無我夢中で走っていたんだ。





■■■






 どうしたら良かったんだろう。

 どうすべきだったのだろう。


 ゲームなら、やり直しがきくのに。


 残念ながら現実は、コンティニューがきかない。

 そんな当たり前のことが、僕は今の今まで分からなかった。


 息が切れる。

 それでも走って。


 胸が苦しくて。


 だけれど、止まって深呼吸して、ちょっと息を整えたら、僕の呼吸は元通りだ。でも雪姫はそうじゃない。僕には何もできない。声をかけることすら許されない。


 一番、雪姫のことを知っているはずなのに。手すら差し伸べられない。

 こんなに君のことが好きなのに――。


 雪姫の笑顔がちらついて。

 そういえば、って思う。


 あんな風に笑った、下河雪姫を僕は知らない。

 頭痛がする。


 走り慣れていないくせに全力疾走するから、脇腹まで痛い。

 と足音がした。


 上川冬希だった。

 スマートフォンを見やりながら、柔らかく笑む彼の表情に目を奪われた。


 学校では絶対に見せない、その表情。

 画面の先には、きっと雪姫がいることが想像できてしまって。

 本当なら、胸が焼きつくくらい、妬ましいと思うはずなのに――。


「……上川?」


 なぜか僕は声をかけていた。


「えっと……確か海崎、だっけ?」


 想像以上に柔らかくて、優しい声色で。教室で人を寄せつけない【気まぐれ猫】とは180度違うその空気感。僕は思わず面食らってしまう。


「クラスメートの名前ぐらい憶えていてよ」


 なんとか笑い飛ばすような素振りを見せて。どうにか自分を偽って。

 心の不協和音を聞き取られないように、必死に演技を続けながら。

 今の僕は、下河雪姫を笑わせることができた、このクラスメート。

 彼――上川冬希のことが、気になって気になって仕方がなかった。





■■■





 ――どんな言葉で下河を追い詰めたのか、それは知らない。でも、少なくとも海崎がそう思うのなら、お前が下河を守れば良かったじゃないか。



 上川の言葉が響いて、僕の胸に突き刺さる。


 ――でも、もう遅いよ。悪いな。その役目は俺がやるし、誰にも譲らない.

 上川の目はあまりに、まっすぐで。


 でも、そう言ったかと思えば。

 まるで、全部の感情を無理矢理飲み干したかのような。そんな表情を見せる。

 苦くて、ニガい。

 ただ、言葉にはしない。

 唇を噛んで、その感情にまるで耐えるかのようで。


(上川……?)

 と、上川は、これまでにないくらい笑顔を、僕に向けて浮かべたんだ。



 ――何かあれば、相談したい。その時は協力してくれる?

 どうして、そんなことを当たり前のように、僕に言えるの?

 コクリコクリと頷く僕に向けて、さも当然のように上川は手を差し出した。


(どうして?)


 感情がグルグル回る。

 どうして?

 何度も反芻する。


 そして、そうかとようやく気付く。


 上川は、雪姫のためにどんな手も惜しむつもりはないんだ。本気でコイツは――心の底から、雪姫を笑わせたいって思っている。


 僕は、の手を握り返しながら、ただただ頷くことしかできなかった。





 後になって思い返してみれば。

 多分、この瞬間だったんだと思う。

 自分のなかで、失恋だと認められたのは。




 上川と別れて。

 どう歩いたのかは、まるで憶えていない。


 気付いたら、公園のベンチに座って。

 桜の木を見上げていた。


 それなのに、不思議な話で。

 思うように、花弁が見えない。


 桃色が淡く、滲む。


 前が見えないくらい、涙が溢れた。その感情をどうやって止めたらいいのか、僕には皆目見当がつかなくて。




「みー?」

 彩音の家の――黄島家の猫、モモが、なぜか傍で鳴いてくれた。そんな気がしたんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る