真冬君と志乃さん(EP118読了推奨)
――うん、そうやって笑ったら良いと思うの。
――どんな顔して笑っているかなんて、自分ではよく分からないです。
「あ、あの……冬君……!」
昼休憩ももう終わるという時間に。雪姫が、意を決したかのように、呟いた。
「雪姫?」
首を傾げる。
「あ、あの……一緒に、と、トイレに行ってもらって良いか、な?」
「へ?」
間の抜けた声が出る。雪姫が真央を真っ赤にして、俯く。いや、トイレって、カップルで行くもの、え? え?
「……ちょっと、上にゃん?! 学校でそういうプレイは――」
「「誤解だよ」」
黄島さんの抗議に、俺と雪姫が慌てて声をあげる。でも、雪姫は耳まで真っ赤で。
「……だって、校舎の中、一人でトイレに行ける勇気はなくて……」
「あ、そういうことね」
黄島さんが、ほっと胸を撫で下ろす。俺も、そういうことかと頷く。逆を言うと、ずっとガマンさせていたのかと思うとむしろ申し訳ない。
「途中まで、冬君、一緒に行ってくる?」
「え――」
思わず、躊躇してしまった。図書室の階は、なぜか女子トイレしか無いのだ。そして、他の階のトイレが混むので、時間帯によっては混雑気味になる。
つまり、女子の無法地帯に、俺一人で待つことになるのは、流石にキツい――と、俺はチラッと光を見た。まるでその話題は蚊帳の外と言いた気に、本に没頭している。大國にいたっては、スマホのゲームに没頭中である。
(ちょっと、薄情じゃない?!)
本心は雪姫のためなら、付き添いたいが、あのトイレラッシュタイム。彼女らのナワバリの中で待つのは、正直、気持ちが前に進まない。
と、クスリと黄島さんが微笑んだ。
「……ゆっきが良ければだけどね。私と一緒にいく? それで無理そうなら、違う方法を考えようか。どうかな?」
「いいんじゃない? 私たちも一緒に行くからさ。ね、雪姫?」
「そうですね。お供しましょう。これは連れションってヤツですね!」
「音無ちゃん、言い方!」
賑やかで、かしましくて。でも、そんな彼女達のテンションに雪姫の緊張が解されたのは事実だ。
「……冬君、待っていてくれる?」
「ん。でも、何かあったらすぐ呼んで。すぐに駆けつけるから」
「任せて、上にゃん。女子トイレのなかから、呼ぶよ!」
黄島さんの物言いが酷すぎた。
「それ俺、犯罪者だよね?」
「上にゃん、ゆっきとお風呂入ったんでしょ? 余裕じゃん」
「「水着、着てたから!」」
「どうだか?」
ケラケラ笑う黄島さんが起爆剤となって、司書室が笑いに包まれた。
雪姫と俺の視線が混じって。二人の指先が自然と触れて――自然と手が握り合う。ほんのちょっとの時間なのに、名残惜しさを感じてしまう俺達は、やっぱり本当に大概だった。
■■■
「冬希、ごめん。弥生先生にお願いされていたの、忘れてた」
あまりに唐突な光の言葉に、目を丸くしてしまう。
「へ?」
「ほら、圭吾も行くよ」
「俺、頼まれてねぇし」
「バカ、ここは気を遣うとこでしょ」
「あぁ、そういうこと――でも、二人っきりにしたら、歯止めが利かなくなるんじゃねーの? 図書室で昼下がりの情事とかシャレにならないだろ。俺はゆーちゃんの
「操って、古くない?」
「うるせーよ」
「と言うか、下河に全力で、ぶん殴られる未来しか見えないけどね」
「をいっ! ゆーちゃんを暴力女と一緒にするな」
「それは、もしかして彩音のことを言っているの?」
あのね、そこで火花を散らさないでくれる? 小声で言っているつもりかもしれないけれど、全部、聞こえているから。
「ま、そういうわけで。僕ら、先に戻ってるから」
「まて、光! 俺には、上川というヤリ〇ンから、ゆーちゃんを守る使命が――」
俺の耳が自主規制を施す。
「はいはい。圭吾、行くよ、ごめんね、冬希」
にっこり笑って、光は手をひらひら振る。
「あ、そうそう」
くるりと振り返って、光が俺に微笑んだ。
「図書室の本は汚さないようにね?」
「何の話?!」
俺の抗議もなんのその。光は、大國の首襟を引っ張って、無理矢理、司書室を出て行ってしまったのだった。
少し、ぼーっとして。
遠くから、生徒の賑やかな――歓声、笑い声。はしゃいで、何かを叫ぶ、そんな声。追随して、渦を巻く笑い。そんな音が、静かな司書室にも、残響のように届く。
不思議な感覚、と思ってしまう。
どこか、遠い世界と思っていたけれど。つい、先ほどまで俺たちも、おなじように、はしゃいでいたのかと思うと、妙な照れ臭さを感じてしまう。絶対、交わらない世界。そう思っていたのに、些細なキッカケで、足を踏み入れて。
でも、って思う。
この短い時間で、雪姫と離れた。ただ、それだけなのに、ぽっかり胸に穴が空いた気がしてしまうのは、どうしてか。
――私、冬君に依存しているって自覚しているよ。
――ワガママだから。誰にも冬君を渡してあげないんだ。
「……依存しているの、俺の方なんだよなぁ……」
雪姫の声が、耳をすまさなくても聞こえてきて。瞼を閉じれば、やっぱり笑顔も泣き顔も真剣な表情も――全部、ちらつく。
「重症でしょ、俺」
そう苦笑いを漏らすのと、同時だった。
コンコンコン。
司書室のドアをノックする音が響く。おそるおそる、覗いた顔は――。
「志乃さん?」
「真冬君……?」
保健室の先生。
そして、小役時代からの
「真冬君、またコーヒーを淹れる腕をあげた?」
志乃さんは、俺が即席で淹れたコーヒーを味わいながら、満足そうに吐息を漏らした。
弥生先生ほどではないが、Cafe Hasegawaの常連客。
そして弥生先生の義姉。夫は、写真家、朝倉陽一郎。世界の
でも、陽一郎さんは本来、戦場カメラマン。危険な紛争地に身を投じていた。志乃さんは、そんな陽一郎さんを追いかけたいと、看護師・通訳・経理・等々、マルチな資格を活かして、陽一郎さんを文字通り支える、文字通り、専属マネージャーだった。
「あ、雪姫は今、席を外していて――」
「ふふっ。なるほどね、真冬君のそういうところ、本当に変わらないよね」
なぜか、志乃さんがニコニコしていた。
「はい?」
「私的にはポイントが高かったの。察するにおトイレでしょ? そういう配慮できちゃうの、真冬君は変わらないよね」
ますます破顔して。毎回、志乃さんは、そうやって好意的に受け止めてくれるけれど、女の子がトイレに行ったこと。それを声にして言う必要性が、そもそも無いと思う。でも、今はそんなことよりも――。
「あの、志乃さん。俺、もうCOLORSの真冬じゃないから……」
そう絞り出すように言う俺に、志乃さんは目を大きく見開いて、それから慌てたように、手をパタパタと振る。
「ご、ごめん! つい! 私、自然と『真冬君』って言っていたよね?!」
「かなり――」
「本当にごめんっ」
手を合わせて謝る。俺は思わず、苦笑を漏らした。
「大丈夫です。ただ、俺は今、上川冬希としてみんなに接してもらっているから、朝倉先生にも、そう接してもらえたら嬉しいかな」
「ん、うんっ。それは、もう! もちろんだよ! でも……真冬君とは、子役時代から知ってるでしょ? つい口癖になっていて。でも、本当にゴメンねっ!」
うん、今も言っているからね。
「でも、んー。なんて呼ぼうかなぁ。『冬君』とかどう?」
「それは無しの方向で」
黄島さんが、同じように呼ぼうとした時の、雪姫の徹底抗戦ぶり。それを今さらながらに思い出した。遠慮して、気持ちを飲み込もうとしていた時ですら、ああだったんだ。今なら――ちょっと、自分の生存が想像できない。
「
「そもそも、保健室の先生なんだから、生徒に近しい物言いは避けるべきなんじゃ?」
「真冬君が冷たいっ! だいたい、薄情すぎるよ。私の顔を見たら、すぐに思い出すと思ったのに。全然、保健室に来てくれないし」
「正直、まったく関心がなかったです」
「ひどくない?!」
オーバーリアクションで落ち込む振りをする志乃さんに、やっぱり苦笑がこみ上げてくる。懐かしい、って思う。父さんや母さんが出張でいない時は、志乃さんや陽一郎さんが押しかけて、俺を見守ってくれていたのだっけ。
「でも、まふ――川君は、本当に変わったよねぇ」
「誰だよ、まふ川君って」
「ん。こ、これでも努力しているんなから、そこは認めてよ!」
「人の名字、改変されておおらかでいられるとでも?」
「ん。上川って、言いにくくない?」
「上川家三代をバカにするスタンス?」
「じゃあ、ふゆふゆで」
「じゃあ、じゃないでしょっ!? 普通に上川って、呼んでよ!」
俺の心からの叫びに、志乃さんは楽し気に笑う。
「……これは、雪姫ちゃんのおかげだね」
「へ?」
「ま――ふゆふゆが、こんな顔を見せるようになるなんて、ね」
誤魔化し方が無理矢理すぎる。
「どんな顔して笑っているかなんて、自分ではよく分からな――」
「あ、そうそう。真冬君は良く、そう言ってたもんね」
――うん、そうやって笑ったら良いと思うの。
――どんな顔して笑っているかなんて、自分ではよく分からないです。
「ふゆふゆ、良い顔して笑ってる。雪姫ちゃんのおかげだね」
クスリと笑んで、志乃さんが俺に手をのばす。
髪に触れて。
そうだった、って思う。
父さんも母さんも不在の家。
志乃さんと二人っきりで。
泣きたくなるのを、ずっとガマンしていた時に。
志乃さんは、無言で俺の髪を撫でてくれたんだった。
チリン、と。
あの時鳴った、風鈴の音が聞こえたような気がして。
リン、と。司書室のドアにかけていた鈴が鳴った。
「冬君、お待た――」
雪姫の声が、俺の耳に飛び込んできたのだった。
■■■
「これ、はどういうこと……?」
雪姫が目を細める。
見れば、一緒に帰ったきたはずの、黄島さんと、瑛真先輩、音無先輩は司書室に入ってこない。
「いや、雪姫、あのね――」
「雪姫ちゃん、これは、違うの。誤解ないように、言っておくけれど……」
間髪入れず、志乃さんが、助け船を出してくれた。
「これは、ふゆふゆの気の迷いだから」
「……ふ、ふゆふゆ?」
ちょっと待て! 今だけは、お願いだから普通に『真冬』って、呼んで!?
雪姫から発する冷気が。空気が。どんどんどんどん、下がってる! 氷点下、絶対零度!
志乃さんを見れば、ペロッと舌を出す。
絶対、自分が雪姫の立場で。俺の立ち位置が陽一郎さんだったら、噴火どころでは済まないクセに。志乃さん、今、楽しんでいるでしょ!?
「……あぁ、楽しい」
口に出しやがった。本当に楽しいって思っている!
と、雪姫がにっこりと笑うのが見えた。
見惚れるくらいに破顔して。
満面の笑顔で。
「冬君、しっかりお話ししようね?」
目が笑っていない笑顔って、こんなに怖いのだと実感した17歳の春。授業開始まで、あと5分。この短時間で、雪姫の感情を鎮火させる自信は、俺にはなかった。
【とある女の子たちの会話】
「こっわ! こわい! 雪姫が怖い!」
「瑛真先輩! あれが雪ん子からテラ進化した、雪の女王アルティメットエディションだからね! 絶対、ゆっきを怒らせちゃダメ!」
「でも逆に考えると、上川君を色仕掛けしたら、あんな可愛い下河さんが見られる、と」
「「かわいい……?」」
「ふふふ。恋する乙女のヤキモチ。日本酒、三杯はいけますからね」
「音無ちゃん、女子高生だよね?」
「イヤですね、瑛真ちゃん。喩えですよ。たとえ、比喩表現。まぁ、そういう意味なら、海崎君にも色仕掛けを――」
「音無先輩、絶対にダメですからね!!」
「じゃ、私が――」
「瑛真先輩も、絶対にダメっ!!」
((もぅ、かわいいなぁ……))
________________
【作者蛇足】
今回のエピソードは
EP118でいただいた、makanoriさんのコメント。
「隠さない理由はなんだろ?真冬のネーム絡みで何かしようと?」
から触発されて書きました。
読者様のコメントから、本編の更新・短編集の更新にいたることがあります。
ぜひ、お気軽にコメントをお寄せくださいね(催促v
特に、海崎君への色仕掛けコメント、お待ちしてます!
「絶対にダメだからっ!!」
(((もぅ、可愛いなぁ……)))
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます