くまのムッフー


『それではお待たせしました、くまのムッフーです!』


 視界のお姉さんの声に反応するかのように、歓声が上がった。

 バスケットボールをドリブルさせながら、俺はステージを縦横無尽に走り回る。

 午前の部で、勝手が掴めた。

 用意されたゴールに、ダンクシュートを決めてみせ拍手喝采がわく。



 くまのムッフーを知っているだろうか。


 いわゆるローカル局のイメージキャラクターで、クマがモチーフ。


 当初は、放送局のイメージアップとしてPRに活用されていたが、今流行のVTuberに起用し、意外と人気が出てしまった。そこから、着ぐるみ制作。いまや市内各所のイベントでムッフーを見る日はそれなりに多い。


 ムッフーは、一見はディディーベア。もふもふの体毛、くりりとした両目が愛らしい。だが、特徴はスポーツ万能で好奇心旺盛。着ぐるみキャラでありながら、アクロバットなプレイをするのだ。それもこれも、中のスーツアクターのなせる技だった。


 でも、 それだけではキャラが立たない――と、製作実行委員会の主要メンバーの提案のもと、キャラの肉付けがされていく。人間の年齢で、7歳の男の子。ヤンチャの盛り。そして、ちょっとエッチ……誰だよ、この設定を考えたの。


 女の子を見れば、抱きついてみたり、スカートの裾を掴んだり。それもスーツアクターが、女性だったから許される所業である。

 俺は、周囲の観客に気付かれないように、小さくため息をついた。





■■■



 時は数日、さかのぼる。


「空、この日曜日、暇よね?」

「は?」


 母ちゃんの明らかに、企んでいますと言わんばかりの眼差しに、イヤな予感しかなかった。


「ここに安芸あきグリフォンウイングの試合観戦チケットが、二枚あります」


 んぐっ。明らかに、チケットに釣られそうな俺がいた。

 安芸グリフォンウイング。安芸市に拠点を置く、プロバスケットチームだ。俺も翼も、このチームの大ファンなんだと、何気なく食卓で漏らしたらこれだ。


「……何をさせようっていうのさ?」

「くまのムッフー知ってるでしょ?」


 知らなかった安芸市民じゃないってぐらいの知名度である。イヤな予感を増幅させながら、俺は小さく頷いた。


「実は、ムッフーのスーツアクターの子。この前の撮影で、転倒しちゃって。骨折しちゃったの。代役の調整はできたんだけれど、どうしてもこの日曜日だけ、調整ができなくて、ね――」

「イヤだ、よ」


 ムッフーは、スケベクマである。そして、スーツアクターが女性という暗黙の了解があるからこそ、公然と許されている面があった。まして、アクロバットな演技なんか、俺ができるワケが――。


「そのショーがね、ステージでのバスケットボールなのよねぇ。スポンサーが、グリフォンウイングだから、チケットを手に入れることができたんだけどさ。何なら、選手のサインも交渉してみいようか?」

「んぐっ」


 いつか、試合を観にいきたいよね、と。翼とつい先日も話していたことを思い出してしまう。


「母ちゃんが、そんなことできるワケないじゃんか――」

「あら? 私がって言うよりは、広告代理店を通してウチの夏目コンピューターへの依頼だもん。多少、無理は利くと思うけれど?」

「んぐっ。ん……」


 そんなことを言っても、無理なものは無理だ。

 俺にそんあんことができるワケが――。


「グリフォンウイングと公式契約しているオタックスのバスケットシューズも、そういえば、オーダーメイドで作ってくれるんだっけ。空、つーちゃんと一緒に、どう?」

「そんなことを言われても――」





■■■





 観客席を見下ろせば、歓声が止まることなく、湧き上がった。ここに立っていることが、母ちゃんへの回答の全てなワケなんだけれど。自分の意志薄弱さが本当に嘆かわしい。


 グリフォンウイングのチケット、選手のサイン、バスケットシューズ。どれも魅力的すぎた。幸い、ステージは、ミニバスケチームに所属する小学生が相手だったこともあり、なんなく翻弄することができたのは僥倖。まぁ、クマがドリブルしてくるのって、普通はビビるよね。


 デモンストレーションは終了。ここからは、ちびっ子達との握手会となる。


『はい、それじゃ並んで、並んで。ムッフーとの握手の時間だよ――って、するのは握手! お姉さんのスカートをめくらないの!』


 司会のお姉さんの言葉に、どっと笑い声が湧く。ココまでがシナリオ通り。ここから、相手を見極めながら、スキンシップを図っていく。でも、これもそもそも無理ゲーだって思ってしまう。着ぐるみから見える視野は、実はかなり狭いのだ。ムッフーの口。そこに少しだけ空いている穴から、覗くしかない。着ぐるみでハードに動くから、今も汗が吹き出して目にしみる。ますます、視界不良になりつつあった。


「やっぱりムッフー可愛いね、みーちゃん」

「うん。空も来たら良かったのにね」


 聞き慣れた声に、思わず固まってしまう。なんで、いるの翼?!


 汗だくで真っ赤になりながら、血の気が引いて真っ青になるという、器用な表情をおれはしていたと思う。


 と、目の前の子が、ムッフーを見て泣き出した。


 これも午前の部で、学習済み。ステージでショーをしているうちはまだ良い。でも握手会で間近に見たら、その大きさと着ぐるみの無機質さに恐怖感を抱いてしまうのだ。


 そういう子には、無理に接しない。


 他の子と関わりながら、落ち着くのをまって、せめて、その手にちょんと触れるか、頭を撫でてあげる。距離感を維持して、無理に踏み込まない。そんなスタンスをできるだけ見せるようにする。


「……空君?」


 ボソッと、翼がそんなことを呟く。いや、何で今の行動だけで、そこに結びつくの? 


 事実、ムッフーはで、がムッフーなのは間違いないけど、さ。これはとっとと、バスケ部集団から離れて――。


「ムッフー、小さい子ばっかり相手にするよね。仕方ないけどさー。私もムッフーと仲良くしたい!」


 湊さん?! お前は中学生3年生なんだからさ、幼児と真っ向勝負しなくて良いから。そこは譲ってあげて――。


『大丈夫ですよー。ムッフー、大きなお友達も大好きですから。え、なに、ムッフー? お姉さんとも仲良くしたい? だよねー。それじゃあ、レッツ、ハグ!』


 こら、司会! 何を言ってくれてんの?!

 そんな俺の心の中の大絶叫を無視して、女子バスケ部が集まってくる。


(えぇぃっ、どうにでもなれ!)


 もう破れかぶれである。妥協策として、ターゲットにしたのは湊。こいつとは保育園からの付き合い。そして、胸はまな板。変に意識しないで済む。俺は一想いに、湊をハグした。


「おー! やっぱりムッフー、最高! モフモフだよ、つーちゃん!」


 良いから、余計なことは言わなくて良いから。後は握手やハイタッチでやり過ごすから。湊は余計なことを言わないで!


 呆けた表情で、翼がムッフーを見やる。それから「抱っこ」と言わんばかりに、両手を広げるのだ。

 ここは観念して――


(……って、できるか?!)


 無理、ムリ。これこそ、絶対に無理ゲーだった。

 当初の予定通り、俺はハイタッチでごまかすことにした。

 

 ――ぱん! パンパン!


 そう、三回連続でこぎ見よくハイタッチをして、俺は固まる。


(しまった――)


 オンラインゲームや、ストリートバスケットボールで、翼とチームを組んだ時にするハイタッチを無意識にアクションしてしまっていた。


 翼が目を丸くするのが、着ぐるみ越し見えたけれど。振り払うように、ちびっ子達に紛れていく。大丈夫、きっとバレてない。バレていないから。木を隠すのなら森の中。俺はムッフーの役どころを完遂させるため、会場内を走り回ったのだった。






■■■






「……疲れた……」


 疲労感が半端ない。

 駅前の公園、そのベンチで寝そべる。とりあえずの報酬と渡されたペアチケット。しかし、問題はこれをどう、翼に渡すかなんだよなぁ、と。考えるだけで、ため息がでる。普通に渡せば、出所でどころを聞かれる。そして、俺はごまかすのが苦手。翼は、色々と察しが良い。

 ムッフーの中の人が俺なんて口が裂けても、言えるわけがなくて――。


「ムッフーのお仕事、お疲れ様。空君」

「へ?」


 いきなり声をかけられて、俺は硬直して――飛び上がった。


「つ、つ、つ、翼?!」

「もぅ。そんなにビックリしなくて良いじゃない」


 むすっと頬を膨らませながら、そう言う。


「え、あ、その、それは――」


 おそるおそる、翼を見る。


「バレてた?」

「それは、もう。空君、分かりやすいから」

「へ? いつから?」


「一番最初に、ステージに入場したあたりかな。あれ、空君? って思っていたけれど、ミニバスの子のゲームをした時の動きで確信したかな」

「最初からじゃん!」


 バレバレだっったらしい。


「こっちは、どれだけ――」


 翼が何かを呟く。聞き取れなくて、思わず顔を上げた。


「へ?」

「なんでもないっ」


 と、ずいっと翼が、顔を近づけてきた。


「な、なに?」

「空君のエッチ。みーちゃんには、どさくさに紛れてハグするんだね」


「いや、だって、あの状況、仕方がないって言うか、さ……」

「みーちゃんには、彩翔あやと君という彼氏がいるけど?」

「だって、どうしろって」

「……でいいじゃん……バカ……」


 やっぱり小声で呟くので、聞き取ることができなかった。でも、追求される俺には、その言葉を聞き返す余裕はなくて――チケットと、景品のクマのムッフー・ぬいぐるみタイプのキーホルダー(非売品)2セットを翼に押しつける。


「こ、これ、あげるから、本当に勘弁して――」


 もう完全に勢いだ。

 本当は翼と試合を見に行きたかったんだけど……でも、こうなったらどうしようも無い。


 と、チケットとキーホルダーを見て、翼は目を丸くする。それから、唇を綻ばした。


「……もぅ、仕方ないなぁ」


 クスリと笑んで。


「空君が、二人っきりで試合を観に行ってくれるのなら、許してあげる」

「え?」


 目をぱちくりさせる。いや、それは俺が勿論したかったことで――。


「それと、空君もそのキーホルダーつけて、ね。他の誰かにあげるんじゃなくて」

「え、うん。それで良いの?」

「それが良いの」


 翼はにっこり笑って、そう言う。翼がそれで良いのなら、そう納得することにして――クシュン、とクシャミが出た。


「……また、ちゃんと汗拭いてないでしょ?」

「いや、拭いたよ?」


 そう言いながら、またクシャミが出る。


「もぅ、空君は本当に」

「いや、もう乾いたって――」


 そう言っているのに、翼は自分のカバンからタオルを取り出す。


「未使用だから、大丈夫だよ?」

「そ、そういうことを言ってるんじゃなくて――」


 翼は聞く耳なしで、俺の神をタオルでゴシゴシと拭いてくる。柔軟剤とは違う、甘い香に目眩を覚える。


「ほら、こんなに濡れてるじゃん」

「だ、大丈夫――」

「風邪を引いたら、心配するのは私なんだよ、おバカ」

「ん……」


 そう言われたら、抵抗の仕様もない。俺は諦めて、翼に身を任せることにした。






 二人のカバン、それぞれにつけられた、キーホルダーを見やりながら。

 ちょっと、気恥ずかしさで、頬が熱い。


 でも、本当はそうしたかったから。

 まさかその願望が叶ってしまって、思わず頬が緩んでしまう。


「――だね――」


 翼が呟いた。


「え?」

「な、なんでもない。なんでもないの」


 夕陽で、翼の頬が朱色に染まる。

 俺の頬の熱さも、きっと隠してくれる。少しだけ、安堵しながら。無造作にベンチの上に置いた、二人のカバン。それぞれのキーホルダーが重なって――まるで、キスしているみたいだった。







________________


【つーちゃんの呟き集】



「こっちは、どれだけ空君のことを見ていると思っているの? むしろ、どうして分からないと思ったのかな?」


「だったら私でいいじゃん……空君のバカ……どうして、みーちゃんなのよ」


「空君とペアルックだね。絶対、他の子に渡したらダメなんだからね」






■■■



【作者あとがき】


これを書いている段階では

カクヨムアニバーサリーチャンピオンシップ

【KAC2023】開催中です。


第二回目のテーマ「ぬいぐるみ」のボツ案でした。

ぬいぐるみは、着ぐるみと

キーホルダーのぬいぐるみのクマでした。

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