あこがれの人


「栞って、変わってるわよね」


 お母さんが、苦笑しているのを尻目に。なんと言われても、私は自分の「しんねん」をまげるつもりは、なかった。


 その手には、二千円。

 お手伝いをした。


 しまくった。


 由緒正しい、保育園児の汗と涙と鼻水の結晶。

 ようやく手に入れた「ぐんしきん」なのである。


 目的の本屋さんにつく。

 精一杯、背伸びをして見上げる。


 本屋の作りは「あにばーさるでざいん」とは言えないと思う。


 子どもにも、大人にも優しい本棚にしたら良いのだ。でも、今は変えられない現実について嘆いても仕方が無い。


 ――私ひとりでは世界を変えることはできません。しかし、水に石を投げることで、多くの波紋を作り出すことはできるのです。


 そう言ったのは、マザー・テレサって人。お母さんの次に、良いことを言う人っているもんだと感心した。


 ちなみに、お母さんの名言は


 ――ご飯よー!


 この一言は最高に嬉しい。世界が感動する、一言だ。

 そして、鏡の前で自分を見て


 ――私って、まだまだイケてるじゃん。高校生の制服も着れると思うのよね。


 そう言い切るお母さん。最高にロックだ。

 私は、そんなお母さんを見習って、最高の背伸びをする。


 梯子に掴まって、上の棚の本に手をのばした。

 目当ての本があった。


 まだ、売り切れていない。

 でも、もう少し、手が届かなくて。あと、ちょっと。指先が触れて――。


「お嬢さん、欲しい本はこれかな?」


 優しい声色が響いて、本を私に手渡してくるお兄さん。

 でも、そのお兄さんは、私が取ろうとした本の表紙を見て固まった。私は、お兄さんをみて、凍りついたかのように、目を離せない。




「真冬……様?」

 そう私が呟い瞬間、お兄さんは目を大きく見開いたのを私は見逃さなかった。





■■■





「どうしたの、冬君?」

「ん。何でもない。この子が、勘違いをしただけだから」


 そうお兄さんが言う。

 お姉さんが、私の持っている本を覗きこんだ。


「真冬ブック?」


 私は、隠すように本を抱きしめた。

 アーティスト集団【COLORS】


 歌って、踊れる。曲も作る。演奏もできる、そんな男女三人組ユニット。でも、実は四人組だった時代があることを知る人は、意外に少ない。


 幻のメンバー、真冬。

 私が、ずっと憧れている人だった。


 友達の観月ちゃんが、保育園のお兄さん先生に憧れるように。

 動画投稿サイトyour tubeで流れた、四人時代の【COLORS】の音楽が流れてきたあの日から、釘付けになったんだ。


 包み込むように歌う。抱きしめるようにハモる。そんな真冬様の歌声に、私は心臓を打ち抜かれたのだ。


 三人体制の歌は、どこか物足りなかった。

 まるで、セミの抜け殻だ。


 それから、ことあるごとに真冬様を探していた。

 ようやく見つけた、真冬ブックだったのだ。


 だから、この一冊は誰にも絶対に渡さない。

 と、お姉さんがクスリと微笑んだ。


「え?」

「お買い上げした後なら、きっと真冬様がサインをしてくれるんじゃないかな?」

「ちょ、ちょっと、雪姫?!」

「……真冬、格好良いもんね」

「――はいっ!」


 私は反射的に、お姉さんの言葉に大きく頷いてしまっていた。真冬様が視線を背ける。でも、耳まで真っ赤になっていたのが、私でも見てとれたんだ。







■■■





 サインしてもらった本を大切に抱きしめる。

 嬉しいはずなのに。

 嬉しすぎて、頬が本当なら、緩んでしかたがないのに。それなのに――。


「……栞、相手が悪いと思うよ」


 心配そうに、私を見やる。あぁ、私もそう思う。今でも、目を閉じたら、真冬様とお姉さんが、手をつなぐ姿が勝手に再生されてしまうのだ。 


 でも、やっぱり最後には唇が綻んでしまう。嬉しい。やっぱり、嬉しいんだ、私は。


「栞?」

「大丈夫だよ、お母さん」


 本を抱きしめる。お母さんが、目を丸くするのを尻目に。

 だって、もうステージから降りた人だ。それなのに、この街に住んでいると今日、知った。


 もう、すでに彼女さんがいる。でも、それが何だって言うんだ。COLORSのファンクラブの登録数を考えたら、たった一人。たいした話じゃない。


 年齢差?


 そんなの、人生を5年しか生きていない私には、よく分からない。だって、好きなんだもん。それで良いじゃないか。


 難しい計算は、よく分からないけれど。大人になるまで、あと15年も待たなくて良い。


 何より、真冬様の笑顔は、写真で見るより。映像で見るより、何より。誰よりも、優しかった。






 ――だって、好きなんだもん。それで良いじゃない。


 ビールをそうやって飲み干す。明日が仕事でも、二日酔いを恐れない。そんな私のお母さんは最高にロックだって思っている。



 だから、私もつぶやく。


 ――だって、大好きなんだもん。それで良いじゃない。


 振り返ってみれば、子どもだったんだって、しみじみ思う。

 本当の意味で初恋の頁をめくるには、私はさらに10年の時間が必要だったんだ。







________________


作者からの蛇足


・KAC20231 テーマ「本屋」のボツネタ。近況ノートでは、観月ちゃん設定でプロットを書いていましたが、いざ書いて栞ちゃんに修正。ともに拙作「ほいくしさん!!」に出演中。

・時系列としては「ほいくしさん!!」時代の冬君でした。(本編より2年後)

・ちなみに真冬ブックは、雪姫さんはすでにゲット済みでした。


(作者 拝)

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