チョコより甘く溶けるより甘く


【中学2年生  2/14】



「き、来てくれるかな?」


 いつになくソワソワする天音翼を見て、思わず苦笑が漏れる。去年の秋に転校してきて。一見クールで。優しい微笑をみんなの前でたたえる翼が、今はまるで余裕がなかった。


「つーちゃん、ちょっと落ち着きなよ」

「だって、みーちゃん……。そ、そんなの、む、む、無理っ!」


 すっかり顔が赤い。乙女だなぁと思う。


 全ては転校初日、空がつーちゃんを案内するところから始まったのだ。

 クラスの反応は、二分されていた。


 ――可愛い転校生とお近づきになりたい。

 ――でも、放課後の時間を潰すのは面倒。


 男子も女子も反応は一緒で膠着状態。でも、それは言ってみれば棚上げされているのと同じ状態なワケで。転校初日、緊張していた翼には酷な反応だったんだと思う。

 仕方ない。と、小さく息をついて私が挙手をしようとした瞬間だった。


「先生。俺、暇だからやろうか?」


 すっと手を挙げたのは空だった。

 天音翼がきっと恋に落ちた瞬間だった。


 見学と称して、体育館に来た時の二人は、すっかり打ち解けていた。

 空ってそういうヤツだ。


 相手の困っていること、緊張していることを機敏に察知する。

 でも空自身のことになると、途端に鈍感になるのはどうしてなんだろう。いや、むしろ敏感なのかなと思った。


 人間関係の温度を感じ取ってしまうんだと思う。自分がいたら、きっとつーちゃんの交流関係のジャマになる。うん、空なら思いそうなことだ。


 折角ここまで打ち解けたのに。空、勘違いも度が過ぎたら重罪だよ?


 つーちゃんが、みんなと打ち解けるのと反比例して。空はまるで波が引くように、距離を置く。自分がジャマ者だと言わんばかりに。


 ねぇ空、知ってた?

 つーちゃん、みんなに微笑みながらショック受けていたんだよ?

 

 ――下河君以外の友達なんて、いらない。


 そんな風につーちゃんに呟かせた君の罪は重いよ?

 例え、雪姫さんを最優先に考えていたにしても。


 でもさ、空。

 君が火をつけたんだからね?


 あのままだったら、何となく”良いカンジの男の子”で終わっていたのかもしれない。手をのばせば届く距離にいるのに。同じ教室で同じ空気を吸っているのに。人恋しそうに、空だってつーちゃんのことを見ていたクセに。――言葉が交わることすら、君は逃げたんだからね?


 そのくせ、つーちゃんと言葉が交わった瞬間に、あんなに嬉しそうに笑うくせに。

 その笑顔が見たい一心で。つーちゃんは今日まで諦めなかった。


 だって、灯った火は彼女が思っていた以上に、暖かかったんだから。


 その火は時に消えそうになったり、燃え盛って猛り狂ったり。手に持ったアソートチョコを溶かしてしまうぐらい、ちょっとやそっとじゃ鎮火できるはずがなくて。

 私はトントンと、つーちゃんの肩を叩いた。


「私から義理チョコを渡すから、ね。つーちゃんは自分の想いを伝えたら良いよ」


 無言で、コクンと頷く。男子たち、こんなつーちゃんを見たら悶絶するんだろうなぁ。つい応援したくなって、唇が綻んだ。





■■■





「お待たせ。で、何の用――」


 やっと体育館裏に来た空が目を丸くする。何の用って、この男は。この日本全国の男子が色めき立つのに、言うに事欠いてと思う。私は無造作に空へチョコを押し付けた。


「へ?」

「バレンタインだから、ね。義理でももらえたら嬉しいでしょ?」

「お前ねぇ。そういうのは彩翔にだけやれよ。他の男への義理とか必要ないだろ?」


 君に呆れられるのが、微妙に腹がたつ。そういう心遣いを、もっとつーちゃんに使えと言いたい。


「ちょっとでも、多くもらえたら嬉しいでしょ? 雪姫さんのチョコだけじゃ寂しいと同情してあげた私達に感謝しなさいよ」

「ま、ありがとうって言っておくよ」

「一言多いっ!」


 と私は空にデコピンをしてやる。そんなやり取りがガス抜きになったのか、つーちゃんはクスリと微笑を溢す。


「あ、あの。下河君。私からも……」


 空が目をパチクリさせた。つーちゃんから、もらえることを予想してなかったらしい。あのね、バカ空。私はおまけ。引き立て役。本命は、つーちゃんなんだけどね?

 と空が苦笑を漏らす。


「義理堅いなぁ」

「へ?」


 つーちゃんも、そして私も目をパチクリさせた。


「バスケ部全員に義理チョコを配るのは、大変でしょ? 俺はもうバスケ部じゃないんだから、放っておいて良かったのに」

「いや、ちが、そういうことじゃ、私ただ下河君と――」

「ありがとう、天音さん。受け取らせてもらうね」


 空はニッコリ笑う。つーちゃんは、その笑顔に吸い込まれるように見惚れて、次の言葉が出ない。


「ごめん、湊。ちょっと姉ちゃんが心配だから、もう行くね」


 そう言うやいなや、空は踵を返す。きっと、つーちゃんがのばした手にも気付いていない。

 空が角を曲がって、その姿が消えても。指先がのびて――。力なく、その腕が落ちた。


「つーちゃん……」

「みーちゃん、私決めた。絶対、下河君と友達になる」

「う、うん?」

「今日はチョコを渡せたから。だから、これで満足する。でも、クラスメートのなかの一人じゃなくて、バスケ部のなかの一人じゃなくて――友達になりたい」


 つーちゃんの瞳から感情が滴り落ちる。


 近いのに。こんなに近いのに。すぐ言葉を交わせる距離にいるのに。こうやって、君はあっさりと空模様を変えていってしまう。


 ちやほやされなくても良い。

 アイドルなんて言われなくも良い。


 ただ、当たり前のように君と話したいって、つーちゃんは思っている。


 だから、さ。

 ねぇ空?


 女の子の気持ちにここまで火をつけたんだからさ。チョコなんか溶かしてしまうくらいに。


 だから、さ。空?

 ――ただの友達で、終われるワケないからね?





【bonus trac 少し先の未来の2/14】



 天音さんから手作りのチョコを渡されて、照れ臭そうにガトーショコラを頬張る。その表情が幸せそうに崩れているのを見れば、どれだけ美味しいのか見て分かる。


「あれ? でも翼、姉ちゃんとチョコ作ったんだよね?」

「作ったというか今年は、指導をしてもらったというか」

「へ? じゃあ兄ちゃんのは?」

「じゃじゃーん


 と雪姫が得意そうにホットプレートを用意する。プレートの上には、ホイルシートで作られた容器。そのなかには溶かされたチョコ。お手製チョコレートフォンデュ。フォンデュ用フォークには苺が刺されていた。

 雪姫がチョコをコーティングしていく。シンプルだけど、意外性に頬が緩んだ。


「え、っと。ゆ、雪姫? 自分で食べられるからね」


 俺が言うも、雪姫はニコニコ笑顔は絶やさず、フォンデュフォークを離す素振りは無い。

 やれやれ、と思う。雪姫は時々こうやってドキドキさせて――。


 “パクッ”

(え――?)

 まさか、雪姫の口に苺が吸い込まれる。


「姉ちゃんが食うの?!」


 いや空君、俺も同じようにツッコミたい――。

 と、唇と唇が重なった。

 甘さと。それ以上に脳の奥が痺れるような感覚が、俺を侵食していく。


「ゆ、雪姫?」

「だって、バレンタインだから。とびきり、冬君をドキドキさせたいなぁって思ったの。まだまだ、たくさんあるからね」


 今度はフォンデュフォークでバナナを突き刺す。


「あ、あの。雪姫さん? 繰り返し言うけどさ……俺、自分で食べられるからね?」

「最近、冬君って空と仲良しだなぁって思うんだよね。それは嬉しいんだけどね。でも冬君のことを一番大好きなのは誰なのか、ちゃんと自覚して欲しいって思っちゃうから」


 同じようにコーティングされたバナナが雪姫の唇から俺の唇へと伝わって。チョコより甘い感覚が、俺の理性まで奪っていく。


「バカだなぁ」


 多分、一生懸命考えながら。そして不安を感じながら。でも気持ちが抑えきれず。きっと雪姫はいろいろな感情で沸騰しそうになっていたんだと思う。


「空君、ごめん。ちょっとチョコが甘くてさ。缶コーヒーをブラックで買ってきてくれない?」

「へ? 今から?」


 くいくい、っと天音さんが空君の手を引く。良いから行こうと、言わんばかりに。聡い彼女に感謝しつつ、俺は雪姫に向かい合う。


 フォンデュフォークを雪姫から優しく奪って。

 雪姫は目を見開く。


 俺を怒らせてしまった――。そう思っているのが、ひしひしと伝わる。

 無言で、苺をチョコでくるんで。そして自分の口の中に放り込んで。


 それから――。

 もう理性は甘さで奪われていた。


「一番、雪姫のことを好きなのは誰なのか、ちゃんと教えてあげるね」


 チョコが唇の端から漏れてなお。

 蹂躙するように、この甘さを貪る。


 チョコの甘さで神経が麻痺したかのように――もう、自制なんか効かないから。

 ――覚悟してね。


 俺は囁く。

 ホワイトデーは、この三倍返しで雪姫のこと、溺愛するから。

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