第18話 階段と怪談と
「では、下に行きましょうか」
「待て。お前が先に行くんじゃない」
階段に向かおうとするセオドアをヨハネスが制止する。
塔の階段は幅が狭く一人ずつしか通れない。こんな怪しい男を先頭にするわけにはいかない。
「俺が先頭で、怪しい元侯爵、元侯爵を見張る役のキサラ、牢番と雑用係、アルムの順で進むぞ。エルリーはアルムにくっついていろ」
「私が最後ですか?」
「アルムは結界を張りつつ、なにかあったらすぐに浄化してくれ。俺も先頭で警戒する。本当はアルムのそばにいたいが……キサラはガブリエルが怪しい動きをしたらすぐに対処しろ」
「ふふふ。私だけ聖女様の監視付きとは光栄ですね」
得体の知れない笑みを浮かべるセオドアが一番怪しいのは間違いないので、並び順には誰も異を唱えなかった。
「あ、あんのぅ……こっちの娘っこは気ぃ失ってるけども」
牢番がおずおずと口を挟んできた。
アルムは床に横たわるロージーの体をひょいと浮かせた。
「起こすより、こうした方が早いです」
横向きだと階段で進みづらいので、浮かせたロージーの体を縦にする。四肢がだらんとぶら下がり、首がガクッとなるのを見て牢番が「ひっ」と声を漏らした。
「じゃあ、行きましょうか」
一行は五階への階段を下り始めた。
「あんのぉ……申し訳ねぇけども、オラを先頭にしてもらえねぇだか? 背後が気になって気になって……」
中程まで進んだところで牢番がそう言った。彼のすぐ後ろに宙に浮いて四肢をぶらぶら揺らした女がついてくるのだ。そう言いたくなるのも無理はない。
「背後? なにかありますか?」
アルムは不思議に思って後ろを振り返るが、気になるものはなにもない。
「オラにとっては背後だけども、聖女様にとっては前というか……」
「?」
アルムは自分が浮かせている人間を怖いと思っていないし、そもそも人が宙に浮いている時点で大分怖いという一般常識を持ち合わせていないため、牢番の訴える恐怖がわからなかった。
「悪いが、この状況で光の魔力を持たない者を先頭にするわけにはいかない。なにがあるかわからないからな」
本来であれば、自分よりもキサラを先頭にするべきだとヨハネスは思っている。ヨハネスでは聖女のように手をかざすだけで魔力を放ったりできないからだ。
だが、この中に闇の魔導師がいる可能性を考えると、一番怪しい者をキサラに見張ってもらうしかない。
「しかし、こんなことになって恐ろしいという気持ちはわかる。階段を下りる足音が響いて不気味だしな。というわけで、気を紛らわせるために怖い話でもするか」
「どうしてですの?」
怖がっている相手の気を紛らわすために怖い話をしようと提案するヨハネスの支離滅裂さに、キサラが怪訝な表情を浮かべた。
「昔から言うだろ? 『暑い時には熱いものを食え』って。それと同じだ。こういう時に共に恐怖を乗り越えてこそ、親睦と結束が深まるのであって……」
「全然意味がわかりませんわ」
冷たい視線をヨハネスに送るキサラの前で、セオドアが「そういえば」と呟いた。
「この塔には『かつて非業の死を遂げた王子の霊が出る』とか『数々の残酷な死の罠が仕掛けられている』など、いろいろな噂がありますよね」
「オラ達牢番の間でも伝わっている話がありますだ。『どこかに秘密の通路があって地下の拷問部屋に繋がっている』とか『落とし穴があって落ちたら二度と出られない』とか」
こうした場所には怖い噂が生まれてまことしやかに言い伝えられるものだ。『死の罠』や『秘密の通路』といった言葉にアルムは少し興味を抱いた。
(罠だらけの塔の中を闇の魔力を駆使して脱出するヒーローって人気が出そうじゃない? 誰かそんな物語を書いてくれないかな)
そんなことを考えているうちに五階に着いて、そのまま通路を通り過ぎようとした時だ。
空のはずの牢の中にぼんやりと人影が浮かび上がった。
すべての牢にぎっしりと、人の形をした影がひしめいて、鉄格子をガタガタ揺らしてけたたましい笑い声を響かせた。
『あはははははははははっ!!』
どさっ、と音がした。
牢番が恐怖のあまり白目をむいて気絶したのだ。
「よいしょ」
アルムは牢番もロージーと同様に宙に浮かせた。
「さすがに、少しびっくりしましたね」
「アルム! 怖いなら牢の前を通り過ぎるまで手を繋いでやるぞ!」
「結構です。エルリーと繋ぐので」
アルムはエルリーと手を繋いですたすたと歩き出した。もちろん、宙に浮かせた二人も連れて。
「すごいね、こっちの聖女様は。結界を張っている上に、二人の人間を浮かせて移動できるだなんて」
セオドアが感心したように言って、アルムに微笑みかけた。
「そんなにすごい魔力があるなら、この塔の中の瘴気ぐらい綺麗に浄化できるんじゃないのかい?」
「それは……」
アルムはちらりとエルリーを見た。
アルムが塔全体を浄化するほどの光を放てば、この場にいる人間は至近距離で直接浄化の光を浴びることになる。
普通の人間ならなんの問題もないが、闇の魔力を持つエルリーはダメージを受けるかもしれない。
ヨハネスとキサラがなにも言ってこないのも、エルリーを案じてのことだろう。
「このままでも、外に出るまで魔力が尽きることはないので大丈夫ですよ」
たとえ使い魔が束になって襲いかかってきたとしても、そのぐらいで魔力切れにはならない。だからそう伝えたのだが、セオドアはなにかを探るように細めた目でアルムをじっと見据えた。
「なるほど。このくらいでは君の魔力はびくともしないんだね」
いかにも悪いことを企んでいる雰囲気を醸し出すセオドアに、アルムは思わず光を浴びせそうになった。エルリーの前だということを思い出してぐっと堪える。
「う……うーん」
「……ふがっ?」
アルムがセオドアに気を取られている間に、気絶していた二人が目を覚ました。
目を開けて、ぼんやりした頭で視線を動かした彼らは、自分の体が宙に浮いていることに気づいて声をあげた。
「ぎゃああっ! なんで浮いてるの私!? 死んだの!? 死んだのね!? 怨霊となって塔に住みつく運命なのね!?」
「母ちゃん……『地に足をつけた生活をしろ』って教え、オラ守れなかったみてぇだ……」
アルムは恐慌状態に陥った二人を慌てて床に下ろした。
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