第51話 神話と伝説と現実




 ***




 藻玉を懐に仕舞いながら、ヨハネスは今後のことを考えた。


(貴族が後見人で王子の推薦があれば誰も口を挟まねえだろう。ここまで幼いのは初めてだろうが、十歳前後で付き人になるのはそこまで珍しくないし、問題はない……まてよ、エルリーが大神殿で暮らすということは)


 スクワットを終えたガードナーがようやく肩からエルリーを下ろした。エルリーは少しふわふわとした足取りで駆けていって、アルムのスカートをぎゅっと握る。

 その光景を目にしたヨハネスは、ある可能性に気づいて愕然とした。


 エルリーが暴走した時、強大な魔力を抑えられるのはアルムだけだ。

 当初、アルムは自分がずっとそばにいてエルリーの魔力を抑えるつもりでいた。ということは、


(アルムも大神殿に戻ってくる、のか……?)


 ヨハネスの胸に一筋のあたたかい光が射し込んだ。そのぬくもりが、期待となって全身に広がる。


 最初こそ落花生をぶつけられたものの、その後はアルムの方から話しかけてくることもあったし、現在も同じ室内にいてもウニる様子はない。


 これは、アルムの『ヨハネス恐怖症』が改善したということではないか。

 まだわだかまりは残っているかもしれないが、少なくとも顔も見たくないという状態からは脱しているはずだ。


「ウニられない。ウニにならない……今日は二人のウニない記念日……」

「ヨハネス殿下? 何、目頭押さえながらぶつぶつ言ってるんですか? 気持ち悪いですわよ」


 キサラが気味悪そうに罵倒してくるが、ヨハネスの耳には入らなかった。


(やっと……やっとアルムが大神殿に帰ってくる!!)


 人前じゃなかったらガッツポーズを作って床を転げ回りたいくらい嬉しい。


(エルリーの魔力を抑えるためとはいえ、大神殿に戻ることを嫌がっている様子はない。つまり、大神殿に——俺のそばに戻るのが嫌じゃないってことだ!)


 若干気持ち悪い思考に至りながら、ヨハネスはにんまりと笑みを浮かべた。

 アルムは大神殿に戻るとは一言も言っていないのだが、エルリーを見守るということはそういうことだろうとヨハネスは思い込んでいた。


(ようやく、あるべき姿に戻るんだ。また二人で時を過ごせる……今度はちゃんと大切にして甘やかして、二度と離れないように……)

「殿下。一つ言っておきますけれど、思春期の男子って女の子の目から見たら大体おバカで大抵カッコ悪くてちょっと気持ち悪いものですからね。それを肝に銘じて行動しないと、痛々しいことになりますわよ」


 ヨハネスが何を考えているか、そのニヤケ顔から手に取るようにわかってしまったキサラが嫌そうに忠告するが、幸せな妄想に浸っているヨハネスはその苦言を聞き流した。


「そうだ。アルムとも今後のことを相談しないと」


 ニヤケたままいそいそとアルムに歩み寄ろうとしたヨハネスだったが、エルリーと向かい合ってしゃがみ込んでいたアルムから突然まばゆい光が放たれて目を押さえた。


「アルム?」

「うーん。たぶん、こんな感じで……できた!」


 アルムが何かに成功したらしい。嬉しそうな声があがった。


「何をしているの?」

「えへへ。これを作ったんです」


 尋ねたキサラに、アルムは手のひらに載せた何かを見せた。

 ヨハネスも覗き込んでみると、それは丸く平たい、小さな紫の石だった。


「これって……」

「私の魔力で作った石です!」


 アルムはなんてことのないように言った。


「魔力で作っ……魔石かこれっ!?」


 ヨハネスは思わず叫んだ。

 魔石とは、文字通り魔力で作られた石だが、これを作ることができたのは王国の歴史上二人だけ——創国神話の始まりの聖女ルシーアと伝説の大聖女ミケルだけだ。

 神話と伝説の中にしか存在せず、空想上のアイテムだろうと思っている人間も多い。


「やってみたらできました」


 アルムは飄々と言う。


「何故、やってみようと思ったんだ?」

「エルリーに持たせようと思って」


 アルムは神話や伝説級の代物を生み出した動機をあっけらかんと説明した。


「これには私の魔力が宿っているので、エルリーに何かがあったらすぐにわかります」

「へぇ……」

「離れている時もこれで安心です」

「ふぅん?」


 ヨハネスは首を傾げつつ相槌を打った。


(離れている時って……まあ、大神殿の中でも四六時中一緒にいられるわけじゃないから、心配なのか?)


「男爵家からでも遠隔で魔力を送れるので心配いりません!」

「ちょっと待て!」


 ヨハネスはそこで違和感に気づいて声をあげた。


「男爵家からって何だ? 一緒に大神殿で暮らすんだろ?」

「ええ? なんでですか……私は家に帰りますよ」

「はあ!? エルリーだけ大神殿に置いていくって言うのか!?」


 どういうことだ、と激高するヨハネスに怯えて身を引きつつ、アルムは言い返した。


「だって、私は元・聖女ですし! 第一、大神殿で働いていたらエルリーを気にかける暇も余裕もなくなっちゃうじゃないですか! 朝から晩までぎっちり仕事が詰め込まれて、一つの仕事が終わらないうちから次々に新しい仕事が持ってこられて怒鳴られたり罵倒されたり……」


 かつてのブラック労働の記憶が蘇ったのか、アルムがぐっと唇を噛んで泣きそうな顔で震えた。


「いや、俺は以前とは違う! 今度はそんなことしない!」

「この手の男は、謝って許されたら何度でも同じこと繰り返すってお母様が言っていたわ」

「うぉいっ!」


 弁解するヨハネスを横目に、キサラがアルムにぼそぼそと耳打ちする。


「だから、私は大神殿の外で、エルリーや他の闇の魔力を持つ人達が普通に暮らせる方法を探します!」


 アルムがきっぱり宣言すると、オスカーが目を輝かせた。


「おお! なるほど! 大神殿の中にいてはわからないこともある。中のことは他の聖女様に任せて、アルム様はあえて外から世界を変えようというのですね! さすがです!」


 感動したオスカーが拍手をしてアルムを讃えた。


「エルリー、大丈夫だよ。大神殿の人は皆……おおむね良い人ばかりだし、約一名パワハラ外道野郎がいるけど無茶な仕事を押しつけられたらキサラ様達に助けてもらえばいいからね」

「任せて。害虫はエルリーに近づけないわ」


 アルムがエルリーに言い聞かせ、キサラが笑顔で請け負う。


「おいコラ。お前ら……」


 ヨハネスの抗議は綺麗に無視されたのだった。


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