第22話 ベンチ招喚!
***
どれくらい経ったのか、不意に、女の子が泣きやんだ。
アルムの腕の中で突然ぐったりと力を失った女の子は、泣き疲れたのか眠ってしまったようだった。アルムはほっと息を吐いて力を抜き、ゆっくり地面に着地した。
「……あれ? ここどこ?」
目の前には小さな湖があり、見える範囲に人の姿はなかった。
どうやら、気づかないうちに結構な距離を空中移動してしまっていたらしい。自分の意思ではなく魔力の反動と風圧で吹き飛ばされていただけなので、どっちの方向からやってきたのかさっぱりわからない。
「どうしよう……」
よく知らない土地で迷子になってしまった。
上空から探せば伯爵の館をみつけることができるかもしれないが、アルムは物を浮かせたり自分自身が宙に浮くことはできても、自由自在に飛び回れるわけではない。
それに、今はひどく疲れていた。
「とりあえず、少し休もう」
アルムはどこかに腰掛けられる場所がないか探したが、湖の周りは水を含んだ泥土で、腰を下ろす気になれなかった。
仕方がないので、アルムは空に手をかざして念じた。
「ちょっと距離はあるけど……こっちに来ーい」
ほどなくして、空の彼方から何か大きな物が飛んでくるのが見えた。
それはアルムの頭上で止まると、ゆっくりと地面に降りてきた。
ベンチである。
「やった! 成功」
王都のダンリーク家の家の庭に置いてある、アルム愛用のベンチを引き寄せたのだ。
手を触れずに物を引き寄せるのは得意だが、いつもは手近な物にしか試したことがない。距離が離れているので無理かと心配したが、実際にやってみると簡単だった。
***
その頃、ダンリーク家の屋敷では庭師のジョージがひとりでに宙に浮いて空の彼方へ飛び去っていくベンチを目撃した。
ジョージは一瞬呆然と空を見上げた後で「ああ、アルム様か」と気づき、何事もなかったかのように仕事に戻った。
***
ベンチに腰掛けて一息吐いたアルムは、改めて腕の中の女の子を見た。小さくて痩せた体で、髪はぼさぼさ、爪も伸びていて、まともに世話をされていないようだ。そして、彼女の着ている服を見て、アルムは眉をひそめた。
ぼろぼろの古着に、何十枚もの護符が縫いつけられている。
「誰かがこの子の魔力を封じようとしたのね」
闇の魔力を抑えるために護符を使うのはわかる。この子が魔力を自分の意思で扱えるようになるまでの応急処置にはなるだろう。
しかし、見たところどの護符も効力が切れる寸前だった。
「新しい護符に取り替えなきゃ駄目ね……それに、髪も梳かして新しい服も着せてあげればいいのに……ん?」
女の子のあまりに粗末な格好に気を取られていたアルムだったが、ふと目に入った自分の服がところどころ破けているのに気づいてショックを受けた。
「ああ! お兄様に買ってもらった服なのに!」
魔力のぶつかり合いの余波に、薄い布地は耐えられなかったようだ。
汚れは光魔法で浄化することができるが、ほつれや破れは魔法では直せない。
「帰ったらミラに繕ってもらおう。とりあえず、これ以上ぼろぼろにならないように……そうだ」
どうしたものかと悩んだアルムは、肩から下げているバッグの存在を思い出した。
ちなみに、アルムの持つバッグは際限なく物が入る上に入れた物は腐ることも劣化することもなく保存できるという奇跡のバッグだ。
元は普通のバッグだったのだが、アルムが「もっとたくさん入れて運べればなぁ」とぼやいたのをきっかけに容量無制限の底なしバッグに進化した。
そんな奇跡が起きたことを他の誰も知らない上に、アルム本人はそれが奇跡だという認識が薄かったため、いまだにただの便利なバッグとして使われている奇跡のバッグである。
「じゃーん! 聖女時代の法衣〜!」
もう着ることはないであろう元職場の制服を、捨てるのは忍びないのでバッグの中に仕舞ってあったのだ。
聖女の法衣は動きやすく、かつ丈夫な生地で作られている。
アルムは自分の周囲に十数本の木を生やし、その木の枝を絡み合わせて即席の壁を作った。
木の壁を目隠しにして服を脱ぎ、着替え終えると生やした木を地面に戻す。着ていた服は大事にバッグに仕舞った。
「聖女の格好だけど……ここには王都の人はいないから大丈夫だよね」
聖女は大神殿にしかいない。地方で暮らす人々が聖女の姿を目にする機会はほとんどないと言っていい。この格好を一目見て聖女だとバレて騒ぎになる可能性は低いだろう。
「ふう。つっかれたー!」
アルムは女の子を腕に抱いてベンチに寝転がった。
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