第15話 アルムとマリス
***
アルムは貴族のカントリーハウスを訪れたのは初めてだった。
「すごく大きいなあ……」
天井が高くて部屋数もたくさんある。階段が大きい。扉も大きい。迷ったら客間まで戻ってこれなさそうだ。
もちろん大神殿の方が大きいが、アルムが暮らしていたのは大神殿の奥、聖女の住まう聖殿だった。そこから出たことはほとんどないので、ジューゼ家の館の方が大きく感じる。
夕食の後、案内された客間でアルムは窓の外を眺めていた。夜の闇に包まれた庭を見下ろして、王都から離れた場所にいることに不思議な気持ちになった。
(聖女を辞めずにいたら、まだ大神殿にいて、こんな風に王都の外に出かけたりできなかっただろうな)
ガードナーが「付近の住民の筋肉チェックをするぞ!」と意気込んでいたから、滞在中はあちこち見て回れそうだ。
「せっかく王都の外に出たんだから、いろんなものを見て帰ろう。そして、お兄様に楽しい話を聞かせられるようにしよう。それに、マリス様とももっとちゃんと話せるように——」
そう呟きながら、アルムは寝台に横になった。寝転がって、枕に頭を乗せ——
「何これっ」
アルムはがばっと起き上がって枕を抱きしめた。
「ふわっふわだ……」
男爵家で使っている枕とは寝心地が違う。
「この枕ほしいな。できればお兄様の分も……」
その時、扉がノックされてアルムは顔を上げた。
「ちょっといいかしら?」
扉を開けるとマリスがいて、目を丸くするアルムの横をすり抜けて部屋に入ってきた。
「同じ年頃の女の子と話す機会が滅多にないからさ」
マリスはそう言って寝台に腰を下ろした。自分の隣をぽんぽん叩くので、アルムもそこにちょこんと座る。
夜中に客の部屋へ押しかけてくるなど、ともすれば「無礼だ」と客の怒りを買いそうだが、マリスの態度がさっぱりとしているのでアルムは全然気にならなかった。きらきらした人懐っこそうな目でみつめられると、自分もマリスと話がしたかったような気がしてくる。
「アルルは結婚相手がもう決まっているの?」
「ふえっ?」
いきなりの質問に、アルムは一拍置いた後で激しく首を横に振った。
行儀見習いは花嫁修業の意味合いが強いのでマリスがそう思ったのも無理はないのだが、アルムは自分が誰かと結婚するなど考えたこともない。
「そうなの? じゃあどこかの家に引き取られるの?」
「私は……男爵家の庶子で、家族の一員と認められるために礼儀作法を身につけなくちゃいけなくて」
一応考えておいた設定を話すとマリスはあっさり納得した。
アルムが男爵家の庶子なのは事実だが、行儀見習いになど出なくてもウィレムは妹だと認めてくれた。
「いいなあ。私も王都で働きたい」
マリスがそう言って溜め息を吐いた。
「王都に行きたいんですか?」
「ええ! だって王都にはたくさんの人がいるでしょう?」
アルムの質問に、マリスは拳を握って答えた。
「私は自分で結婚相手をみつけたいの! 領地では出会いが少ないんだもん!」
マリスの年頃の少女らしい願いに、アルムは「おお」と感動した。
自分と同年代の普通の少女の意見を聞くという初めての経験だ。キサラ達との会話はどうしても聖女の業務に関することや「光魔法で悪しき魂を浄化する方法」などになりがちだから、こうした寝る前のひとときの雑談はアルムには初体験だった。
しかし、見合い相手と一緒にやってきた同行者にそんなに正直に打ち明けていいものだろうかとアルムは思った。
アルムがガードナーに告げ口するとは考えないのか。それとも、アルムの口からに穏便に結婚を望んでいないことを伝えてもらいたいのだろうか。
アルムはガードナーの方も結婚を望んでいないことを知っているので、マリスの本心を知れてむしろ安堵した。「絶対にガードナー殿下と結婚したいから協力して」などと頼まれたら、アルムにはどうすればいいかわからない。
「だけど、お父様は王都で働くのを許してくれないの。私は一人娘だから近隣の領主の次男以下を婿に取れって」
「ふむふむ」
「今回のお見合いはお父様の仕業じゃないみたいだけど……いつ勝手に結婚相手を決められるかわかったもんじゃないわ」
「ほうほう」
ぷりぷり怒るマリスにアルムはひたすら相槌を打つ。何か気の利いた意見を言えればいいのだが、内容的にアルムが役に立てそうな部分がない。
働ける場所を紹介するようなツテもないし、結婚相手として紹介できる知り合いもいない。というか、よく考えたら知り合いと呼べる男性が王子しかいない。
伯爵令嬢と王子なら身分的には釣り合うが、パワハラ野郎やセクハラ野郎をオススメする気にならない。
「結婚は恋した相手としたいのよ。叔母様みたいに」
マリスと小さな溜め息と共に吐き出した。
「叔母様?」
「うん。私の叔母様は美人でね、素敵な人と出会って愛し愛されて結婚したの。私は子供だったけど、叔母様が幸せそうだったのを覚えているわ」
アルムは「なるほど」と思った。好きな人と結婚した叔母の姿を見ているからこそ、マリスは恋愛結婚に憧れているのだろう。
「じゃあ、その叔母様は今も幸せに暮らして……?」
「ううん。五年前に亡くなったの」
マリスがへにゃっと眉を下げた。
「叔母様の話をするとお父様が怒るの。きっと、お父様もまだ悲しいんだと思うわ。でも、短い人生でも叔母様はきっと幸せだったはずよ。愛する人と結婚できて」
叔母のことを思い出しているのか、マリスは遠い目をした。でもすぐに、元気な笑顔に戻ってアルムに尋ねてくる。
「ねえ、ガードナー殿下は話のわかる方かしら? 仲良くなったら働き口を紹介してもらえないかなーっと思っているんだけど」
最初は見合いを嫌がっていたのに気が変わったのはそういう動機があったらしい。
「そうですね……ガードナー殿下は筋肉愛はともかく、わりといい人だと思います」
改めて考えてみると、現時点でアルムの知っている王子の中では一番好感度が高いかもしれない、第二王子。
「婚約はしない方向で、でも仕事紹介してもいいかなって程度に気に入られたいわ。仲良くなれたらお父様の目を盗んでお願いしてみよう!」
そう言うと、マリスががしっとアルムの手を握った。
「協力してね、アルル! 私のことは呼び捨てで、敬語も使わなくていいから!」
「えー……」
目を白黒させたアルムがはっきり答える前に、マリスは「じゃあおやすみ!」と元気に出ていってしまった。
なんだか強引に巻き込まれたような気もするが、マリスがガードナーに相談するのを手伝うぐらいならなんとかなるだろう。
「ふう、寝よう」
アルムは寝台にころんと転がった。ふんわりと枕が優しく受け止めてくれる。
「枕、絶対買って帰ろう……すぴー」
ふわふわの寝具に包まれて、アルムはすぐに心地よい眠りに引き込まれていったのだった。
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