第9話 不穏な気配
オスカーの話を聞いたヨハネスは、緊張の面持ちで返事を待つ彼に楽にするように告げてしばし思案した。
話を聞く限り、キラノードで何が起きているのか実態を確かめる必要がありそうだ。
調査のために派遣するなら聖女より神官の方が適任であるが、瘴気の大量発生で不安になっている人心を安心させるには聖女が姿を見せた方が効果的だ。オスカーもそう思って聖女アルムの派遣を望んでいるのだろう。「王都の瘴気を浄化した聖女様」ならば、必ず自分達を救ってくださるはずと皆が期待するからだ。
しかしまあ、問題が一つある。
アルムは聖女を辞めてしまっているのだ。
(いや、俺は認めてないんだけど……そもそも聖女は好き勝手に辞められるもんじゃないんだけど……)
莫大な光の魔力を持つ聖女は大神殿で暮らし民のために働くと決められている。
個人差はあるが、だいたい二十五歳前後で聖女の魔力量は減少を始め、十年ほどで常人と同程度の魔力量に落ち着く。そのため、聖女でいられるのは二十五歳までだ。ただ、聖女は貴族令嬢でもあるので多くは二十歳前後で結婚して大神殿を去る。
逆に言うと病気と魔力量の減退、結婚以外の理由で聖女を辞めることは認められていない。
アルムはまだ十五歳。魔力量も莫大とか膨大とかでは言い表せないほどだ。現役バリバリなのだ。辞めるなんて許されないのだ。本来であれば。
それなのに、ヨハネスに過酷な労働を強いられていることに同情した連中が、アルムの退職届を勝手に受け取ってしまった。その上、アルムを大神殿に戻そうとするヨハネスの努力をあらゆる手を使って妨害してくる。
(ダンリーク男爵だって、聖女は大神殿で暮らさなければならない掟だと知っているだろうに……アルムを返すどころか面会さえさせねえ……っ)
ヨハネスは現在の理不尽な状態を思ってぐっと唇を噛んだ。
(いや、待てよ。キラノード伯爵領を救うという大義名分があれば、アルムを連れ出すことが可能なのでは?)
人々を救うためと言えば、ウィレムも門前払いはできないだろう。
アルムを説得して、共にキラノードへ向かうことは可能ではないか。
この件を利用してアルムを調査に同行させ、あわよくば二人旅を……
「不穏な気配を察知しましたわ!」
よこしまな計算をしていたヨハネスのこめかみに、光の塊がすこーんっとぶつけられた。
言うまでもなく、聖女キサラの光魔法である。
「勝手に入ってくるんじゃねえっ! 来客中だぞ!」
「あら、失礼いたしました。オスカー・キラノード様。わたくし、デローワン侯爵家が一女キサラと申します」
「わたくしはキャゼルヌ伯爵家のメルセデスと申します」
「オルランド伯爵家のミーガンと申しますわ」
「私はオスカー・キラノード。キラノード小神殿の神官長です。聖女様方にお会いできて光栄です」
聖女達はヨハネスを無視してオスカーと丁寧に挨拶を交わした。
「お話中に申し訳ございません。醜い欲望から生み出された悪しき気配がこの部屋に立ちこめておりましたもので、聖女として見逃すわけにはいかず……」
「いえ、聖女のお力を拝見できて感動いたしました……あの、聖女アルム様にはお会いできるでしょうか?」
「まあ。もしや、アルムに会いに王都へ?」
オスカーが頷くと、聖女三人は顔を見合わせて囁き交わした。
「小神殿の若き神官長がアルムを?」
「わざわざ王都までやってきて宣戦布告ですか?」
「ワイオネル殿下に続くライバル登場ですのね!」
「そこ、うるさいぞ! 話の途中だから出ていけっ!」
ヨハネスの恋路が艱難辛苦の道のりであることを願ってやまないキサラ達に青筋を立てつつ、ヨハネスはオスカーに告げた。
「話はわかった。調査のために聖女を同行しキラノード領へ向かう」
「ありがとうございます」
オスカーは安堵したようにほっと息を吐いた。
その横で、キサラが胡散臭いものを見るような目でヨハネスを睨む。
「……見て、あの顔。『この件をだしにしてアルムとキャッキャウフフの二人旅を〜』とか考えてますわよ、絶対」
「なんておぞましいんでしょう。アルムがかわいそうです」
「そのような非道な目論見、必ず阻止しなければなりませんわ!」
キサラ達がごちゃごちゃ言っているが、ヨハネスは無視した。
誰がなんと言おうと、今度こそアルムを男爵家から連れ出して、どんな手を使ってでも大神殿に——自分のそばに戻してやる。
そして、今度はアルムをちゃんと大切にして、いつかは想いを伝えるのだ。
「なんか不埒なこと考えている気配がしますわ」と言うキサラに大量の光の球をすここここんっとぶつけられながらも、ヨハネスはキラノードの問題を力を合わせて解決する自分とアルムの姿を想像するのだった。
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