第8話 厄介な話





 ***



 聖シャステル王国には王都を守護する大神殿の他に、各地に十二の小神殿がある。

 その中の一つ、キラノード小神殿の神官長を迎えたヨハネスは、現れた男を見て意外に思った。


(ずいぶん、若いな)


 髪も目も濃い灰色の、二十代前半の青年だった。大神殿のものとは色やデザインが違う神官服を身につけているが、神官長と言うにはいささか威厳が足りていない。

 とはいえ、初めて訪れたであろう大神殿で臆した様子もなく堂々としているのは立派と言えよう。


「お初にお目にかかります、ヨハネス殿下。我が名はオスカー・キラノード。ふた月前に急死した前神官長シグルド・ニムスの後を継ぎ神官長となりました」


 礼を取るオスカーの言葉を聞いて、ヨハネスは「なるほど」と納得した。

 神官長が後継者を指名しないまま退任、あるいは死亡した場合、その神殿の中でもっとも身分の高い者が新たな神官長になると決められている。


(オスカー・キラノードはキラノード伯爵家の三男だったか……)


 確か前神官長のシグルドはニムス侯爵家の次男だったはず。ニムス侯爵がまだ現役なのだから、その息子のシグルドもおそらく三十代くらいだろう。

 本人も周囲も後継を指名する必要を感じていなかったとしても無理はない。神官長にまでなった者はたいていの場合、六十歳七十歳になっても権力の椅子にしがみつくものだ。


「大神殿へようこそ、オスカー殿。早速だが、用向きを聞かせてもらえるか」


 そう尋ねたヨハネスの袖口から、豆が一粒転がり落ちた。


「……あの、豆が」


 自分の足下に転がってきた豆を拾い上げてオスカーが首を傾げる。


「気にするな。ちょっとした儀式があってな」


 ヨハネスが誤魔化すと、オスカーも気を取り直して真剣な顔つきで切り出した。


「単刀直入に言います。王宮を襲った瘴気を浄化したという聖女アルムの力をお借りしたい」

「……何?」


 まったく予期しなかった言葉に、ヨハネスは眉をひそめた。その拍子に、法衣の裾から二、三粒の豆がぽろぽろこぼれ落ちた。


「いったい、どういうつもりだ?」


 ひとまず豆のことは無視して問うヨハネスに、オスカーも豆には触れずに答える。


「聖女アルムに救っていただきたいのです。このままだとキラノード伯爵領は……いや、隣接するジューゼ伯爵領も瘴気に飲まれて滅びます」


 穏やかではない内容に、ヨハネスは怪訝な表情でオスカーに尋ねた。


「どういうことだ? そうならないために……」


 ヨハネスが身を乗り出すと、襟元からぽろりと豆が飛び出す。


「……あの……」

「ちょっと待て。くそっ、服の中にまだ豆が……メルセデスに背後を取られたのが失敗だったな……襟を引っ張って流し込みやがって絶対に許さねえ……そうならないために小神殿があるんだろう?」


 かつて、瘴気に覆われていたこの国の地を、始まりの聖女が浄化し人の住める土地に変えた。その際に、特に瘴気が発生しやすい土地に小神殿を建てたと伝えられている。

 大神殿が王都を守護するように、小神殿も各地の守護を担当している。小神殿がある地とその周辺の領地で瘴気が発生した場合、浄化して人々を守るのが小神殿の神官の役目だ。


 しかし、オスカーはちょっと肩をすくめてこう言った。


「私が神官長になってから、キラノード領とジューゼ領では瘴気の発生率が上がっています。ここ数日は日に二度も三度も発生報告があり、しかも徐々に瘴気が強くなっています。急に増えた瘴気に怯えて、七人いた神官のうち四人が逃げました」

「おい、最後のは聞き捨てならねえぞ」


 神官が真っ先に逃げ出してどうするんだと責めるヨハネスに、オスカーは溜め息と共に言った。


「仕方がないでしょう。小神殿の神官は金で位を買った無能ばかりだ」


 ヨハネスは思わず口をつぐんだ。

 オスカーの言う通り、家を継げない貴族の次男三男のために親が金で小神殿の神官の位を買うという行為が長年にわたって横行していた。無能だった前王が『病気』で退いてワイオネルが国王代理になってからは賄賂は厳しく取り締まられているが、すでに神官となっている貴族の坊々どもはそのままだ。


(全員をクビにしたりしたら多くの貴族から恨みを買うし、大混乱になるだろうからな……)


 無能を一掃したい気持ちはあるが、実際にそれをやるのは現実的ではない。ヨハネスは眉を曇らせた。


「普段から見習いや従者に浄化の仕事を押しつけていた連中です。各地で発生する瘴気に人手が足りず、自分も浄化に行かなくてはならないとなった途端にあっさり辞めて出て行きましたよ」


 止める暇もあらばこそだったとオスカーは首を横に振った。


「ううむ……」


 ヨハネスもこめかみを押さえて唸った。

 使えない神官が自主的に辞めたのはいいが、瘴気が大量発生している時にごそっと神官がいなくなるなど、民が不安と不審を抱える理由として十分だ。


「なるほど。それで『聖女アルムを借りたい』か……」


 厄介そうな話だな、とヨハネスは肩をすくめた。



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