兄と妹・中




 それからも、ウィレムはたびたび家人の目を盗んで妹を見に行った。

 妹はやはり泣き出すと光ったり浮いたりするが、ウィレムが抱っこするとぴたりと泣きやむ。


「マーク……やっぱりアルムは聖女になる必要はないんじゃないか? あ、そうだ。病弱で認定を受けられないってことにしよう」

「よほど重い病気でなければ認められませんよ」

「原因不明の発光と浮遊だぞ? 重病だろ」

「坊ちゃま……」


 執事に呆れた顔をされるが、ウィレムは妹には聖女なんて重荷すぎるとしか思えなかった。

 それに、もしも妹が聖女に選ばれたら、ウィレムの父と母は妹を利用して甘い汁を吸おうとするかもしれない。もしかしたら、妹の母も。


 幸いというか、父は自分の娘に興味がないのか一度も会いにきたことがない。ウィレムの母はこの別邸には近寄らないし、妹の生母も自分の産んだ娘にいっさい興味がないらしく、乳母に任せきりで遊び暮らしているようだ。


 だから、妹が光ったり浮いたりすることを彼らは知らない。


 ウィレムは乳母と執事に口止めをしたが、彼らは「旦那様に訊かれたら答えます」と言っている。つまり、訊かれない限りは黙っていてくれる。

 娘に興味のない男爵は娘のことを尋ねないので、結果的に秘密が守られている。


「遮光カーテンの生地でドレスを作って発光を抑えるとか……」

「発光だけ抑えても、魔力があるのは誤魔化せませんよ」


 ウィレムは何とかして妹が聖女にならなくてすむように頭を悩ませたが、いい考えは湧いてこなかった。


「マーク、見ろ。この『週刊貴婦人』の記事を。引退した元聖女が顔を切りつけられる。犯人の女は自分が聖女認定に受からなかったことで聖女に逆恨みを……アルムが聖女になったら身分が上の令嬢から逆恨みされてしまう!」

「坊ちゃま……いつの間にゴシップ雑誌などに手を……」

「こっちの『月刊家庭生活 職場のトラブル・イジメ特集』には“大神殿の黒い実態 新人イビリ〜堕ちた聖女の実像〜”という被害者Aの体験談が」

「坊ちゃま。その手の雑誌の『投稿者・Aさん』はたいていの場合実在しません」


 日々、不安を募らせるウィレムだったが、妹はすくすくと大きくなっていく。


「ええい、最後の手段だ! 俺はアルムを連れて家を出る!」

「坊ちゃま!」


 ウィレムはいい感じに煮詰まっていた。


 そんなある日のこと。

 いつものように別邸を訪れたウィレムの耳に、妹の泣き声が届いた。

 それだけなら変わったことではないが、泣き方がいつもの「ぴえぴえ」といった声ではなく「ぎゃんぎゃん」と激しい泣き方だった。


「どうした?」

「あ、これは坊ちゃま。こんなところに……」


 慌てた様子で振り向いたのは見知らぬ女だった。


「乳母はどうした?」


 いつもの乳母の姿が見えず、尋ねたウィレムに女は「買い物へ行っています」と答えた。女は赤ん坊の面倒をみるために新しく雇われたらしい。


 ウィレムは妹に近寄った。ばたばたと体をよじって泣いているが、今日は光っていない。

 抱き上げようとすると、女がウィレムを制止した。


「ミルクの時間ですので」


 女が抱き上げると、妹はいっそう激しく泣き出した。喉が破けないか不安になるくらいだ。


「どこか痛むんじゃないのか?」

「赤ちゃんは泣くものですよ」


 女は取り合わずにミルクを飲ませようとする。

 だが、妹は口元にスプーンを近づけられると嫌がって顔を背ける。


「お腹がすいてないんじゃないのか?」

「ぐずっているだけですよ。飲ませればおとなしくなります」


 女は嫌がる妹に無理やりミルクを流し込もうとする。


「おい。乱暴にするな」


 見かねたウィレムが止めようとすると、妹が涙に濡れた目で手を伸ばしてきた。


「あうあ! あうー!」


 その必死な様子に、ウィレムは何か違和感を覚えた。


(赤ん坊の世話のために雇われた新しい使用人……誰が雇ったんだ?)


 アルムの生母は娘に無関心。そもそも、愛人に使用人を増やす権利はない。

 では、父が娘のために雇ったのか。いや。愛人の浪費でウィレムの母が父と言い争っていたのはつい先日のことだ。新たに愛人の娘のために金を使うとは思えない。


 ウィレムは咄嗟に女の腕を掴んだ。


「何をするんです!?」

「……アルムが嫌がっている。離せ」


 揉み合いになったのを見て、執事が駆け寄ってきて女の手から妹をもぎ取った。


「……チッ!」


 女は懐に手を入れて、取り出した何かを床に叩きつけた。




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