兄と妹・前





「やれやれ。やっと抜け出せたな」


 ウィレムは傍らの執事に話しかけた。


「よし。妹を見に行くぞ」


 別邸に住む父の愛人が娘を生んだ。ウィレムの異母妹だ。


 ウィレムはずっと「妹を見に行きたい」と思っていたのだが、男爵夫人である母が許してくれなかったのだ。

「男爵家の嫡男であるお前はあんな下賤な女に関わってはいけません」と言われたが、十歳のウィレムは妹が見たいだけで愛人に会いたいわけではない。

 今日、やっと母が外出したのでこっそり家を抜け出したのだ。


「妹の名前はなんていうんだ?」

「アルム様、でございますよ」


 執事と話しながら歩いて、平民街にある別邸に向かう。

 やがて目的の家に到着したウィレムは、小さな家を眺めて首を傾げた。


「すごく……光ってるな」

「ええ。光ってますね」


 家の窓から明るい光が漏れている。まだ昼間なのに、灯りをつけているのだろうか。


 愛人は留守と聞いていたので、ウィレムは堂々と家に入った。赤子の泣き声が聞こえてくる。どうやら光は赤子のいる部屋から漏れているらしい。


「この光は何なんだ?」


 部屋に足を踏み入れたウィレムが目にしたのは、全身から金色の光を発して泣く赤子と、床にひれ伏す乳母の姿だった。


「なんだこれは!?」

「はっ、坊ちゃま! 申し訳ありません。お嬢様が急に光り出して……」

「妹って光るものなのか!?」

「いえ、通常の妹は光らないかと……」


 赤子はより大きな声で泣きわめく。すると、赤子がふわりと宙に浮かんだ。


「浮いた! 妹って浮かぶものなのか!?」

「いえ、通常の妹は浮かないかと……」


 浮いた妹はふあふあと泣きながら身をよじる。


「とにかく泣きやませろ!」

「それが、あまりに神々しくて近寄れず……」


 信心深い乳母は妹に向かって手を合わせる。畏れ多くて近寄れないと言うが、それでは育てられないだろう。


「とにかく泣きやませろよ。どうすればいいんだ?」


 ウィレムが尋ねると、まぶしそうに目を細めていた執事が口を開いた。


「坊ちゃまは平気なのですか? 私共は光の圧が強くて近づけません」

「俺は別に、少しまぶしいぐらいだ」

「では、抱っこしてみてはどうでしょう」

「抱っこ……」


 ウィレムは光る妹を眺めて少し逡巡したが、勇気を出して一歩踏み出した。


 金色の光の中に足を踏み入れて、宙に浮く妹に手を伸ばす。小さな体を恐る恐る抱き寄せると、ウィレムの腕の中で妹はぴたりと泣きやんだ。


 まばゆい光も収まって、妹はもぞもぞ動いてウィレムの顔を見上げた。ぱっちりと開かれた瞳は、ウィレムと同じ紫色だ。


「アルム様には強い光の魔力があるようですな」

「光の魔力……」


 ウィレムは妹と目を合わせた。紫の瞳はじっとウィレムをみつめている。


「アルム様はきっと聖女になるでしょう」

「聖女? でも、あれは高位の貴族令嬢がなるもんだろ?」


 聖女に選ばれるのはたいていの場合、伯爵家以上の高位貴族だ。過去、子爵令嬢が聖女になった例はあるが、男爵令嬢はいないはずだ。

 まして、妹は庶子だ。聖女に選ばれることはこの国の貴族の娘にとってこの上ない名誉ではあるが、高位貴族の中に混ぜられては肩身の狭い思いをするのではないだろうか。


「あ。あー」


 妹が小さな丸い手を伸ばしてウィレムの頬をぺちっと叩いた。

 あまりにも柔らかくてふにゃふにゃな手の感触に驚きながら、ウィレムは妹をそっと寝台に戻した。

 不満そうに「あうあう」言って手を伸ばしてくる妹を見て、ウィレムは思った。


「男爵家の庶子なんだから、聖女認定は受けなくてもいいんじゃないか?」

「いえ。半分でも貴族の血が流れている場合は認定を受けるものと決められております」


 聖女信仰の強いこの国で、認定を受けずに逃げることは許されない。

 ウィレムは複雑な気持ちで妹を見下ろした。




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