元ホームレス聖女アルムの日常・後





 ***



「奇跡が起きるから」という理由で刺繍はあまりしちゃいけないと注意された。

 よくはわからないが、異母兄の言うことなのでアルムは素直に頷いた。


「では、料理はどうですか? お菓子作りを嗜む女の子は少なくありませんし、お友達ができた時に一緒に楽しめるじゃありませんか」


 高位貴族の令嬢は台所に立ったりしないが、男爵家や子爵家の娘なら家事手伝いや行儀見習いで簡単な料理ぐらいなら作ることがある。


「料理かあ……農作物を作るのは得意だけれど、料理はうまくできるかなあ」


 ミラの提案に、アルムは目を輝かせた。

 野菜や果物ならいくらでも作れるが、料理はそれとはまったくの別物だ。

 ちなみに、男爵家に戻ってきてすぐの頃、アルムは自分の能力で農作物を作ることができると異母兄に持ちかけた。食費がかからなくなるし、買い物をせずともいつでも新鮮な農作物が手に入るのだから喜ばれるかと思ったのだが、ウィレムは首を横に振った。

 それで自分達はよくても、ダンリーク家に食材を卸している商人や、それを作っている農家は収入がなくなって困窮してしまうだろう。と言われて、確かにその通りだとアルムは己の考えの浅さに恥じ入った。


 なので、アルムは男爵家に帰ってきてから聖女の力をほとんど使っていない。

 どこぞの第七王子と違って、聖女であることを求めないウィレムのそばは居心地がよかった。


(そうだ。料理が上手になったら、お兄様に食べてもらえるかもしれない)


 そう考えたアルムはうきうきしながら料理長からクッキーの作り方を教わった。


 計ったり混ぜたり伸ばしたり、初めてのアルムには難しいこともあったが、ミラに手伝ってもらって、ちょっとだけ焦げた立派なクッキーが完成した。


「できたー!」

「やりましたね、お嬢様!」


 気分が昂揚したアルムは天に向かってバンザイしながら思った。


(自分の力でできたって実感するのって、こんなに嬉しいものなんだ……)


 アルムがじぃんと感慨に浸っていると、不意に天井の一部から明るい白い光が漏れて、アルムが作ったクッキーの入った籠を照らした。


 次の瞬間、光の中に翼の生えた天使が現れ、籠の取っ手を掴むと光の中を上へ上へと昇っていき、やがて光とともに溶けるように消えた。


 後に残ったのは、何も載っていない作業台の前でぽかん、と天井を見上げるアルムとミラの姿だった。


「……泥棒?」

「いえ。神の奇跡です」


 せっかく作ったクッキーを何らかの天上の存在に持ち去られてしまったアルムは、怒りのぶつけどころがわからずに「むう」と唸った。



 ***



「そうか。天使が……」


 思いがけない天使降臨の報告を受けて、さしものウィレムも何と言っていいかわからず口を噤んだ。


「アルム様が作った料理は、人間風情が口にしてはいけないほど聖性を帯びているということでしょうか」


 ミラから事の次第を聞いたマークも困惑した。

 彼は優秀な執事だが、仕える家の娘が作ったクッキーが天に召された時の対処法なんか知らない。


「せっかく作ったクッキーが天に召されて、アルムは落ち込んでいないか?」


 ウィレムが気がかりなのはアルムの心の状態だ。


「ミラの話だと、『何らかの聖性を帯びていないものを作りたい』とぼやいていたそうです」


 ウィレムとマークは難しい顔で溜め息を吐いた。



 ***



 作っても天上の存在に横取りされてしまうのでは、料理をする気にならない。


「キサラ様達も、自分の作ったものが天に召し上げられて困った経験があるのかしら?」

「おそらくないと思います」


 アルムの呟きにミラが突っ込む。


「天上の存在相手じゃあ取り返す方法も対処方法もわからない……」


 他人が共感しにくい悩みに顔を曇らせるアルムを見て、ミラは肩をすくめた。

 アルム・ダンリークはどこからどう見ても普通の女の子であるのに、どうしてこの子にはこんなにも特別な力が宿っているのだろう。と不思議に思った。


「絶対に聖なるものに変化したり、天上に召し上げられたりしないものを作ればいいのか……よし!」


 何かを決意したアルムが立ち上がった。


「貧民地区の子供達に泥団子の作り方を教えてもらってくるーっ!!」


「お、お嬢様!?」


 聖女どころか男爵令嬢としてもどうかと思う台詞を残して飛び出していくアルムを、ミラは慌てて追いかけたのだった。



 ***



「それで、アルム様の作った泥団子がこちらです」

「すごく……光ってるな」


 盤の上で眩く光り輝く泥団子を恭しく差し出され、ウィレムは無の境地で目を細めた。


「どうやら、アルム様が手ずからお作りになったものは、どうあっても何らかの聖性を帯びてしまうようですな」


 マークも無の境地で微笑んだ。

 飛び出していったアルムを迎えにいった時にはすでに泥団子が発する光が辺りを満たしており、光に引き寄せられて集まってきた貧民地区の住民達が泥団子を拝んでいた。

「せっかくアルムちゃんが作ってくれたんだから、ご神体として祀ろう」と言い出した住民達をなだめ、「その宝石を売ってくれ」と懇願してくる金持ちそうな商人や「それはもしやかぐや姫が所望した竜の首の珠ではっ?」と東の国風の出で立ちの男に追いかけられたりしながら持ち帰ってきたのだ。


「アルムはどうしてる?」

「帰宅してすぐにふて寝してしまったそうです」

「そうか……」


 ウィレムはふっと苦笑いを浮かべた。

 何を作っても聖なる何かが出来上がってしまうような規格外の聖女でありながら、アルムは「普通の泥団子が作れなかった」とふてくされてしまう子供でもあるのだ。


「泥団子がうまく作れなかったからと、ふてくされてしまうような子供は、王家に嫁に出すわけにはいかんな」

「ええ。その通りですな」


 ウィレムは清々しい気分で第七王子からの何十通目かのアルムへの面会希望の手紙を破り捨てたのだった。



 ***



「泥団子さえまともに作れないだなんて、私には何ができるんだろう……」


 寝台に寝転がり、ぬいぐるみを抱きしめてぼやくアルムを見て、ミラは思った。


(どうして、普通の女の子であるお嬢様にこんなに特別な力があるのだろうと思っていたけれど、逆かもしれないわ)


 普通の女の子に特別な力が与えられたのではなく、普通の女の子だからこそ、特別な力が与えられたのではないだろうか。


(どんなに特別な力があっても、決して驕ることも他者を見下すこともなく、悩んだり落ち込んだり、普通であり続けることのできるお嬢様だからこそ、途方もない力を持っていられるのかもしれない)


 もしも自分がこんな力を持ったら、それを使って他者より上に登りつめようとせずにいられるだろうか。

 アルムのように、聖女としての力ではなく、自分の努力で何かを見つけたいなんて思うだろうか。


 そんな人間は、この世にきっと何人もいない。


「お嬢様。ケーキをお持ちしましょうか」

「ケーキ……」

「お茶を淹れますね」


 アルムがむくりと身を起こしたので、乱れた髪をささっと軽く整えてやってから、お茶を淹れるためにミラは部屋を出た。


(やっぱり、聖女としてのお嬢様ばかり評価するような輩には渡せないわね! お嬢様の真の良さを理解できる殿方じゃないと! 第七王子? 何それ知らなーい!)


 アルムの専属侍女の脳内で存在をなかったことにされる第七王子ヨハネス・シャステル(16)。


「アルムに会いたい……癒されたい……」と嘆く彼が次にアルムと再会できるのはいつになるのか。


 とりあえず、男爵家の面々には会わせるつもりがまったくねぇのだった。






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