第32話 元聖女の居場所




 金色の光の中心地、ベンチに座ったアルムの目の前に、一人の男が立っていた。


 二十代半ばの銀髪の男が、不機嫌そうな仏頂面でアルムを見下ろしている。


 アルムは目を見開いた。


「お……お兄様……」


 アルムの呆然とした呟きを聞いたヨハネスは眉をひそめた。


(兄、だと? てことは、ダンリーク男爵か)


 アルムとは腹違いの異母兄のはずだ。それが何故ここに?何故、光の中心に入ることが出来るのか。


「アルム、お前は何をしている? 今すぐこの光を収めろ」


 ダンリーク男爵に命じられて、アルムは肩を震わせた。


「で、できない……わからない……だって」


 幼子のようにぽろぽろ涙をこぼすアルムを見て、ダンリーク男爵は短く息を吐いた。


「この場所が無くなり、大神殿にも行きたくないというなら、ダンリーク家に帰ってこい」

「え……?」


 思いがけない申し出に、アルムのみならずヨハネス達も驚いた。


「ダンリーク家の者はアルムを冷遇していたのではないのか?」


 刺すような視線を感じたのか、ダンリーク男爵はちらりとヨハネス達を振り返った。


「……私はこの光に慣れています。アルムは幼い頃から、泣いたり混乱したりすると金色の光を出していましたから」

「マジか」

「マジです。それだから、「こいつは間違いなく聖女に選ばれる」とわかっていたので、その時が来ても男爵家に未練を持たないように最低限の関わりしか持たないようにしました。我が家と繋がりが深ければ、甘い汁を吸おうと寄ってくる輩もいるかもしれない。そういう輩を近づけないためにも、聖女となったアルムとダンリーク家は一切無関係という態度を取ってきました」


 ダンリーク男爵は溜め息を吐いて肩をすくめた。


「しかし、聖女を辞めたのであれば、戻ってくれば良かったのに……」


 ベンチに座って途方にくれたような表情を浮かべるアルムの姿が、幼き日の姿に重なる。

 あの時と同じだと、ダンリーク男爵は思った。

 あの時のアルムは、母親に「ここで待っていてね」と言われて、ベンチに置き去りにされたのだ。

 追い出した父の妾が幼い娘を邪魔に思い捨てていったと知ったダンリーク男爵はすぐに異母妹を探した。そうして、この公園のベンチで一人ぼっちで座るアルムを見つけたのだ。

 浪費癖のある妾を追い出す際に、異母妹はこちらで引き取ると言ったのに勝手に連れ出した挙句にこの仕打ちか、と腹が立った。

 しかし、それでもアルムにとってはこの場所は特別な場所だったのだろう。

 行く場所がないと思い込んだアルムが、自分の居場所にしようと決めたのは、幼い頃に捨てられた場所だった。

 そうして、その場所を奪われそうになってパニックに陥ったのだ。


「アルム。お前の居場所はここじゃない。こんなところに居なくていい」


 アルムははっと身を震わせた。

 まったく同じ言葉を、幼かった頃に聞いた。同じ、この場所で。


 あの時と同じように、アルムの目の前に手が差し伸べられる。異母兄の手が。


「帰るぞ。アルム」


 変わらないその言葉に、アルムはあの時と同じく、恐る恐る差し伸べられた手を掴んでいた。


 手を繋いだ瞬間、金色の光は静かに収束して消え去った。



***




 大神殿の執務室では、いつもと同じようにヨハネスが書類の山を前に頭を抱えていた。


「ああ〜忙しい忙しい、本当に心の底から忙しい〜忙しすぎて忙しい〜忙しいって言ってんだから茶会は他所でやれぇっ!!」


 自分の目の前で優雅に茶をしばくキサラ、メルセデス、ミーガンの三人に、ヨハネスはとうとう無視できなくなって怒鳴った。


「なんですの? まあ! 熱烈な告白をしたのに異母兄に美味しいところを全部持って行かれた殿下じゃありませんか!」

「えっ? 若き男爵に完膚なきまでに格の違いを見せつけられた第七王子って殿下のことだったんですの!?」

「ざまぁwww結局好きな子を連れ戻すことのできなかった甲斐性なしの神官ってどなたのことでしたっけ?」


「ええい!うるさいうるさいうるさいっ!!」


 ヨハネスは顔を真っ赤にして机を殴りつけた。


「言っておくが、俺は諦めていないからな!!アルムは大神殿に連れ戻す!!アルムは聖女だ!俺の隣にいてもらうんだ!!」


「負け犬が、見苦しい」

「無様ですわ」

「脈なしって理解できないのかしら?」


 聖女達は相変わらずヨハネスに辛辣である。

 だって、彼女達だって本音はアルムに聖女でいて欲しいのだ。誰よりも聖女にふさわしいのだから。


「でも、アルムに戻って来てもらうなら、やはり害虫の駆除が済んでからでないと……」

「何かいい駆除方法はないのでしょうかねぇ」

「先日の清めのお香もあまり効果がありませんでした……」

「俺の寝室の床一面に蚊取り線香を焚いたのはやっぱり貴様らかあああっ!!!」


 今日も今日とて、大神殿にはヨハネスの怒声が響き渡った。




 ***



「ふぅ〜……いい天気だなぁ」


 アルム・ダンリークは庭を眺めながらお茶を楽しんでいた。


「アルム様、こちらのお菓子は旦那様がアルム様にと買い求めになったものですよ」

「お兄様が?」


 にこにこと笑みを浮かべた侍女が茶菓子を差し出してくれる。

 アルムの記憶の中の彼女はいつも無表情で言葉も少なく、頑なな態度だったのだが、今では別人のようににこやかに接してくれる。


「旦那様のご命令で、アルム様はいずれ必ず聖女に選ばれるから、俗世と関わらせないようにしろ。お前達も必要最小限以外に声をかけるな。と命令されておりましたから」


 ダンリーク男爵にとっては、聖なる力を持って生まれた異母妹が、俗世との板挟みにならないように良かれと思って関わらないようにしていたのだが、結果的にアルムは聖女を辞めて大神殿を飛び出してしまった。

 最初は理由がわからなかったが、神官に酷使されていびり出されたという噂を聞いて「だったら神殿なんかに異母妹はやらねーよ! 家で令嬢として過ごさせます!」と決めてあの場所へ迎えに行ったのだった。

 もう大神殿に返す気は無いので、男爵も使用人も思う存分アルムを可愛がっている。特にアルム付きの侍女は愛らしいアルムを愛でたい気持ちを長年抑え付けていたので、現在は過保護なくらいに甘やかしている。男爵と共にアルムの縁談を握りつぶしているのも彼女である。

 ぶっちぎりで婚約の打診が多いのは王家——第五王子と第七王子だ。普通であれば男爵家ごときが断れる縁談ではないのだが、ダンリーク男爵はいつも速やかに申し出を葬っている。


 アルムは庭に置かれたベンチに腰掛けている。あの廃公園で寝そべっていたベンチだ。

 男爵がアルムのためにベンチを男爵家の庭に移設してくれたのだ。


「あっ。そろそろ時間だわ」


 アルムはいそいそとリモート聖女会議の準備をする。元聖女のアルムが参加していいのかと思うが、キサラ達からは歓迎されるのでいつも参加させてもらっている。

 大神殿に行くことなく、ベンチから動かずに参加できるので、第七王子と顔を合わせなくて済む。

 快適な生活だ。

 しかし、


(快適すぎて、ベンチから動きたくなくなっちゃう!)


 廃公園では常に結界を張っていた。

 しかし、今のアルムはそれさえもしていない。


 元ホームレス聖女アルム・ダンリークは、ようやく安心できる居場所をみつけたのかもしれない。


 異母兄が差し伸べた手のように、次に手を差し伸べてアルムを立ち上がらせて連れて行くことが出来る者は、果たして第七王子か、第五王子か、或いはまだ見ぬ誰かなのか。


 今はまだ、誰にもわからない。




完 

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