第29話 突然の命令




 今日もまたアルムはベンチに寝転がってだらだらしていた。


 しかし、その平和は一人の男によって打ち破られた。


「アルムっ!!」

「え?」


 身を起こしたアルムが目にしたのは、頭から紙袋を被って荒い息を吐く男の姿だった。


「お前に伝えたいことがあるんだ! ウニにならずに聞いてくれ!!」

「……ヨハネス殿下?」


 頭に紙袋を被って、はあ〜はあ〜と荒い息を吐いているのがこの国の第七王子であり神官である。

 彼は聖女アルムの視界に入るとウニになられてしまうため、苦肉の策で顔を隠しているのだが、隠し方が隠し方なので変態にしか見えない。


「ア、アルム……俺は……俺はぁ……」

「ひっ」


 アルムは小さく悲鳴をあげてベンチの背に縋り付いた。

 無理もない。アルムは聖女とはいえまだ十五歳の少女である。どう見ても変態にしか見えない格好の男が荒い息を吐きながらじりじり迫ってきているのである。恐怖以外の何者でもない。


 アルムの目に今のヨハネスは変態にしか見えなかったが、それはアルムの元にやって来た貧民地区の住民達にとっても同じだった。

 彼らが目にしたのは「おれ達のアルムちゃんが変質者に迫られて怯えている図」である。


「なんだテメェ!」

「アルムちゃんに近寄るな変態野郎!」

「ふてぇ野郎だ!」

「な、なんだお前ら!俺は王子だぞ!」


 あっという間に貧民地区の住民に取り囲まれて狼狽える第七王子。


「皆さん!そのまま取り押さえていらして!トドメはわたくしが!!」


 アルムが心配でヨハネスを追いかけてきたキサラがどさくさに紛れて光魔法をぶちかまそうとする。


 そんなカオスな現場に、一台の馬車が到着した。


「なんだ、この騒ぎは……?」


 馬車から降りた男が眉を顰める。


「お、お前はクレンドール候。なぜ、ここに……」

「あなたこそ何を?第七王子」


 住民達に腕ひしぎ十字固めを決められているヨハネスが尋ねると、クレンドールは彼を冷たい目で見下ろした。


「私はここに用があって来たのですよ。ここに、というより、聖女アルムにね」


 クレンドールはつかつかと廃公園に近寄ると、アルムの張った結界ぎりぎりの場所で立ち止まった。

 そして、手にした書類をアルムに見せて言った。


「この地が再開発地区に指定された。ついては、この土地は国が買い上げることになる。聖女アルムに、三日以内に立ち退きを命じる」

「立ち退き!?」


 アルムは目を丸くした。


「ちょっと待ってください。この土地は私が買ったのに……」

「そうだぞ! 国が無理やり土地を取り上げるつもりか!?」


 アルムは戸惑い、アルムの味方の住民達もクレンドールを睨みつけた。だが、彼は余裕の笑みを浮かべてアルムに対峙する。


「確かに、通常であれば無理やり土地の権利を奪うことなどできない。ただし、それが世のため人のためであれば話は別だ。

 王国法では「その目的が公共の福祉に必要である特別の理由があれば、土地所有者に相応の金銭を支払うことで土地を強制的に買い上げることができる」と認められておる」


 第二王子が福祉に目覚めたせいで法律書をおさらいする羽目になったクレンドールだが、そのおかげでこの法律を思い出すことが出来た。


「ここら一帯に貧民地区の住民が住める集合住宅と働ける場所を作る計画だ。つまり、ここが立派な街になるのだ」


 クレンドールはにやにやと笑ってアルムを見た。


「聖女であれば、住民達にとってそれが良いことだと理解できるだろう?」


 アルムは唇を噛んだ。

 今はぼろぼろの見捨てられた貧民地区に国の予算が回され、街として整備されるということだ。貧民地区の住民からすれば夢のような話だろう。住む場所も、働く場所もできれば、貧しさから脱却できる。


「おい、なんだかよくわからねぇが、アルムちゃんを他所にやるつもりなのか?」

「んなこと許さねぇぜ」

「アルムちゃんがいなくなったら困るんだよ」


 血の気の多い連中がクレンドールに絡みに行くが、クレンドールはふっと鼻で笑った後で猫なで声を出した。


「いやあ、大丈夫。アルム様がここからいなくなっても、あなた達の祈りはアルム様に届きますよ。アルム様は決して貧民地区を見捨てない——慈愛の聖女です! まさに、この国の王妃にふさわしい!」


 後ろの方を強く発言すると、住民達はぽかんと口を開けた。


「王妃?」

「アルムちゃんは王妃になるのかい?」


 首を傾げる住民達に、クレンドールはまるで決まったことのように言う。


「アルム様はロネーカ公爵家の養子となり、ワイオネル様と結婚することになっている」

「ふざけるなクレンドール!そんな話は聞いていない!」


 ヨハネスが激昂して食ってかかるが、クレンドールはどこ吹く風だ。アルムは男爵令嬢なので王妃にするには高位貴族の養子にならなければならない。ロネーカ公爵家は第一王子の婚約者の生家であるため、クレンドール的にはバカップルが頭を過ってイラッとするのだが、ロネーカ公爵は若い頃にクレンドールのペン技で倒しているので脅せば命令を聞く。

 クレンドールと公爵家がアルムの後ろ盾になれば誰も文句は言えない。アルムを気に入っている第五王子に恩を売れる。


「ワイオネル様はアルム様に大変感謝と敬愛を抱いておられる様子。人気と実力のある聖女アルム様を妃に迎えれば、今の王家に失望している者供も希望を抱き新たな王に忠誠を誓うでしょう。御兄君のためにどうぞヨハネス様もご協力を」

「……っ」


 今の王家——自分達の父母が犯した愚行は、どんなに箝口令を敷いても完全に消し去ることは出来ないだろう。王家の信用は失墜する。新たな王となるワイオネルの妃には、民衆から人気のある聖女のような人物が必要だ。

 アルムはまさにぴったりだ。


 臣下として、譲らなければならない場面である。

 だが、ヨハネスは引き下がることが出来なかった。


「だが、俺は……アルムのことがっ……!」


 ヨハネスが自分の胸の内を叫ぼうとしたその時、殿下、とひどく冷静な声が響いた。キサラの声だ。


「殿下、ウニです」

「何?」


 慌ててヨハネスが目を向けると、アルムが黒いウニになっていた。さっきから第七王子と知らないおっさんが何か話しているが、理解したくないし第七王子の顔を見たくないしもういいやウニになっちゃえ!と思考を放棄したアルムの姿だ。


(皆、早く帰れ……)


 アルムはウニの内部で膝を抱えて呟いた。



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