第23話 元聖女の癒しの力




 今日もじきに日が沈む。

 西の空へ落ちていく太陽を眺めて、アルムはぼんやりと物思いに耽っていた。


「明日はどうやってだらだらしようかなぁ……」


 勤労に励む民に聞かれたらどつかれそうな台詞であるが、アルムはここに来るまでにとんでもないブラック労働を強いられていたのだ。現在は精神と肉体の回復期間なのである。療養中なのだ。


「起きてから考えるか~」


 ベンチにごろりと横になろうとした時、夕日を背景に小さな影が道を横切ろうとするのが見えた。


「ヒンド?」


 よろよろと歩いてきたのは貧民地区に住まう兄弟の兄の方だった。

 苦しそうに腹を押さえて、青ざめた顔に脂汗を滲ませているその様子に、アルムは寝転がろうとしていた体勢を整えて声をかけた。


「どうしたの?」

「あ……聖女様……」


 ヒンドは力の入らない声で応えた。


「俺が下働きしているお屋敷で……階下の使用人が皆倒れて……なんかの病らしいけど……俺も、さっきから具合が……病だったら治るまで帰れない……ドミにも、皆にも移すわけには……」


 貧民地区で病が流行ることの恐ろしさを、ヒンドはよく知っている。医者にかかれるような者はいない。自然に治るまで待つか、死ぬだけだ。

 自分が病にかかっている可能性がある以上、貧民地区には戻れない。ヒンドは行くあてもなくさまよっていた。


「聖女様……俺は仕事でしばらく帰れないと、ドミに伝えてもらえますか……? 治るまでは、独りでどこかに……」

「ほっ」


 アルムがヒンドに向かって手をかざすと、途端にヒンドの体を襲っていた痛みと不快感がすうっと消えてなくなった。


「え?」

「治したから帰っていいよ」


 目を白黒させるヒンドに、アルムはなんてことないように言った。


「……聖女様は、病も癒せるんですか?」


 ヒンドは信じられないというように自分の体を見下ろした。

 アルムが病を治せるのは、ヨハネスに酷使されていた頃に自分の体の不調をちょいちょい治していたためだ。何せ、風邪でも引こうものなら「自己管理が出来ていない」と叱られたもので。


「たまたま私が治せる病気だったから。全部の病気を治せる訳じゃないから他の人間には言わないでね」


 不治の病の者が期待して押し寄せてきたら困る。アルムが治せるのは風邪などの感染症で、かつ病人に自己治癒出来る体力がある場合だけだ。


 ヒンドは何度も何度もお礼を言って帰って行った。

 それを見送ってから、アルムは「さて」と呟いて大神殿の方角へ目を向けた。


 アルムは目を閉じて心の中で呼びかけた。


『キサラ様……キサラ様……聞こえますか?』


 その時、聖女キサラは大神殿の私室で『第七王子駆除計画』を練っている最中だった。

 突如として頭の中に響いた少女の声に、驚いてペンを落とした。


「アルム?」

『キサラ様……少々お時間よろしいでしょうか?』

「ええ。かまわないけれど」


 キサラはきょろきょろ辺りを見回したが、もちろんアルムは近くにいない。


(これは……古の大聖女が使ったという『思心伝術』!?)


 伝説の中に存在する術を今まさに体感していることに、キサラは驚愕した。

 伝説の大聖女以外には使える者がいないとされるこの術をアルムが使えるとは。いやそれより、アルムがこの術を使わねばならないほどの事態が起きているということだろうか。


「アルム? もしやまた害虫……ヨハネス殿下があなたの元へ行って何か強要しようとしたの? 遠慮はいらないわ。憲兵に突き出してその後はすべて忘れなさい。私達が何もかも証言するわ。どんな手を使ってでも接近禁止令を勝ち取るわ」


 キサラは拳を握りしめた。彼女の脳内には「勝訴」と書かれた半紙を得意げに広げる自分の姿が浮かんでいた。


『いえ、そうではなく……最近、城下で流行病が起こっているのですか?』

「流行病?」


 キサラは眉をひそめた。


「いいえ。そのような話は聞いていないわ」

『そうですか。実は貧民地区の子供が下働きしている屋敷で使用人達が病で倒れたと……』


 キサラは難しい表情になった。そうした病が起きた場合、通常は王宮へ報告があげられ、それから大神殿へ疫病を祓う儀式や病人を癒すための聖女の祈りを行うよう依頼が来る。

 キサラは何も聞いていないし、ヨハネスも何も言っていなかった。依頼は来ていないということだ。


「報告が遅れているだけかしら……」

『だといいのですが、私はこれからそのお屋敷の人々を治してきます』

「あなたが行くの?」

『いいえ、行きません。遠隔で済ませます』

「遠隔で?」


 キサラが問い返すと、アルムはなんてことのないように応える。


『私、以前から城下で流行病が起きそうになると大神殿で働きながら遠隔で治していたので』

「そうなの!?」

『はい。流行病が広がれば仕事が増えるので……』


 これ以上仕事を増やしたくない一心で身につけた遠隔治癒が役に立つと語るアルムに、キサラはこめかみを押さえた。

 大神殿での激務に加えて、流行病の発生を防いでいたというアルムの人知れぬ善行に涙が出そうになった。


『つきましては、お願いがあるのですが』


 アルムは少し改まった口調になった。


『これからお屋敷の人達を治しに行くのですが、その際に「元聖女」では怪しまれるかもしれないので、辞めた身ですけれど「聖女」と名乗る許可を一時的にいただけないかと』

「それはまったく問題ないけれど……」


 むしろアルムなら勝手に「大聖女」と名乗っても許されるレベルなのでは? とキサラは首を傾げた。


「遠隔と言っていたけれど、お屋敷の人にもこうして頭に語りかけるの?」

『いえ。やはり顔を見せないと信用してもらえないと思うので……こう』


 突如、キサラの目の前の空間に半透明の箱のようなものが浮かんだと思うと、その箱の表面にアルムの胸から上の姿が映し出された。


『これで行こうかと……「リモート聖女」です』

「リモート聖女!?」


 なんだか新しい響きである。


『では、また報告にあがります。ごきげんよう』


 挨拶を残して、アルムの姿がふっと消えた。

 キサラは何もなくなった空間を眺めて、ふっと溜め息を吐いた。


「酷使したことは許せないけれど、ヨハネス殿下の気持ちも少しわかるわね……」


 あれだけの能力を見せつけられては、それを有効に使いたいという欲が湧いてくるのも無理はない。ただ、ヨハネスのは明らかに度を超えてやり過ぎだった。


「ヨハネス殿下を追い出して、アルムにのんびりと働いてもらうのが一番なのよね~」


 筆頭聖女の心の中で追い出されることが決定しているヨハネス・シャステル(16)。職業神官兼第七王子。

 ドンマイ。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る