第19話 元聖女の憤慨



 先日の第二王子はなんだったのだろう。

 お茶を飲みながら、アルムはふと思った。

 今回ばかりはアルムは正真正銘何もしていない。一言も喋らないうちに、第二王子が勝手に何かを決意して去って行ってしまった。何の用だったのかさっぱりわからない。


「やだなぁ……なんで王子がこの辺をうろちょろしてんのよ」


 アルムがここへ来て以来、王子の出没が頻繁に起きている。ここら一帯がこんな王子出没地帯だったなんて聞いていない。「王子出没注意」と書かれた看板でも立てておいてくれたら、この公園の土地の購入をためらったかもしれないのに。


「王子だけ貧民地区に足を踏み入れた途端に城へワープする術でも仕掛けておこうかな」

「そんなことまで出来るのか?」

「ぎゃわっ」


 危うくお茶をひっくり返すところだった。

 結界の外にいつの間にか第五王子が立っていて、アルムをじっとみつめていた。


「ななな、何か御用ですか?」

「落ち着け。お前は何か事情があってここにいるのだろう? 無理に連れ戻すつもりはない」


 第五王子ワイオネルはアルムの不安を押さえるように静かに語りかけてきた。

 アルムはお茶のカップを消して、ワイオネルに向き直った。


「お前は素晴らしい癒しの聖女だ。傲慢な第一王子と第二王子が、まるで憑き物が落ちたかのように人が変わって、他人を思いやることの出来る真人間になった。彼らを諭し、変えてくれた礼を言いたくて来た」


 そう言われて、アルムは首を傾げた。


「私は何もしていません」


 正真正銘、何もしていない。第一王子は丁重に送り返したし、第二王子に至っては突然やってきて勝手に帰っていっただけだ。


「謙遜しなくていい。彼らはお前に会いに行って、変わって帰ってきた。お前の清浄さに触れて心に思うものがあったのだろう」


 ワイオネルはアルムが彼らを変えたと信じ込んでいるようだが、そんなわけがないとアルムは知っている。

 アルムにそんな風に人を変える力があるとしたら、ヨハネスがあんな非人道的な人間のままであるはずがない。

 ヨハネスの仕打ちを思い出して、アルムは「うっぷ」と思わずこみ上げた吐き気を堪えた。


 好きな女の子に思い出すだけで吐き気を催されている第七王子、その名をヨハネス・シャステルという。

 実に、ご愁傷様である。



***



 ワイオネルは立太子も間近と言われる第五王子である。本来、このような貧民地区に足を踏み入れるべきではない。

 そうわかってはいるのだが、聖女アルムがそこにいると思うと何故か足を向けてしまう。

 アルムには、人を引きつけるオーラがあると感じた。そして、そのオーラは触れた者の心を慰撫し汚れを取り除いてくれるのだろう。第一王子と第二王子が変わったのを見て、ワイオネルはそう確信していた。


 それにしても、アルムがこの公園のベンチから動かない理由がわからない。いくら結界を張っているとはいえ、屋外では真に心が安まることはないのではないか。


「アルムよ。お前がここに留まらなければならない理由はなんだ?」

「家がないからですけど……」


 アルムの答えは簡潔だった。理由も何も、アルムはホームレスなのだ。


「聖女の家である大神殿も、実家のダンリーク男爵家も、お前の家ではないと?」


 アルムは口を噤んだ。大神殿に戻るつもりはないし、ダンリーク家はただ育ててもらっただけでアルムの家ではない。

 だが、それを第五王子に説明してやる義理もない。


「ここに留まる理由がなく、ただ帰る場所がないだけというなら、他に家を用意してやってもいい。望むなら、王宮に部屋を与えてやろう」


 アルムはぱちくりと目を見開いた。


 アルムは王宮に足を踏み入れたことがない。二月に一度、清めの儀式を行うために聖女が王宮を訪れるが、その役目は侯爵令嬢であるキサラがいつも担っていた。

 他の仕事は全部アルムに押しつけたくせに、ヨハネスはアルムが大神殿の外に出る仕事は他の聖女へ任せてしまっていた。


 しかし、そんなアルムでも王宮に部屋を与えられるということがどういうことかぐらいわかる。


 王子の公式寵妃になるということだ。


 王子が国王になったら後宮へ引っ越して、身分的に正妃にはなれないので寵妃止まり、もしも子供を産めば第○妃と数えられる身になる。


 アルムは無言のまま片手を上げた。


「お?」


 体がふわっと浮き上がって、ワイオネルは目を点にした。


 次の瞬間、第五王子の体が空の彼方へ吹っ飛んだ。


「おおおおおおっ!?」


 何か、目に見えない板に乗せられて、それが目に見えない半円形の橋を滑っていくようだ。ものすごいスピードで。


 瞬く間に城へたどり着いて、見えない橋と板が消えた。

 べちゃっと城の門の前に落とされて、突然空から降ってきた第五王子に門番が目を白黒させた。




「ふう……」


 アルムは手を下ろして息を吐いた。

 ちょっと手荒に扱ってしまったが、仕方がないだろう。今のは全面的に第五王子が悪いのだ。


「私、これでも元聖女! あと、十五歳!」


 アルムはベンチに寝転がると頬を膨らませてぷんぷん怒った。

 第七王子がパワハラ野郎で、第五王子がセクハラ野郎だなんて!



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