第15話 帰る場所
寂れた公園を石もて追われ、這々の体で逃げ帰ったヨハネスを見てサミュエルは目を丸くした。
「いったい何が……」
「聖女に扇動された民衆にやられました……」
「な、何故、聖女がそんなことを?」
事情を知らないサミュエルは大神殿で何が起こっているのか不安になった。昨夜は暗殺者に狙われているとか言っていたし、第七王子が狙われなければならない事態でも起きているのだろうか。
「……と、こういう訳でして」
ヨハネスはこれまでの流れをかいつまんで説明した。
このところ誰もヨハネスの言い分を聞いてくれないので、サミュエルが黙って最後まで聞いてくれたことでヨハネスの肩の力が抜けた。
「アルムには誰もかなわない力があるんです! それなのに……」
ぶつぶつと愚痴るヨハネスに、サミュエルは困ったように首を傾げた。
「お前がそう思っているならそれだけで良かったじゃないか。何故、他の者にまで思い知らせようとしたんだい」
「それは……ですから、アルムが正当に評価されていなかったからで」
「評価されることを、聖女アルムは望んでいたのかな」
ヨハネスは口を噤んだ。
「聖女アルムはたぐいまれなる能力を持っていた。それはいい。ヨハネスが彼女の能力を知らしめたいと思ったのも悪いことではない。
だが、能力を持っているからといって、全てのことを能力を持つ者に押しつけていいわけではないだろう?」
「確かにそうですが……」
「お前はすごい能力を持つ聖女をみつけて、その存在を無意識に見つけた自分のものだと思いこんでしまったんじゃないか?」
「……」
サミュエルに言われると、内容に反発する気にならない。大神殿で聖女達や聖騎士達に罵倒されている時とは違い、ヨハネスは冷静なまま己のこれまでのアルムへの態度を振り返った。
他の聖女達がするべきことも全てアルムにやらせ、どんな結果を出しても満足せずにもっと上を望んだ。
それはアルムのためだと思っていたのだが。
ヨハネスの姿を目にした途端、ウニのように閉じこもってしまった彼女を見て、ヨハネスは眉をひそめた。
ウニになるほど、嫌われていた。
そう悟った瞬間、ヨハネスの背中に冷たい汗が流れた。
アルムが本気で大神殿に戻るつもりがないのではないかと気づいたのだ。
アルムが戻ってこない。もう、ヨハネスと顔を合わせることもなくなる。
「そんな……」
ヨハネスが呻くのを、サミュエルは静かに見守っていた。
***
いつの間にか結界の外に人の気配がなくなっていた。
アルムは結界を透明に戻すと、ほっと溜め息を吐いた。
もう二度と見なくていいと思っていた顔を見て動揺してしまった。
「何の用だったんだろう……いやいや、もう関係ないのだから! 気にしない気にしない!」
アルムはぷるぷる首を振って不快な記憶を振り払った。
「疲れちゃった。今日はもう寝ようかな……ん?」
アルムは公園の外からこっそりこちらを窺っている幼い子供達をみつけて首を傾げた。
小さい方は前にも見たことがある。リンゴをあげた子だ。
小さい子がくっついている少し大きな子は初めて見るが、金色の髪に青い目で意志の強そうな顔をしている。貧民地区の子であろうが、綺麗に洗って立派な服を着せれば貴族の子と見間違いそうだ。
「こんにちは、聖女様」
大きい方の子がアルムに声をかけてきた。
「こんにちは。お名前は?」
アルムもにっこり笑って尋ねた。
「俺はヒンド。こっちは弟のドミっていいます」
「ヒンドにドミね。私はアルム」
「アルム様、は、どうしてこんなところにいるのですか?」
ヒンドに尋ねられ、アルムは眉を下げた。大神殿に務めていたが神官のパワハラに耐えかねて辞職してホームレスになった、と正直に答えていいものだろうか。
幼い子供達に大人のギスギスした世界を垣間見せることはないだろう。
「ここ以外に、行くところがないからです」
アルムはそう答えて微笑んだ。
だが、ヒンドは納得できないように眉をひそめた。
「あんなにすごい能力を持っているのに、行くところがないなんて嘘です」
アルムはおや?と思った。幼いと思ったけれど、それは痩せていて栄養が足りていないせいかもしれない。実際の年齢は十を一つか二つ超えたくらいだろう。
「あなたは何歳?」
「十二。弟は十歳です」
「親はいるの?」
「気づいたら弟と二人で貧民地区にいたから。たぶん、捨て子だろうって」
アルムは眉を下げた。
「聖女様、聖女様には迎えに来てくれる人達がたくさんいるみたいでした。どうして帰らないんですか」
「……え」
「帰った方がいいと思います。帰れる場所があるんだから」
それだけ言うと、ヒンドはくるりと向きを変えてドミの手を引っ張って行ってしまった。
取り残されたアルムは、呆然としてその後ろ姿を見送った。
***
「今夜は帰りたくない……」
ヨハネスの正直な気持ちである。
何故って、大神殿に入ったらまた脱出するのに苦労する。
一度入ったら出られない大神殿ってなんだそれ。
「今日も泊まって行くかい?」
「叔父上……俺は結局、アルムに自分の欲望を押しつけていただけだったんでしょうか……」
大神殿から離れたせいか、巨大なウニを見たせいか、ヨハネスは弱気になっていた。頭からウニが離れない。
「これまでのことを悔やむなら、真摯に詫びればいいだろう。大丈夫。お前に酷使されても一生懸命に頑張っていた立派な聖女なら、お前の本当の心を理解してくれるだろう」
ヨハネスはそう言うと、ふと寂しそうに微笑んだ。
「聖女は、とても優しい。エリシアも、いつも他人のことばかり考えていた……」
ヨハネスは息を飲んだ。
王弟サミュエルの妻は、伯爵家の令嬢でもある聖女エリシアだった。彼女は十年前、火事に巻き込まれて亡くなっている。幼い息子達と共に。
妻と息子達が亡くなった時、サミュエルは病の床に就いていた。やっと起きあがれるようになった頃に妻と息子の訃報を聞かされて、サミュエルは一時ひどく荒れ狂ったという。
ヨハネスはその当時幼い子供だったが、なんとなく王宮の雰囲気が荒れていたことを覚えている。
その後、サミュエルは王宮を出た。妻と息子達を思い出して辛いという理由で。それからずっとここに一人で住んでいる。
ヨハネスは神官の修行のために大神殿を訪れた際にサミュエルと知り合い、それから懇意にしているが、彼は王弟という身分でありながら世捨て人のような暮らしをしている。
正妃である王妃が生んだ息子は第五王子ひとりのみ。他六名の王子は母親の身分が低いため王太后の子であるサミュエルより王位継承順位が低い。つまり、第五王子ワイオネルに次ぐ王位継承権第二位がサミュエルなのだ。今でもサミュエルを担いで王位を狙う派閥も存在している。
そのせいだろうか。サミュエルが王宮へ近寄ろうとしないのは。
叔父の孤独と陰謀にまみれた貴族社会を思い、ヨハネスは暗澹たる気持ちになった。
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