第12話 悪しき魂




 聖女として大神殿に務めるキサラ・デローワン侯爵令嬢は、早朝の礼拝堂で熱心に祈りを捧げていた。

 彼女と共に祈るのは、メルセデス・キャゼルヌ伯爵令嬢。そして、ミーガン・オルランド伯爵令嬢である。

 三人の美しき令嬢達は、清々しい朝の光の中で心からの祈りを捧げていた。


「おいこらあっ!!」


 その美しき祈りの風景に、無粋な大声が乱入する。


「キサラ様……不浄な者の声が……」

「耳を貸してはなりません。我々の心を汚濁にまみれさせ神に背く行いをさせようと目論む悪しき魂が迷い込んだのです」


 三人の聖女達は声を無視して祈りを続ける。


「無視するなこらっ!どういうつもりだテメェらっ!!」


 ずかずかと踏み込んできた悪しき魂が、祈りを捧げる聖女達の前に立つ。窓から差し込む光が遮られ、聖女達の顔に陰が落ちる。


「キサラ様、悪しき魂の妨害が……」

「決して負けてはなりません。我らの前にはこれからも光を遮るおぞましき怪物が現れることでしょう。しかし、聖女たるもの、たとえ暗闇に落とされたとしても、光を信じ正しき行いをなさねばなりません」

「「はい!キサラ様!」」


「いい加減にしろ!!ええい!祈るのをやめろ!!」


 キサラは伏せていた目を上げて、怒鳴りつける人物を見上げた。


「ここは貴方のいるべき場所ではありません。自らにふさわしい場所にお行きなさい。二人とも、迷える魂が天に召されるように祈りを!」

「「はい!キサラ様!!」」


「だからっ!第七王子でもある神官を天に召そうとするのをやめろ!!」


 ヨハネス・シャステルは聖女達の祈りを中断させると、怒りに赤く染めた顔で怒鳴った。


「お前らっ、あれはなんのつもりだっ!?」

「あれ、とは?」

「とぼけるな!!」


 ヨハネスは聖女達を睨みつけた。


「神殿の入り口に張られた結界のことだ!」

「悪しき魂が神殿の外に出ないように、わたくし達が力をあわせて張った高度結界でございます」

「この結界を張るために厳しい修行をいたしました」

「わたくしの力が及ばず、キサラ様、メルセデス様にご負担をかけてしまって……」

「何を言うの? 貴方の力が欠けては結界が完成しなかったわ」

「そうよ!胸を張ってちょうだい!」

「そんなことは聞いていないっ! 俺が聞きたいのは、なんで俺が神殿から出ようとするとその高度結界が発動するのかってことだ!」


 これまでヨハネスはアルムを取り戻しにいくのをことごとく邪魔されてきた。犯人は聖女達と聖騎士達だ。身内の犯行である。

 どうあっても邪魔されるならばと、誰の目にも付かないうちに抜け出してしまえと早朝に「アルム連れ戻し計画」を始動させたというのに、意気揚々と神殿から出ようとしたヨハネスを高度結界が阻んだ。

 その阻み方にもちょっともの申したい。

 普通、結界に阻まれるって、それ以上進めない、という現象を指すものだと思うのだが、今朝、ヨハネスを襲ったのはそんな生やさしいものではなかった。


「神殿から出ようとしたら頭上から聖天使が聖なる斧を振り下ろしてくるなんて予想できるか!!」


 聖天使とは神に使える聖霊であり、神の武器を使って神の敵を打ち倒すという伝説がある。そんな存在が力を貸している。聖女達の祈りが神に届いた証である。

 そしてさりげなく神官が神の敵扱いされている。


「おお、聖天使よ。感謝します」

「ふざけんなっ!!」


 今日もまた、大神殿から出られないヨハネスであった。



***



 宰相クレンドール候は苛立ちを隠せなかった。


「それで、聖女アルムはいまだ貧民地区にいるという訳ですな!」

「ああ。彼女はまさに聖女だよ」


 ゆったりと紅茶のカップを傾けつつ、第一王子ヴェンデルが静かに微笑んだ。

 その微笑みは天の画家が筆を振るったかのごとく優美であり、大輪の花のごとく馥郁たる芳香を放つよう。

 美しき第一王子は聞いた者の心を震わすような声音で囁いた。


「聖女アルムは私に忘れていた大切なことを思い出させてくれたのさ」


 第一王子は変わった。美しさを鼻に掛け、数多の令嬢達と浮き名を流す放蕩者の陰は今は少しも見られない。

 頭が堅く美しくもないと毛嫌いしていた婚約者との仲が改善したと王宮内でもっぱらの噂だ。


 クレンドール候は予想外の事態に歯噛みした。

 顔がいいだけの無能な王子は便利に使える駒だったというのに、このままでは駒として使い物にならない。


「殿下。しかし、聖女を保護することが我らの……」

「心配いらない。大神殿からは何も言ってこないのだろう? ならば大神殿も聖女アルムのことは把握しているのであろう。我々がしゃしゃり出ることは無用な衝突を生むだろう」


 第一王子は優美な動作でカップを下ろした。

 その時、王宮の庭を第一王子の婚約者であるビアンカ・ロネーカ公爵令嬢が通りかかった。

 それに気づいた第一王子が素早く立ち上がった。

 そして——


「びあんくぁ~! お仕事終わった~?」


 舌っ足らずな喋り方で、第一王子が婚約者の元へ駆けていく。


「あら、殿下ったら。宰相様とお話中ではありませんの? いけませんわ。話の途中で席をたったりしては」

「だってだって~! びあんきゃが僕を置いて行っちゃうと思ったからぁ~!」

「んもー、仕方のない殿下ですわねぇ。悪い子! めっ!ですわよ」

「ぶー!」

「あらあら。そんなに膨れないの」


 公爵令嬢は腰に抱きついてきた第一王子の頭をよしよしと撫でた。


「もう~。先日、巨大な木の根に包まれて帰ってきたと思ったら、突然甘えん坊になってしまわれて……」

「僕は気づいたのさ! これまでの僕は劣等感や復讐感を女達にぶつけていた。だが、僕が本当に欲しかったものは、ただの純粋な愛だけだったんだ……そう、不興を買ってでも僕を諫め、決して見捨てなかった君の愛があれば、それで良かったんだ!」

「殿下ったら……」


 公爵令嬢が頬を染める。

 巨大な木の根に包まれてすやすや眠る第一王子の帰還に、つい先日の王宮は大騒ぎになったのであるが、目覚めた王子はさっぱりと憑き物が落ちたような顔をしており、心配して尋ねてきた婚約者を温かく出迎えこれまでの仕打ちを詫びた。

 訝しむ周囲をよそに、第一王子はこれまで侍らせていた女達にも謝罪をして縁を切り、婚約者一筋になってしまったのである。

 それはいいのだが、


「びあんきゃぁ~♡」

「きゃっ。殿下ったらいけませんわ、こんなところで。宰相様が見てる!」

「じゃあ向こうで二人きりで膝枕してほちぃな~」

「もぉ~困ったさんなんだからぁ」


 第一王子と公爵令嬢はいちゃいちゃしながら去っていった。


 それを見送ったクレンドール候は青筋を立てて歯噛みした。


「おのれ……聖女アルムめ! 色香に迷わぬばかりか、第一王子をオギャらせるとは!」


 どんな手を使ったか知らないが、思った以上に手強い相手のようだ。


「このままではすまさんっ! すまさんぞぉぉっ!」


 便利に使える駒を一つ駄目にされて、クレンドール候の胸に復讐心が湧き起こったのだった。



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