第6話 元聖女と第五王子




***



 ヨハネスが腐った神官の愚行の尻拭いをしていた頃、第五王子ワイオネルは貧民地区を目指して歩いていた。

 一緒に歩く護衛の者は頻りに戻るように勧めてくる。ワイオネルも普段ならそんな場所に近寄りはしないが、今日は何故だか例の目撃証言が気にかかった。こんなところに聖女がいるはずはないのに。


(それにしても、こちら側はこんなにも寂れていたのか。これまで目にしたことがなかったな)


 貧民地区のある東側との間は川で隔てられており、その川一つを越えれば景色が一変した。同じ王都とは思えない。


(では、貧民地区はもっと悲惨な環境ということか。なんとかしたいものだが……)


 現状は第五王子でしかないワイオネルに政治に携わる資格はない。立太子すればある程度は口を出せるようになるが、優秀な彼を王太子に立てたくないと画策する者も多く、ワイオネル自身の先行きが不透明であるのに貧民地区に関わっている余裕はなかった。


(しかし、こんなところに若い少女がやってくるとは思えないが……)


 そう思いながら貧民地区へ続く道を歩いていた時だった。


「は~、落ち着くわ~。おひとり様万歳~」


 貧民地区の手前に荒れ果てた小さな空き地があり、その真ん中にベンチがあった。

 そのベンチに長々と横になり、ばりばり煎餅をかじっている少女は、確かに聖女のまとう法衣を着ていた。


「おい。お前は聖女か?」

「んあ?」


 空き地に足を踏み入れようとしたワイオネルだったが、見えない壁に阻まれたように体が跳ね返った。


「これは……結界か?」


 ワイオネルは愕然とした。見た目にはまったく何も見えない。しかし、確かに目の前に堅固な壁がある。どうやら空き地を結界で覆っているらしい。


「ここに何か浄化すべきものがあるのだな? しかし、何故護衛の聖騎士がいないのだ?」


 聖女は一人、ベンチに寝そべっている。もしかしたら、結界を維持する疲労で立ち上がれないのかもしれない。


「聖女を護るのも聖騎士の役目であろうに。どういうことだ」


 ワイオネルは眉根を寄せた。帰ったらヨハネスを問いつめねばなるまい。何故、彼女一人を貧民地区へ派遣したのかを。


「お前、名は何という?」

「ふえ?」


 アルムは目を瞬いた。ゆったりとくつろいでいたら、見ず知らずの青年が勝手に結界にぶち当たって何かぶつぶつ喋っている。

 明らかに高価な服を着ているし、従者を連れていることからしても高位貴族の子弟に違いない。


(やだなぁ。関わりたくないや)


 アルムは平穏な暮らしに入ってこようとする貴族に眉をしかめた。


「おい、聞こえないのか?」

「聞こえてますけど……」

「名は何という?」


 重ねて問われて、仕方がなくアルムは答えた。


「アルム・ダンリークです」

「ダンリーク? ダンリーク男爵家か。大神殿の聖女ではないか」


 大神殿にいる四人の聖女の名前を、ワイオネルもちゃんと知っていた。


「あなたは誰ですか?」

「俺はワイオネル・シャステル。この国の第五王子だ」


 ワイオネルが名乗った。その途端、


 ずざざざざっ!


 耳障りな音が地面を這うように近づいてきて、ワイオネルの眼前に巨大な砂の壁が出来上がった。


「何!?」


 壁の向こうの少女の姿が見えなくなったことに、ワイオネルは狼狽えた。


「どうした!? 何かあったのか!?」


 壁を叩いて尋ねるが、答えは返ってこない。


「くっ……俺にはどうしようもない。ヨハネスを呼んでこなければ……っ」


 壁の向こうの聖女に何があったのか、法力のない自分では何もわからない。


「待っていろ! すぐに助ける!」


 ワイオネルは壁に向かってそう告げると、身を翻して貧民地区を後にした。


***



 貧民地区の住人達は頭を寄せ合って悩んでいた。


「王宮に訴えよう!」

「無駄に決まっている。貧民地区の訴えなぞ、まともに取り合っちゃもらえんさ」

「東地区以外の共同井戸に行っても同じことだろうな……」


 井戸を使えないのならば、川の水を汲むしかない。土の混ざった濁った水で命を繋ぐしか、貧民地区の住人には残されていなかった。


「くそっ……あいつらは俺達が死んだって「ゴミが減った」くらいにしか思わないんだ!」

「いっそのこと戦うか?」

「無駄だ。どちらにしろ、貧民地区は全滅だ」


 大人達の話し合いを覗いて、ヒンドとドミはぎゅっと唇を噛んだ。


「兄ちゃん……」

「くそっ! ここの井戸が砂で埋まりさえしなきゃ……」


 ヒンドが悔しげに呻いた。

 その時だった。


 ひゅうぅ……


 風の巻き起こる音が聞こえた。次の瞬間、足元の地面に積もっていた砂が、風に巻き上げられて砂竜巻を作った。


「うわっ!?」


 貧民地区の住人達が驚いて目と口を押さえる。

 風は強くうねり、どんどん砂を巻き上げていく。そして、勢いよく貧民地区の外へ流れ出していった。


「な、何だったんだ……?」


 風が収まった後、人々は恐る恐る顔を上げた。


「いったい……?」

「兄ちゃん、見て。砂がなくなってるよ!」


 見ると、地面を覆っていた砂がすっかりなくなっていた。


「お、おい! 見ろ!」


 誰かが叫んだ。


「井戸の底が!」


 慌てて井戸に駆け寄った人々は、井戸を埋め尽くしていた砂がなくなり、底の方から水が湧き出てくる音がするのを聞いた。




 ***




「こんなところまで王子が来るだなんて……」


 砂の壁を作ったアルムは、ベンチに座ったまま身を震わせた。

 きっと、自分を連れ戻しに来たに違いない。


「冗談じゃない。もう大神殿になんか戻らないんだから……っ」


 アルムが腕を一振りすると、壁を形作っていた大量の砂が空中に舞い上がった。


「砂漠に戻れ!」


 命じると、大量の砂は王都の外の砂漠へと戻っていく。


「ふう……もう、放っておいてよ」


 アルムは再びベンチに寝転がってぼやいた。



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