第5話 貧民地区の兄弟





 王都の外に広がるハガル砂漠から飛んでくる砂が、貧民地区の地面に積もっている。

 貧民地区の真ん中には井戸があり、昔は住民の喉を潤していた。

 だが、数年前から井戸にも砂が積もり、今ではすっかり埋まってしまっている。

 他に水を得られる場所は貧民地区にはなく、王都のずっと離れた共同井戸まで行って水を汲んでこなければならないのだが、水を汲んで帰ってくるだけで一日の時間の大部分を削られてしまう。また、非力な女子供しかいない家では水汲みは大変な重労働だった。


 貧民地区に住む幼い兄弟、兄のヒンドと弟のドミは空になった水瓶を覗き込んで眉を曇らせた。


「兄ちゃん。水を汲みに行かなきゃならないね」


 幼い兄弟にとって、水汲みは一日仕事だ。

 水汲みに一日を費やせば、当然働けなくてその日の収入はなくなる。


「仕方がない。行くぞ」


 それぞれ手に水瓶を抱えて、兄弟は共同井戸を目指して歩いていった。

 だが、ようやく辿り着いた共同井戸では、先に出た貧民地区の住人が、男達となにやら揉めていた。


「そんな滅茶苦茶な話があるか!」

「そう決まったのだ。従えないなら他の場所で水を汲んでもらおう」


 役人のような男が、偉そうにふんぞり返っている。


「他の居住区の井戸を使う場合は使用料を払うこと。ここは東の居住区の共同井戸だ。貧民地区の貴様等が水を汲みたければ、一回につき20ルペラ払ってもらおう」

「ふざけるな!」


 貧民地区の人間が役人に食ってかかる。

 ちなみに、10ルペラで安いパンが一片買える。貧民地区の人間には水を汲むためだけに20ルペラも払える訳がなかった。


「貧民地区の井戸は何年も前に砂に埋まってしまって使えない! 何とかしてくれと言っても何もしてくれないじゃないか! それなのに、他の居住区の井戸を使うなとは何事だ!」

「ええい、うるさい! これは王が決めた命令だ!」


 役人は見下した目で髭を撫でた。


「金を払いたくないなら、その辺の下水の水でも汲めばいいではないか」


 貧民地区の住人達は怒りのあまり拳を握りしめた。

 役人を殴り飛ばせばたちまち捕まってしまうので耐えたが、内心では腸が煮えくり返っていた。


「兄ちゃん……」


 ドミがヒンドに不安そうに寄り添った。

 ここで水が汲めなければ、貧民地区の住人達に生きる道は残されていなかった。



***



 貧民地区で聖女の服を着た少女を見た。

 アルムに違いない。ヨハネスはそう確信した。

 そうとわかれば、いち早くアルムを連れ戻しに行きたかった。だが、連れ戻しにいこうとした矢先に、小神殿の一つで問題が起こり、ヨハネスが対応をしなければならなくなった。

 王都にある大神殿とは別に、王都以外の町や村に十二の小神殿がある。この統率をするのも王都の神殿に仕える神官の仕事だ。


「くそっ……バガンセア小神殿の神官長は前にも似たような問題を起こしやがったな!」


 報告書を片手に、聖騎士達に指示を飛ばしながら、ヨハネスは眉をつり上げた。

 その訴えは神殿の改修費用としてバガンセア小神殿の管理区域の住人一人につき30000ルペアを強制的に徴収されたというものだった。


 神官、といえば清廉なイメージを持つかもしれないが、この国の神官は大半が腐っている。

 というのも、彼らは信仰のために神官になったのではなく、金で神官の位を買ったにすぎないからだ。

 要するに、神官という役職が、家を継げず、自らの力で役職を得られなかった大貴族の次男以下の受け皿となってしまっているのだ。

 これは小神殿の神官の任命権を国王が握っていることに原因がある。親が王家に多額の寄付を納めて神官の位を買って息子に与えるのが常態となっている。自らの力で道を切り開くことの出来なかった者達だ。そんな連中が神官になったからといっていきなり清廉な人間になる訳もない。

 どこの小神殿でも、神官は偉そうにしているだけで、実務は修道士・修道女が行っているが、何もしないならまだマシで、私腹を肥やそうとしたり贅沢な暮らしをしようとして横領や不当な徴収をする輩が後を絶たない。

 王都の大神殿だけは別だ。大神殿の神官になるためには必ず資格試験を受けなければならず、金で位を買うことは不可能だからだ。

 何故なら、大神殿には聖女が暮らしている。聖女を護ることもまた、大神殿の神官の重要な仕事だからだ。無能な者に任せる訳にはいかない。


(こんなことしてる場合じゃねえのに! 早くアルムを迎えにいってやらなくちゃあいけないのに……クソが!)


 何が改修費用だ。どうせ、自分の部屋を無駄にゴージャスにしようとしただけだろう。


(なんでこんな馬鹿共の尻拭いをしなきゃならねえんだ!!)


 ヨハネスは壁を殴りたい気持ちを抑えて、命令書を綴る手に力を込めた。





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