第23話 伝説の聖女の力に目覚めた妹が姉に本音をブチまけました

 黒い巨人が暴れている。


『ウォォォォォォ、エスティノ、勇者エスティノォォォォォォォ――――ッ!』


 勇者でも何でもない、派手に飾られただけのトマスさんを前にして、


『エスティノォォォォォォォ、どこだエスティノォォォォォォォォォォォォォ!』


 黒い巨人が、暴れている。

 巨人が鋼鉄の腕を振るうたび、王都はその形を失っていく。

 あまりにも強大な暴力は、長い時間をかけて建設された建物をたやすく破壊した。


 地面が揺れる。

 轟音が耳をつんざく。


 巻き起こる暴威は、離れた場所にいる私達にとっても災害に等しい。

 その災害は、ハイデミットで最も安全でなければならない王都で吹き荒れているのだ。


『エスティノォォォォォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオ!』


 獣の雄たけびとそう変わらない邪神の叫びが聞こえる。

 私が連れてきた義勇軍の騎士達のおかげで、すでに市民の避難は済んでいる。

 そうでなければ、一体、どれだけの死者が出ていたか。想像だけでうすら寒くなる。


 絶叫。

 轟音。

 地面の震え。


 それはもはやワンセットだ。

 そして、その組み合わせが追加されるごとに、王都の崩壊は加速していく。


 義勇軍とて、何もしていないワケではない。

 王都の外からはずっと魔法による砲撃が続いており、巨人の身に爆花を咲かせている。


 しかし、巨人は揺るがない。

 いや、そんな砲撃などまるで意に介する様子もなく、暴れ続けていた。


 目立った変化といえば魔法の砲撃によって巨人のオムツが燃え尽きたことくらいか。

 あの鋼鉄の黒い巨人は、暴れるのに忙しくて全然気づいていなさそうだけど。


 ――絶対になくしてはならない、大切な象徴であるはずなのに。


「滑稽ね」


 思わず、笑みが浮かんでしまう。


「え、何が……?」


 未だ気づいていないエリィが、私にそれを尋ねてきた。


「見てごらんなさい、あの巨人を」


 私が視線を上げると、そこにはエスティノの名を叫び、暴れ続けている巨人がいる。

 隣に立つエリィも、私に倣って巨人を見上げた。


「暴れてるね」

「そうね。腰のオムツがなくなったことにも構わず、勇者を求めて暴れているわ」


「それが、可笑しいの?」

「ええ、とっても。だってそうでしょう?」


 私は、エリィに向かってニッコリと笑いかける。


「これまで散々、性癖だ赦しだと言っておきながら、その象徴のオムツがなくなったのにそれに構わず暴れてるのよ。つまり、オムツより勇者の方が大事ってことでしょう?」

「あ……」


 ああ、漏れ出る笑いを抑えきれない。


「性癖を司る神なら、まずはオムツがなくなったことに憂い、怒らなければならないのに、実際は自分を討った勇者の方にしか関心が行っていないなんて」


 暗黒性癖邪神――、とんだ名前倒れね。これじゃあ。


『フフン、そうですよ! あいつは所詮、小物なんです! 司るものこそかなりヤバイですけど、神としてみたら小物も小物! いえ、本来は神を名乗ることすらおこがましい、ただの邪念の集合体でしかないんですよ! はぁ~、小物小物!』


 私の言葉を聞いて、小鳥の姿をした神様が調子に乗って飛び回る。


「その小物にすら勝てないからって人間に役目押し付けるお役立ち度1%未満の小物以下の小物は黙っていてくださると嬉しいので黙っていてくださいませんか?」

『ぴぃ……』

「ああ、事実を突きつけられて神様ちゃんが墜落した!?」


 地面に落ちた蚊トンボみたいな神様へ、エリィが駆け寄る。

 彼女のそういう優しいところが、私はいとおしい。


 ――さて、


「エリィ、そんなことより、ファイナル・ゴッド・フュージョンよ」

「出たソレ! 何なのよ、フュージョンって!?」


 私が言うと、途端にエリィはこちらに怪しむようなまなざしを向けてきた。

 不安、なのだろう。それは仕方がないことだ。が、


「説明している時間はないわ。状況は、一刻を争うのよ、エリィ」

「いや、して、説明」


 しかし、私が言っても、エリィは真顔のまま至極冷静に告げてきた。

 何ということだろう、と、私は思わず驚いてしまう。


 私が知っているエリィならば、こう言えば「あ、うん」と言って流されるはず。

 それが、しっかりと自分の意志を保って、私に抗ってくる。


 私が隠棲していた間に、エリィは成長していた。

 その実感に、私は嬉しくなって、微笑んでしまった。


「何で笑ってるの、お姉ちゃん!」

「怒らないで、エリィ。ちゃんと説明してあげるから」


 嬉しさを押し殺し、私は笑みを消して聖剣をエリィの前にかざした。


「ファイナル・ゴッド・フュージョンは、勇者と聖女が心を通じ合わせ、気持ちを一つにすることで引き起こすことのできる神の奇跡よ。かつての勇者が邪神を討ち切れなかった理由が、勇者がこれを使えなかったかららしいの」

「え、使えなかった? ……何で?」


 エリィが、目を丸くしながら神様の方を見る。

 神様は、何かをごまかすように嘴で己の羽根を繕っていた。私が代わって説明する。


「勇者は聖女を好きだったけど、聖女は別に勇者のことを何とも思っていなかった。気持ちは、通じ合っていなかったのよ……」

「そんな……」


「つまり、オタク君に優しいギャルなんて、所詮は幻想でしかなかったということね」

「お姉ちゃん、よくわかんないけど、そこは抉っちゃいけないと思うの」


 エリィはそう言うが、今、私達がこうなっているのも、全ては先代の勇者が邪神を討ちきれなかったのが原因である。

 それを思えば、先代勇者の名誉を粉末状になるまで微塵切りにするくらいは許されて然るべきではないだろうか。と、私は思う。

 トマスさんには口が裂けても言えないことだが。


「まぁ、いいわ。とにかく、エリィ」


 私は、エリィに向かって聖剣を持った右手を突き出す。

 握るのは、聖剣の柄の上部のみ。下半分は丸々空いている。エリィが握る部分だ。


「下の方を握りなさい。そして、一緒に邪神を倒すのよ」


 それが勇者と聖女のさだめ。いや、過去の清算、か。

 これまで、ハイデミットという大きな光によって覆われていた深い闇。それの清算だ。


「……え、ちょっと待って」


 しかし、私が促すと、返ってきたのはエリィの困惑の声。

 彼女はこちらに手を伸ばしつつも、しかし、その指先は柄を掴むことなく震えていた。


「エリィ?」

「気持ちを一つにするって、私が? お姉ちゃんと?」

「そうよ」


 私はうなずく。

 そうすることで、聖剣は神をも討つ力を発揮する。


 考えてみれば面倒くさいことこの上ないシステムなので、これについては神様をほんの一晩程度問いただしたのだが、人というファクターを介さなければ、神を討つ力は得られないとのことだった。私は翌朝、神様にご飯をあげなかった。


 しかし、それをする必要がある以上、やらなければならない。

 そのために、私はもう一度、エリィに対して聖剣を持った右手を突き出す。


「さぁ、エリィ」

「……お姉ちゃん」


 だが、私を見るエリィの目に、涙が浮かんでいた。


「無理だよ」


 告げられたその声は、消え入るほどに小さく、そして、重々しさに溢れていた。

 妹の言葉が理解しきれず、私は二秒、三秒と固まってしまう。この子は、今、何と?


「エリィ、無理、って?」


 私は、エリィに向かって問いかける。

 すると返答はなく、代わりに妹は手を引いて、私に対する態度を明らかにした。

 彼女ははっきりと顔を背け、目をそらして私を見ようとしなかった。


「エリィ――」

「だって私はッ!」


 私の機先を制するように、エリィが声を張り上げる。


「私は……、ダメな子、だもん」

「……え?」


 一転、再びか細く弱い声。

 そして、私が見るエリィの横顔を、一筋の涙が伝い落ちた。


「エリィ、どうして……」


 私は、ただただ戸惑った。

 それほど、エリィの態度の変化は急激なものだった。どうして、そんないきなり?


「……お姉ちゃんは」


 ポツリと、エリィが喋り出した。


「お姉ちゃんは、お姉ちゃんだからそんな簡単に邪神を討つとか言えるのよ。お姉ちゃんだから、ずっと頑張ってきて、聖女の力なんてなくても殿下の婚約者になれた人だから」

「待って、エリィ、それはどういう……?」

「私は、ダメな子だもん。頭も悪くて、頑張るのも嫌いな、甘えんぼだもん。そんな私なんかが、頑張り続けてきたお姉ちゃんと心を通わせるなんて、無理だよ!」


 悲壮な嘆きの中にありありと見てとれる、激しいまでのエリィの劣等感。

 それは、私が初めて聞くエリィの本音であったのかもしれない。


 どうして、こんなときに私はそれを聞かされているのか。

 いや、エリィにしてみれば、こんなときだからこそ吐露するしかなかったのか。


 エリィは、自分が私よりも優れていないという自覚を持っている。

 その自覚と、己への自信のなさが、この土壇場で妹を追い詰めてしまったのだろう。


「エリィ」


 私は、妹を呼ぶ。


「あなたが、自分に自信がないのはわかったわ。でも、大丈夫よ」


 言って、エリィにそっと手を伸ばそうとした。


「あなたは聖女。神に選ばれた、素晴らしい人間なのよ。選んだ神に問題はあるかもしれないけれど、あなたは、あなたが思っているほどくだらない人間ではないわ」

『ねぇ、ジョゼットさん。息を吐くような自然さで私のことディスるのやめません?』


 聞こえる小鳥のさえずりをガン無視キメこんで、私はエリィの頭を撫でた。


「エリィ、あなたは私の可愛い妹よ。だから――」

「違うよッ!」


 しかし、叫びと共に、私の手は打ち払われた。

 涙をあふれさせ、目を真っ赤にしたエリィが私のことをキッと睨みつけてくる。


「お姉ちゃん、わかってない! お姉ちゃんはそうやって私のことを可愛がってくれる。愛してくれる。でも、私はそれが怖いの! 辛くて、怖くて、どうしようもないの!」


 妹の叫びが、私の心臓に深く突き立った。

 怖い? 私が、この子に向ける愛情が、怖い? 辛い? 一体、何で……。

 あまりの衝撃に身を傾がせる私に、エリィがさらに訴えてくる。


「忘れてないでしょ。お姉ちゃんを田舎に追いやったの、私だよ? 本当なら、お姉ちゃんは私を恨んでなきゃおかしいの。それなのに、何回も手紙で助けてくれて……」

「それの、何がいけないというの……?」


「いけなくないよ、嬉しかった。助けてくれて、本当に嬉しかったの。……でも、同じくらい怖かったし、みじめだったよ。私は結局、お姉ちゃんに頼らなきゃ何もできないって何回も痛感したし……、それに――」

「それに?」


 言いにくそうにする妹へ、私は促す。

 すると、エリィは一度大きく息をゴクリと飲み込んで、


「いつか、お姉ちゃんが私に仕返しするんじゃないかって、ずっと、怖かったの!」

「ああ……」


 エリィの絶叫にも等しい告解に、私の口から短く声が漏れる。

 そうか、と、私の中に染み込むようにして理解と納得とが広がっていった。


 私は、エリィを大事に思っている。この子は可愛い妹だ。

 けれど彼女が私をどう見ていたか。そこを、今に至るまで考えたことがなかった。


 いや、知ってはいたのだ。

 聖女に選ばれる前のエリィは、私のことを遠ざけていた。態度でわかった。

 それが劣等感から来るものであることも、当然、理解していた。


 だが、そこから先に思考を進ませなかった。それが、いけなかったのだ。

 エリィはずっと私に、恐怖を抱き続けていたのか。


 かつての私の姿が脳裏をよぎる。

 王宮で権勢を振るい、気に入らない相手をことごとく蹴落としてきた、悪役の私。

 それを近くで見続けてきたエリィが、私を怖がらないワケがない。


 当たり前すぎる話だった。

 けれど、今の今、本人に明かされるまで全く気づけずにいた話でもあった。


「ね、わかるでしょ? お姉ちゃん」


 呆ける私へ、エリィは涙はそのままに自嘲めいた笑みを浮かべた。


「私、お姉ちゃんが何考えてるか全然わからないの。お姉ちゃんだって、私のこと、何もわかってなかった。だから、無理だよ。私とお姉ちゃんが心を一つになんて――」

「いいえ」


 結論を述べようとするエリィに、だが、私はきっぱりと言ってかぶりを振る。


「できるわ。私とあなたなら、絶対に心を一つにできる。……いいえ、私とあなただからこそ、今、この瞬間に心を重ねて一つにすることができるのよ、エリィ」

「な、お姉ちゃん、何で……!?」


 エリィが目を剥く。それはそうか。

 彼女の嘆きは確かにその通りで、私はこの子の心情をまるで理解できていなかった。


 一方で、自分が蹴落とした相手に助けられ続けてきたエリィも同じだろう。

 この子も、今の私の胸中を、量りかねているに違いない。


 その意味でいえば、私とこの子の心が通じ合うことはないだろう。

 あまりに、お互いを理解できなさ過ぎている。しかし、


『できますよ! 私が選んだ勇者と聖女ですよ! 絶対に、心が通じ合いますよ!』


 私が口を開く前に、神様が私達の頭上を飛び回って、そんなことを言い出す。


『麗しき姉妹愛! 聖女と勇者の、世界を救わんとする使命感こそ、今この場で、お二人が気持ちを一つにするための鍵なのです! さぁ、今こそ共に聖剣を――』

「あ、そういうのは特にないです」

『えっ』


 私が言うと、空中で神様が静止した。


「姉妹愛は、あるかな~と思ってましたが、現状、心を通じ合わせるとかそういうレベルの話ではないことがわかりましたので、これについては家族の問題でもありますし、後日、両親も踏まえてしっかりと話し合っていきたいところですね。あと使命感は、別に」

『あ、そうなんですね……。何か、すみません』


 私の説明に、神様は納得したのか、すごすごと引き下がっていく。


「お姉ちゃん」


 気がつくと、エリィが不安げな顔をして私を見つめていた。


「どういうこと? 私とお姉ちゃんが、心を一つにできるなんて……」

「できるわ」


 私は断言する。だって、それは絶対に、簡単にできることだから。

 しかし、エリィの様子はまだ半信半疑、いや、零信十疑、か。説明は必要だろう。


「エリィ。確かに、私とあなたはお互いにまるっきり何も理解し合えていないかもしれない。けれど、それでも絶対に心を通わせ合えるわ。私は確信しているの」

「どうやってよ! 私の何が、お姉ちゃんと通じ合うっていうの!?」

「決まっているでしょう」


 私は言った。

 何もかもが違うこの子と私の間にある、絶対に通じ合えるもの。それは、


「――怒りと、恨みと、憎しみよ」

『え、邪悪ッ!?』


 神様が驚きの声をあげたが、スルーした。

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