第18話 伝説の聖女の力に目覚めた妹がラスボスとご対面しました
「うおおおおおおおおおおおおおおォォォォォォォォォォ――――ッッ!」
混沌極まる玉座の間に、王太子殿下の絶叫が響き渡る。
彼は、その身をマントでくるんで、磨き上げられた石の床に横たわっていた。
まるで、芋虫みたいに。
「何故だ、何故、僕はこんな格好をしているんだァ――――ッ!?」
そしてまた響き渡る絶叫――、いや、悲鳴。
殿下は、床の上でその身をクネクネグニグニとのたうち回らせていた。
それこそ死にかけの芋虫みたいで、ぶっちゃけ言えば、キモかった。
しかし、私は聖女。
彼に思うところは多々あれど、まだまだ蹴り足りなくても、私は聖女だ。
目の前に苦しんでいる人がいる。
それを無視することなんて、できるはずがない。
「……殿下」
私は殿下の方に歩み寄ると、目を細め、口元を優しげに微笑んでみせた。
のたうち回っていた彼が、その動きをピタリと止めて私を見上げる。
「――エリィ?」
さっきまで私に蹴とばされていた殿下は、でも、私に救いを求めた。
助けてくれという言葉はないけれど、彼の瞳の中に揺れる光を見ればわかる。
今の殿下は、おねえちゃんに手紙を出すときの私と同じ気持ちだ。
自分じゃどうしようもなくて、とにかく助けてほしい。救ってほしいっていう。
普段、この王宮でいつでも、誰に対しても毅然とした貴公子で在り続けた殿下。
その姿はどこから見ても完全無欠で、男女問わず憧れずにはいられない。
剣も強くて、頭もよくて、カッコよくて、お金も権力も持っている。
まさに、誰もが頭に想い描く理想の王子様像そのものでしかない、王太子殿下。
そんな彼が、今、床の上に転がって、打ちひしがれている。
いつもの凛々しさはどこにも見られずに、瞳と唇を震わせて、私を見ている。
汗に濡れて乱れた前髪が頬に張り付いているその様は、いっそ哀れだ。
雨に打たれてなすすべのない子犬を思わせる今の彼の姿に、いつもの輝きはない。
そんな彼を、助けてあげたくなる。
何か、自分にできることをしてあげたくなる。
この私が――、さっきまで彼を蹴とばしていた私が、そんなことを考えてしまう。
でも、マントの下、オムツなんだよね。
「ブッ、ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッッ!!!!」
「ええええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!?」
あ、ヤッバ、ふと現実を思い出して、堪えきれずに爆笑しちゃった。
でもいーじゃん、別に?
お父様と違って、この人、素でバブバブっ子やってるんだし。
「何でだ、何でそこで笑えるんだ、エリィ!」
「えー?」
「そこは、哀れな僕に手を差し伸べる場面なんじゃないのかッ!?」
「いやだって、玉座に王冠にマントに、オムツって……」
オムツ。
そっかー、玉座に王冠にマントに、オムツかー。
……オムツかー。
…………、…………、…………、…………プッ。
「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!!!」
「目の前の現実を再認識して爆笑し直さないでくれッ!」
殿下がマントで体を隠したまま、笑う私にそんなことを訴えてくる。
何言ってんの、この人。そんなの無理に決まってるじゃない。
「ひーっ、ひーっっ、お、おなか、おなかいたい!」
私は笑いすぎてひきつりかけたおなかに手を当てて、その場にしゃがみこんだ。
ああん、脇腹がヒクヒクしてる。
それもこれも、オムツマントの殿下が面白すぎるのが悪いのよ!
「君は、何という女だ! 僕がこんなにも傷ついているというのに……!」
自分からその格好をしておきながら、何故か殿下は声を荒げる。
私は、両手でおなかを抱えながら、何とか立ち上がった彼を見上げた。
「いや、だって、殿下、あの……」
「何だ!」
「そんな格好してて、生きてるの恥ずかしくなりません?」
「君は言葉だけで僕の息の根を止めるつもりなのかッ!!?」
当然の疑問を口にしたら、殿下が急に泣きそうな顔になった。
何でだろう。殿下って実は情緒不安定な人だったのかな。やだ、怖いんですけど。
「そもそも、何だこの格好は! どうして僕がこんな――」
大声で怒鳴りかけて、殿下はいきなり視線を右往左往させた。
その顔に、ありありと驚きの色が浮かぶ。
「な、何だ、どうして城内が真っ黒に……!?」
あれ、今さら?
「それに、公爵、伯爵夫人! 一体何をしているんだ!」
殿下は、その辺でバブバブしてるお父様や他の連中に向かって声をかける。
「まんま、まんま」
「はぁ~い、坊や、オムツを替えましょうね~」
しかし、バブバブしてる連中がそれに返答することはない。
「オイ、君達! 僕の声が聞こえないのか!?」
殿下は重ねて問いかけるが、反応なんてあるワケないよねー。
「殿下がしたことでしょ」
そろそろ待つのも飽きてきたので、私は殿下に向かって言った。
「な、何だと……?」
すると、殿下は目を思いっきり丸くして、私を見る。
わぁ、すごーい。人間って驚くと、フクロウみたいな顔になるのね。
「悪い神様のバブバブバァバの何かなんでしょ、あれ?」
私は、バブバブしてるお父様を指さす。
言われた殿下の顔から、一気に血の気が引いた。顔色が完全に蒼白だ。
っていうか、その反応は何なのか。
これまで散々、私やおねえちゃんにバブバブしてきたクセに。
「あのー、殿下? バブバブクラブのこと、覚えてます?」
「バブバブ……、クラ――」
呆けたように言いながら、殿下の顔つきがいきなり険しくなる。
「ま、待ってくれ、エリィ! 僕が、バブバブクラブだとでもいうのかい!」
「え、うん」
私はうなずいた。
「キング・オブ・オムツ姿のクセに、今さら何言ってるんですか?」
「クソォ、動かぬ証拠が僕自身だから否定も反論も何一つできやしないッ!」
殿下は王冠を投げ捨てて、自分の髪をクシャクシャと掻きむしった。
その様子に、さすがに私も違和感を覚える。
「あのー、殿下?」
「何だ!」
「これまでの夜のこと、覚えてます?」
「これまでの、夜……?」
あ、この反応。覚えてない感じの反応っぽーい。
とか思っていたら、殿下は険しい顔つきのままで、私の両肩を掴んできた。
「エリィ、僕は、君に何をしたんだ?」
「あの、私だけじゃなくて、おねえちゃんも、ですけど……」
勢いに気圧されながら告げると、またも殿下は驚きにその身を強張らせた。
「ジ、ジョゼにまで……? 僕は、一体何をしたというんだ!?」
「えーと……」
「君達のようなうら若き乙女に、僕は何をしたんだ? 教えてくれ、エリィ!」
「え、本当に言っていいんですか?」
どう見ても、今のこの人、正気なんだけど。
いいのかな。本当に言っちゃっても、いいのかな……。
「いい。僕が許す。君が知る僕の罪を、教えてくれ」
「えっと、じゃあ、はい……」
必死に頼み込んでくる彼に折れて、私は、これまでのことを告げる。
「夜になるたびに『僕のママになるんだ。僕をあやすんだ。オムツを替えて、ガラガラを鳴らして、子守唄で僕を安らかな夢の中に導くんだ!』って脅しながら、寝付いても大体十分間隔で夜泣きして、一時間に一回はおもらし(大小兼ねる)をして、私にオムツを替えさせて、そこに陛下まで混ぜてきて二人して私をママ扱いして――」
「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ――――!!!???」
あ、精神崩壊した。
「い、い、生き恥すぎるゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ――――ッッ!!!!」
「ですね。まごうことなき生き恥です」
「冷静に言わないでくれ! 舌を噛み切りたい衝動を我慢できなくなる!」
いっそ噛み切ったら楽になれるんじゃないかなぁ。
と、思いはしたが言いはしなかった。って、いうか、殿下のこの反応――、
「もしかして殿下って、バブバブする趣味ないんですか?」
「ないよ! あるワケがないだろう!」
「いや、でも、これまでの(マイナスの)信頼と(バブりの)実績が」
「すまない。君が損害に対する賠償を請求する場合は真摯に対応しようと思う」
な、何てキレイな土下座!
ピシッとしていながら、柔らかさも失われてない理想的――、どうでもいいか。
「僕は、バブバブクラブを解散させようとしていたんだ」
は?
土下座したまま、何言い出すの、この人。
「バブバブクラブが政治の中枢を担っているこの国のいびつな現状を、僕はどうにかしたかった。民と共に歩む、本来あるべき国家の姿を取り戻したかったんだ」
「そうですよね。バブり野郎共に支配され続けてる大陸列強国家とか、大陸史上最高に恥ずかしいですよね! さっさと滅んじゃえばいいのに!」
「そうじゃない! 確かに君の言っていることに間違いはないし、現状、国の総力を挙げて恥を晒し続けているが、僕が言いたいのはそっちじゃない!」
えー、違うのー?
「僕は、この国の汚濁にまみれた暗部をすべて排し、民と共に新たな歴史を歩もうと、そういう健全かつ正常かつ健常な志を持ってだね――」
「でも、今はキング・オブ・オムツじゃないですか」
「ブチッ」
「あああああああああ、殿下が舌を噛み切ったァ――――!?」
せ、聖女、聖女の力で殿下を一発ヒーリング!
「ううう、津波の如く押し寄せる羞恥心に耐えきれなかったよ……」
治った殿下がぐったりとした様子で言う。
「何かごめんなさい」
さすがに悪いなと思って、私は頭を下げた。
「……いや、いいんだ。エリィ」
けれど、殿下はそんな私の頭をそっと撫でてくれた。
「悪いのは僕だ」
「殿下……?」
「陛下に――、父にバブバブクラブの解散を具申して、そこから先の夜の記憶がないんだ。きっと僕は、父に何らかの手段で操られていたんだろう」
そう言われて、私が思い出したのは、あの嵐の晩のお父様だった。
あのとき、お父様から何か黒い影のようなものが出ていった。
「じゃあ……」
「ああ」
私と殿下は、同時に陛下の方へと目を向けた。
「全ての元凶は、やはりあなたなのですね、陛下」
私の横に立った王太子殿下は、陛下に向かってそう告げて――、
「……何を、しているのですか?」
続けられたのは疑問の言葉。
私と殿下が見ている先で、陛下は、私達に背中を向けていた。
「え、何あれ?」
そこにあるモノに、私は思わず声を出してしまう。
ここは玉座の間。陛下と殿下が共に玉座について、国の威信を表す場所。
そのはずなのに、何でドレッサーがあるワケ?
そして、何で国王陛下がそこに座って鏡に向かってお化粧してるワケ?
「あ、あれはまさか……!」
驚きに身を固めていると、殿下が驚愕の声をあげる。
「緊急事態発生時にすっぴんで人前に出るのは王族的にどうなんだろう、という発想のもとに設置された、ワンタッチで床からせり上がってくるエマージェンシー・ドレッサー(衣装ケース付き)じゃないか!」
「この税金の使い方はさすがに国民に言い訳できないと思いますよ、殿下」
一気に疲れた私がそう言うと、背中を向けている陛下が不気味に笑い始める。
「フ、フ、フ、ファ、ファ、ファ、ファファファファファ……」
くっ、いかにもラスボスっぽい笑い方。雰囲気からしてラスボスっぽいわ。
「ついに、このときが来た――」
そう言って、国王陛下が立ち上がり、こっちを振り向く。
「あたくしが、全ての坊や達のママになる日がッ!」
陛下は、女装していた。
その唇には真っ赤なルージュ。目にはバシバシのアイシャドウ。頬には頬紅。
そして頭に、ウェーブがかかった銀のロングヘアなカツラ。
陛下は、女装していた。ただし顔だけ。
首から下は、キング・オブ・オムツのままである。
「…………」
「…………」
私も殿下も、その姿を前に、完全に硬直してしまう。
「ファ、ファファファファファ! あまりの驚きに声も出ないようザマスね。いいザマス、名乗ってあげるザマスわ。あたくしこそは、生きとし生けるもの全ての母となる、聖母神バブェル・バルゼバブ・バァル・バズズザマス! ファファファファ!」
けたたましく笑う自称聖母神を前に、私は呟いた。
「この国、やっぱ滅んだ方がいいんじゃ?」
「言うな。……言うなッ」
殿下の声は、血を吐きそうなくらいに切実だった。
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