第14話 伝説の聖女の力に目覚めた妹の姉が奇跡に立ち会いました

 家を出て空を見上げてみれば、星が瞬いていた。

 冬が近いこの時期、山にあるこの村の空は雲に覆われがちだ。

 でも、今日は昼も夜も晴れ渡って、月も大きく、星も鮮やかだった。


 私は少し歩いて、ガゥンドさんの家に続く雑木林に来た。

 この林には、ガゥンドさん手作りの休憩用の長い腰かけが置かれている。

 重ね積もった茶色い落ち葉を手で払い、私はそこに腰を下ろした。


「ふぅ……」


 思わず、ため息が出る。寒さに白くなった吐息が、揺れながら消えていく。

 辺りは静かで、風の音一つしない。だから、聞こえてしまうのだ。


「「オーオーオー、エスティノー! 我らがエスティノー!」」


 何か、応援歌じみた声が。

 ここって、結構家からも離れているのだけど、それでもばっちり聞こえる。

 私の家の中で、あの人達はどれほど盛り上がっているのだろう。


 今や、私の家はちょっとした祭りの会場と化していた。

 第二次エスティノ義勇軍決起集会なる名前の、実態は単なる大宴会。

 みんな、律儀にも自分の家から食べ物とお酒を持ち寄って、大声で騒いでいる。


 私は、とても加わる気にはなれず、その場をマリシアに任せてここに来た。

 彼女が、自ら皆の世話を買って出てくれたのだ。

 ちょっと参っていた私は、こうして、気分転換に外を散歩している。


「――さすがに、風が冷たいわね」


 秋の終わりともなれば、もう、空気だけは冬そのもの。

 風が吹いてもいないのに、外に出ているだけでも十分以上に寒くて、身が震える。


「ダメですよ、お嬢さん。そんな薄着で出たら」

「トマスさん……」


 気がつくと、トマスさんが目の前にいた。


「マリシアさんから肩掛けを借りてきました。どうぞ」

「あ、ありがとうございます」


 トマスさんが手に持っていた厚手の肩掛けを私の肩に巻いてくれた。

 すぐには温かくはならないけど、寒さは遠のいた気がする。


「隣、いいですか?」

「はい」


 うなずくと、彼は私と同じく積もった落ち葉を払ってスペースを作り、座る。


「はぁ……」


 そして、トマスさんは私が来たときのように、ため息を漏らした。


「トマスさん?」

「大変なことに、なっちゃいましたね」


 彼の横顔を覗き込もうとすると、そんなことを言われた。

 そういえば、村の人達が大盛り上がりする中、彼だけは加わっていなかった。


「王都に蔓延る邪教を打倒するため、再び立ち上がる義勇軍、かぁ」


 言って、彼は空を見上げる。

 口から出たそれだけを考えれば、まさに英雄譚。ヒロイックではあるが。


「――そして、邪教、バブバブバァバ教団」


 それを言うトマスさんの声は、すでに疲弊しきっていた。

 わかる、その声の響き、とても切実にわかってしまう。私も同じだったから。


「でも、みんなで王都に行っても、できることなんてほとんどないですよ」

「そんな……」


 あまり聞かない、トマスさんの自嘲の言葉。

 ガゥンドさん達が盛り上がっている中で、どうして彼だけは醒めているのか。


「昔ならいざ知らず、今のエスティノ村は正真正銘の農村です」

「え、でも実は、ひそかに戦闘訓練をしていたとか……」

「ないです。そういうのはないです。やめましょう、お嬢さん、ダメです」


 え、あ、はい。ごめんなさい。

 何か、ものすごい早口に否定されてしまった。

 そんな、トマスさんがひそかに戦闘訓練をしているワケでもないだろうに。


「みんな、あんなに盛り上がっているのは、王都に行けるからですよ」

「え、それって実は、ただの観光気分――?」

「全部がそうとは言いませんが、まぁ、その……、何分、ド田舎なので」


 トマスさんは、気まずそうに頬を掻く。

 でも、もしそれが本当なら、それこそ止めた方がいいんじゃ……。


「多分、言っても止まらないと思います……」

「どうして、ですか?」

「厄介なことに、使命感は持ってるからです。エスティノの民としての」


 使命感。

 かつて邪教を打倒した義勇軍の末裔としての矜持。

 それを、長い間、連綿と受け継いできた、と。


「自分達ならできる、そう考えてるんですよ。みんな」

「それは……」


 ただの村人に、そんなこと、できるワケない。

 普通なら、そう考えるのかもしれない。

 でも、私は何となくだが理解してしまった。村の人達が、大騒ぎする理由。


「みんな、自分は特別だと思ってるんですよね」


 私が考えていたことを、トマスさんがそのまま口に出した。

 うん、そういうことなのだと思う。

 人は誰しも、自分は特別だと考える。彼らも、そして、かつての私も。


 王太子殿下の婚約者という地位を得るために、自らを磨き続けた私。

 他人を蹴落とし、自分を誇示し、私は、特別な自分を手に入れたと思った。


 でも、結局、私は特別でも何でもなかった。

 自分だけ特別だと思っていた普通の人間の私は、真に特別な妹に敗れ去った。


 そのあとについては、今さら語ることでもないけど。

 ただ、思う。今となっては、私はあの子に蹴落とされてよかった、と。


「私は、ここでの二年間、本当に楽しかったですよ。トマスさん」

「……お嬢さん?」


 突然変わった話題に、彼は怪訝そうに眉をひそめる。

 まぁ、そういう反応にもなるだろう。でも、言っておくなら今しかない。


「トマスさんも、ガゥンドさんも、他の皆さんも、本当によくしてくれました」


 トマスさんの顔色が変わる。

 気づいたのだろう。そう、これは、別れの言葉だ。


「どういう、ことですか?」

「…………」


 尋ねられ、しかし、私はすぐには返せない。

 答えなきゃと思っても、咄嗟に言葉が出てこなかった。


「――王都に戻ったあと、私は、そこに残ることになると思います」

「な、何で……!? 備蓄のことなら、もう済んだ話じゃないですか!」


 トマスさんの言う通り、私が冬の備蓄を使ってしまった件は解決した。

 義勇軍として、皆で村を出ることになったことで、事情が一変したのだ。


 一度村を出れば、戻るのは冬が終わったのち。

 そのような予定となったため、冬越えの備蓄はそもそも用をなさなくなった。


「春になったら、戻ってくればいいじゃないですか!」

「そうです、ね。でも、私は王都に残らなければならないでしょう」


「だから、何故?」

「きっと――、王都が大混乱するからです」


 大陸列強の王宮がいにしえの邪教によって牛耳られていた。

 そんなの、醜聞なんてものじゃない。

 事態がどう転ぼうと、平和な解決はあり得ない。王都はとんでもないことになる。


「きっと、父は事態の解決に乗り出すでしょう。妹は、性格はアレですけど、聖女です。民は彼女に救いを求めるでしょう。――私は、家族を支えねばなりません」

「その妹さんのせいで、この村に追いやられたのでしょう?」

「そうです。妹のおかげで、私はこの村に来れました。皆さんに会えました」


 そう、エリィの件で王都を追放されたからこそ、私はここに来れた。

 それについて、私は恩すら感じている。この村での二年間は、私の人生の宝だ。


「私は、この村の皆さんが大好きです。今はちょっとノリについていけませんけど、それでも、この二年間は本当に楽しかったです」

「だったら……」

「でも、私は家族も愛しているんです」


 家族が大変なときに、一人だけ悠々自適に生活する。

 いっそ、それを満喫できる性格であったなら、こんな話もせずに済んだのに。

 そう思わずにはいられない。でも、私は家族を放っておけない。


「だから、私は王都に残ります」

「お嬢さん……」


 俯く私を、トマスさんが目を見開いて覗き込んでいる。

 このことは、まだマリシアにも言ってない。

 トマスさんは、困惑しているだろう。いきなり、こんなことを打ち明けられて。


 でも、どうして、私はそれを彼に話してしまったのだろう。

 極論、打ち明ける必要のないことだ。ここで彼を困らせても仕方がないだろうに。


「――俺は」


 トマスさんが呟いたとき、心臓が高鳴った。

 それは、私にとっても不意打ちで、そして私は、彼に話した理由を悟った。


 ――そうか、私は、彼に止めてほしいのか。


 私は、もっとこの村にいたい。この村で日々を過ごしたい。

 本当はそう考えていて、誰よりも彼に――、トマスさんに止めてほしいのだ。


 でもやっぱり、家族を放っておくことはできない。

 私自身はそうも思っていて、だからこそ、止めてほしい。手を掴んでほしい。

 行くな、残れ、一緒にいよう、と。……そんな自分勝手な、願い。


「…………」

「…………」


 私も、トマスさんも、沈黙し続けた。

 彼の横顔をちらりと見る。そこには、深い苦悩の色がありありと浮かんでいた。


 トマスさんの表情に、私は自分の身勝手さを痛感する。

 私がしているのは、あまりにも都合のいい期待でしかない。何て、バカな女。


「そろそろ、戻りますね」


 これ以上、彼の顔が見ていられなくて、私は立ち上がった。

 そして逃げるようにその場から去ろうとして――、


「……え?」


 右腕を、掴まれた。


「行かないでください」


 振り向くと、トマスさんが顔を上げて、私を直視していた。


「行かないでください、お嬢さん」


 彼は私の腕を掴んだまま立ち上がり、一歩、私の方へと近づいた。

 分厚い胸板が、私のすぐ前にある。動悸が早まる。私も、彼を見上げた。


「王都のこととか、貴族のこととか、俺にはわかりません」

「トマスさん……」

「邪教のこととか、義勇軍のこととかは、わかるつもりもありません」


 うん、それは、はい。私もですけど。


「でも、お嬢さんが俺の前からいなくなるのは、イヤです」

「え……」


 その言葉に、身が竦んだ。

 トマスさんが言ったことって、それ、って……、


「行かないください」


 重ねて、彼は私に向かって言う。

 顔は真っ赤で、瞳は熱に揺れていて、その体をかすかに震わせて。

 トマスさんは真っ向から、私を止めようとしてくれた。


「トマス、さん……」


 何を言えばいいのかもわからない私は、彼に抱き締められた。

 ただでさえ早まっている鼓動が、それによって一層早まり、体が熱くなる。


「俺が、守ります」


 私の腕の中に抱いて、トマスさんは、そう言ってくれた。


「だから、俺の前から、いなくならないでください。お嬢さん」

「トマスさん――」


 私はおそるおそる、彼に手を回して、抱きしめ返した。

 嬉しかった。泣きそうだった。

 こんな私を想ってくれる、この人の言葉が、私の心を満たしていった。


 ああ、トマスさん。

 私もあなたと一緒にいたい。私も、あなたを――、



 光が、空から降り注いだ。



「……え?」


 夜の雑木林に、天から金色の光が注ぐ。

 私とトマスさんは、抱き締め合いながらそれを見上げて、驚いた。


「何、あれは……」


 呆然となる彼の腕の中で、私は目を瞠った。

 私は知っている。この輝きを、この金色の光を、知っている。

 これは、エリィが聖女になったときにみたものと同じ……、じゃあ、まさか!?


 やがて、神々しい光の中に男性とも女性ともつかない声が響いた。


『勇者よ』


 ――勇者? トマスさん、が?



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 ハイデミット王都、公爵家邸宅。


「どうしよう……」


 自分の部屋で、私は不安にさいなまれていた。

 あの戦慄の夜が明けて、お父様はすぐに王宮に乗り込んでいった。


 それから三日、まだ、お父様は戻っていなかった。

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