第13話 伝説の聖女の力に目覚めた妹の姉が絶望に膝を折りました

 こちら、エスティノ村の村長宅。つまり、私の家。

 現在、ガゥンドさんがものすごくいかめしい顔つきで話を続けている。


「この世に住まう人の性癖を歪めんとする邪神バブバブバァバ、その真の名は、暗黒性癖邪神バブェル・バルゼバブ・バァル・バズズという……」


 何か、すごい物々しい名前の邪神だった。

 でも今の私には「この人は何を言ってるんだろう」以外に何も思い浮かばない。


「かつてこの地が、まだハイデミットと呼ばれることになる以前、今の王都があった付近にそれはあったと言われておる。邪神バブバブバァバを祀る邪性癖の聖地。あらゆる性癖に赦しを与える、暗黒性癖大祭祀殿バァバ・バブデモニウム!」


 この人は何を言ってるんだろう、と、私は思った。


「ロリに、ケモに、ハネに、トランスセクシャルに、触手に、オギャリに、その他、あらゆる性癖に『うんうん、それも性癖だね』と赦しを与えるこの邪教は、かの地において強大な勢力を築き上げておった。それこそ、周辺諸国を脅かすほどに」


 この人は何を言ってるんだろう、と、私は思った。


「だが、目に見えて大きくなっていくバブデモニウムに、当時の国々はなかなか手を出せんかった。何故ならば、それらの国にも己の性癖に赦しを得たい者達がごまんとおったからじゃ。性癖とは、いわば人生の陰の部分。人には明かせぬ、己だけが抱く尽きることなき業の源泉。ほとんどの者が、それに負い目を感じておる」


 この人は何を言ってるんだろう、と、私は思った。


「かくして、バブデモニウムはさらに勢力を強め、ついには周辺諸国をも呑み込みだしてしもうた。露出の性癖によって日中の往来は阿鼻叫喚の場と化し、ドMの性癖によって衛兵に捕まることもご褒美となった。性癖が紡ぐ混沌の前に、国家の法は有名無実化し、秩序は乱れ、正義は地に墜ち、全ては性癖の闇に閉ざされるかに思えた」


 この人は何を言ってるんだろう、と、私は思った。


「人が人である限り、己の業そのものたる性癖の歪みに抗うことはできない。すなわち、人である限り邪神の誘惑には勝てぬということじゃ。だがしかし、人ならざる者――、つまりは神がこの惨状を見かね、救いの手を差し伸べてくれたのじゃ!」


 ガゥンドさんは拳を握り締め、そこで声をさらに一段階大きくした

 でも、この人は何を言ってるんだろう、と、私は思い続けた。


「神は、一人の少年と一人の少女を選び、少年には魔を討ち倒す勇者の力を、少女には人に巣食う闇を祓い心を正す聖女の力を、それぞれ与えた。まだ年端もゆかぬ少年少女にそれらの力を与えたのは、まだ性癖が歪んでいないから。……そう、ここに邪性癖に対抗しうる唯一の可能性たる正性癖の勇者と聖女が誕生したのじゃ!」


 この人は何を言ってるんだろう、と、私は思った。


「各国に残っていた、数少ない歪みなき性癖を持つ者達は、勇者と聖女の元に集った。かくして、大陸を闇で覆わんとするバブデモニウムに対抗しうるただ一つの希望、スタンダードタイプ標準性癖の義勇軍――エスティノ義勇軍は結成された!」


 この人は何を言って――、待って、今、エスティノって言った!!?


「……あの、義勇軍、とは?」


 私は、恐る恐るガゥンドさんに尋ねてみる。


「勇者エスティノを旗頭とした、邪神バブバブバァバ討伐を目的とした義勇軍じゃよ。参加資格は一つだけ、性癖が歪んでいないこと。それさえクリアしていれば、誰であっても参加することができた。例えば、気難しいドワーフの鍛冶屋でも、な」


 そこで、ガゥンドさんはニヤリと笑う。


「じ、じゃあ、この村は……?」

「嬢ちゃんが考えておる通りじゃよ。この村は、邪神討伐後、エスティノをリーダーとした開拓団によって拓かれ、興された村じゃよ」


 この人は何を言ってるんだろう、と、私は思った。

 でも、周りのおじさんや男の子までもが、それに深くうなずいている。


 そんな、まさか、と思った。

 この村は王都とは何の関係もない場所。私の安住の地。そう思ってたのに……。

 まさか、そんな考えるだにゴミ箱に投げ捨てたい因縁があっただなんて。


「……あの、ちなみになんですが」

「何じゃね?」

「エスティノ、っていうのは、その、もしかして――」


 私の質問に、ガゥンドさんは待ってましたとばかりにうなずいた。


「うむ! 勇者の名と『スタンダードタイプの』という意味を兼ね備えておる!」


 ダブルミーニングだった。

 聞いた私が思うのも何だけど、だから何だというのだろうか。


 でも、これを考えたのはガゥンドさんで、誰かに説明したかったっぽい。

 今のガゥンドさんのホクホクした顔を見るに、そうとしか思えない。


「その後、勇者エスティノはワシが神より授かった神鋼によって鍛え上げた聖剣をもって、聖女と共に激しい戦いの末に、ついに邪神バブバブバァバを討つことに成功した。本当に、長く、辛く、苦しい戦いじゃった。幾度、ワシらの性癖が歪まされそうになったことか……。それでもワシらは勝った。勝ったのじゃ!」


 その聖剣、トマスさんが使ってる斧のことですよね?

 邪神を討ち果たした聖剣が、今では農家伝来の薪割り用の斧かー……。


「邪神が討たれたことにより、バブデモニウムの影響力は著しく低下した。それにより、露出狂は変態とされ、ドMも衛兵によって牢にブチこまれた。法は力を取り戻し、秩序は回復し、国々は性癖の闇から解放されたのじゃよ」


 そして、やっぱり、この人は何を言ってるんだろう、と、思ってしまう。


「だが、邪神バブバブバァバは人が己の性癖に抱く負の想いを力の源としておる。ゆえにいずれ復活するのは目に見えておった。そのため、エスティノは邪神に対抗できる戦力を保ち続けるため、開拓団を結成し、この地に赴いたのじゃ」


 ……ん?


「何でわざわざ、こんな辺境に?」


 どうして、そのバブデモニウムがあったという場所に留まらなかったのだろう。

 その後、あの場所にはハイデミットの王都ができたというのに。


「うむ、それはな――」


 ガゥンドさんの表情が、一気に重く、暗くなる。

 勇者に何かがあったというのか。

 私も、さすがに緊張する。私も知らない歴史の真実が、ここに明らかになる。


「エスティノが、聖女にフラれてな……」


 は?


「で、傷心のあやつが、開拓団を結成したのじゃ。悲しい出来事じゃった」


 はぁ。


「えっ、そんな理由だったんですか!?」


 そこで、勇者の子孫であるトマスさんが激しく反応した。

 どうやら、ご先祖様のナマの事情を、今初めて知ったらしい。


「その、実はこの地方に神にまつわる何かがあるからとか、そういうのは?」

「ない。全く、ない」


 声を震わせ尋ねるトマスさんに、ガゥンドさんは力一杯かぶりを振った。

 トマスさんの顔が、みるみるうちに絶望に陰っていく。


 ご先祖様が勇者なこと、ひそかな誇りにしてたんだろうなぁ……。

 さすがに、ちょっと可哀想。


「えー、それで、その、聖女がフッた、ということですけど……」


 私も、当代の聖女を妹に持つ身、不安を感じつつ、ガゥンドさんを見る。


「一体、どんな理由で?」

「聖女はエスティノの幼馴染であり、同時に、自分に正直な生き方しかしない女でな、エスティノより背が高くて顔もよくて金持ちな貴族のイケメンに転がりおったわ」


 うわぁ。


「神が選ぶ聖女の基準が『己を一切偽らずまっすぐに生きる女性』であるコトらしくてな、その意味でいえば、あの女はまさに聖女の資質を備えておったよ」


 うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。


「お嬢様……」


 マリシアが、頬に汗を伝わせつつ私に声をかける。

 きっと、彼女が考えていることは、私と同じだ。


 あのエリィのどこに聖女の資質があるというのか。

 常々、そんな疑問を抱いてきたけど、どうやらそれは間違いだったらしい。


 私が知る限り、エリィ以上に自分に正直に生きてる女性は王都にはいない。

 この村に来る前の私にしたってそうだ。

 魑魅魍魎の跋扈する王宮で生きるため、己の本音を晒すなどできるはずがない。


 なるほど、神は正しく聖女を選んだ。

 あの王都において、まさにエリィこそは聖女の適格者だったワケだ。


 ……知りたくなかったなァ、そんな基準。


「どうした、嬢ちゃん。トマスと同じような顔になりおって」

「いえ、あの、何でも……」


 体温が少し下がるのを感じながら、私は首を横に振った。

 ああ、トマスさん、これがあなたが感じている絶望の暗闇なのね……。


「――ともあれ!」


 ガゥンドさんが、両手を打って大きな音を響かせる。


「王都にて、ついにバブバブバァバ教団が復活した! ならばワシらも起たねばなるまい! 皆の者、わかっておろうな!?」

「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」」」


 途端に盛り上がって声を揃える村人一同。

 あまりに突然のことに、私は若干、置いてけぼりにされたような気分になる。

 だが、次の瞬間、それどころではなくなった。



「第二次エスティノ義勇軍、決起のときじゃアァァァァァァ――――ッ!」



 うわァ――――ッ!

 メチャクチャ大事になっちゃったァァァァァァァァァァ!?


「「オーオーオー、エスティノー、我らがエスティノー!」」

「「歪んだ性癖許せない! 清く正しく美しく! 普通のプレイが最高だ!」」


「「オーオー、オーオー、エスティノー、正義だエスティノー!」」

「「バブバブバァバ、ダメ絶対! 神様もダメって言ってるぞー! オー!」」


 呆ける私の前で、村人達は肩を組み合い、そして歌い始める。

 中には、拳を握って「ヘヘヘ、王都が俺を呼んでるぜ」とか言ってる人もいる。


「マリシア」

「はい、お嬢様」


「私の知ってる、のどかで純朴なエスティノ村は、どこに行ってしまったの?」

「全て、幻でございました」


 盛り上がり続ける第二次エスティノ義勇軍の面々を前に、私は膝を折る。

 私は、生まれて初めて、この世界に生まれたことを呪った。

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