幕間 伝説の聖女の力に目覚めた妹の姉も知らない場所で
闇の中に、ガラガラの音が響く。
「ふぎゃっ、おぎゃあ、おぎゃあ!」
「マンマ、ママ、マンマ、マ……」
「びぇぇ、うぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ~~~~ん」
そして重なる、幾重もの声。
母を求めてやまぬその声に打算はない。ただ、求めた。ただ、欲した。
いとしきものに抱き締められるぬくもりこそが、唯一、この嘆きを立つ。
闇の底で、のっぺりとした仮面の男達は、遠慮なく泣き続けた。
彼らこそは大陸列強ハイデミット王国の最高権力者達。
人位を極めたる彼らは、富よりも、栄誉よりも、ただただ母を求めているのだ。
これぞ原点回帰。
人のあるべき姿であるのだと、彼らは自らを誇る。
泣き叫び、手足を振り回し、突き出た腹を揺らすその姿は誇りに満ちていた。
「「「おぎゃあ! おぎゃあ! おぎゃあ! おぎゃあ!」」」
おお、何たる輪唱。一糸乱れぬ鳴き声の三重奏よ。
己の性癖という、決して他者には明かせぬ秘密を共有する彼らこそ、魂の同朋。
ゆえにこそ、彼らは同士を慈しみ、信じ、頼り、そして強く共鳴する。
まさにバブバブクラブ、無垢にして純粋なる、解き放たれし魂の集いなり。
「――鎮まれィ」
鳴き声の輪唱が、その人声に止まる。
のっぺりとした仮面をつけたバブバブっ子達が、ベッドの上で手をにぎにぎする。
「バブバブっ子ナンバー2よ」
「はい」
闇に響く、ナンバー1の重い声。
それに応じるナンバー2の声はかすかに硬く、そして平坦であった。
「我ら『園児・託児所議会』にとって、最も許されぬものとは何だ」
「……失敗です」
ナンバー2は、しばしの間を置いて、そう返した。
「その通りだ。我らは至尊の身にある者。何者に対しても範たるべき存在。失敗など、決して許されることではない。ましてや、そればバァバのコトともなれば」
「はい」
いつにも増して重々しい響きを持つナンバー1の叱責に、他のバブバブっ子達も震え上がっていた。彼がこれほどの怒りを見せるのは、いつぶりであろうか。
「バブバブっ子ナンバーX。あの男は、逸材でありました」
「それは、余も認めよう。戦慄の尿道アーティスト。あのおね書道は、この余をもってして震えを禁じ得ないほどの芸術性を誇っていた。それだけに、惜しい」
ナンバー1の声が、一転して震える。
それほどまでに、彼はナンバーXのことを買っていたのか。
他のバブバブっ子達はそれを知り、さもありなん、と、揃ってうなずく。
「然り、かのバブバブっ子は、我がクラブに一石を投じる英傑でありました」
「泣くだけではダメ、漏らすだけでもダメ、描くことで己を主張するという発想」
「彼こそは、まさに次代のバブバブっ子に相応しき者であった……」
今はもういない、黒き仮面のバブバブっ子を思い返し、皆が涙する。
しかし、ナンバー1はすでに、惜別の念を捨て去っていたようで、
「だが、あの男は敗れた。バァバの器を説得するに至らなかったのだ」
「心から、残念でなりません。彼であれば、と思ったのですが……」
ナンバー2が、仮面の奥で唇を噛む。
彼こそが、最もナンバーXに期待をかけていた。惜しい。ただただ惜しい。
「こうなれば、もはや聖女の母をバァバの器とすることは不可能であろう」
「何ということだ!」
「我らクラブの悲願が、またしても挫かれるとは!」
ナンバー1が言うと、バブバブっ子達が怒り、漏らし、おしゃぶりを吸う。
しばしの間、闇の中にチュッパチュッパという音が重なり響いた。
「どうなさいますか、ナンバー1」
「うむぅ……」
ナンバー2に促され、ナンバー1が低くうめく。
そこに、バブバブっ子ナンバー9が「畏れながら」と漏らしながら口を挟んだ。
「聖女殿には、急ぎ、前線に姿を見せてもらわねばなりませぬ」
「貴様、今はそんな世俗のことはどうでもよいのだ!」
「そうだ、この場は我らが高貴なる秘密を共有する場、控えろ、ナンバー9!」
ナンバー9の具申に、ナンバー5やナンバー8が一斉に非難を浴びせる。
しかし、ナンバー9はそれらを無視して、言葉を重ねた。
「聖女が姿を消したという噂が前線にまで及んでおり、兵の士気にも影響が……」
そこまで言われて、ナンバー5とナンバー8は非難を止める。
戦争の現場である最前線への悪影響は、彼らとしても望むところではない。
そも、そうなったのは全て、バブバブっ子ナンバーXの企みによるもの。
彼が娘である聖女に呪いをかけて、人前に出られなくしたのが原因だ。
バブバブクラブに関わりがないどころか、完全に、クラブが原因なのである。
「聖女を、前線に、か……」
「はい。今でこそ我が軍は多少優勢ですが、最悪、戦況が覆ります」
それを告げるナンバー9は、今は第一騎士団の将軍としての顔に戻っていた。
こうした、国の趨勢に関わる話が出るのも、クラブの特徴の一つである。
「――ナンバー1」
ナンバー2が、黙考しているナンバー1に話しかける。
「バァバを降誕させるための妙案を思いつきました」
「ほぉ」
今は、戦争の話をしているところではないのか。
突然のナンバー2の言葉に、ナンバー1以外のバブバブっ子が疑念の視線を送る。
だが、そんなものまるで気にしない様子で、ナンバー2は言った。
「この戦争、負けましょう」
初め、誰もがその言葉の意味を掴みあぐねた。
そして数秒、闇にあったバブバブっ子達が、次々に声をあげ始める。
「な、何を申されるのです!」
「負ける? まさか、故意に敗戦しようというのですか!」
「狂われたか、ナンバー2! いや、王太子殿下!?」
場は騒然となる。
当たり前だ。ここにいるのは、大陸列強ハイデミット王国の中核をなす者達。
そして隣国との国境で行なわれている戦争は、大国の威信をかけた一戦だ。
それに敗れれば、ハイデミットの名は地に落ち、権威も廃れてしまう。
彼らの地位も、名誉も、財産も、全ては大国の名があるからこそのもの。
戦いに敗れたのち、それを保てる確証などあるはずがない。
それだというのに――、
「なるほど、それはよい案だ」
この場で、最もナンバー2を叱らねばならない本人が、あろうことか同調した。
ナンバー1はベッドに寝そべったまま、右手で軽くあごをさすってうなずく。
「よい、よいぞ、ナンバー2。それは実によい。質ではなく量に切り替えたか」
「はい。唯一無二の器が手に入らぬならば、いっそ、民にも与えましょう」
ナンバー1と、ナンバー2。
国王と、王太子。
何より、誰より、国を守らなければならない二人の会話は、常軌を逸していた。
「……な、何を言われるのですか?」
淀みなく続く会話に、ナンバー9が身を震わせる。
「大したことではない」
ナンバー1は平然とそう言って、
「この国の民全員を、バブバブクラブの会員にする計画についてだ」
とんでもない計画をさらりとその舌に乗せて出した。
「バカな……!」
「我らが高貴なる秘密を、卑しき民草連中に広めると申されるか!」
「何故そんな……、いや、それが敗戦と何の関わりが!」
バブバブっ子達は、仮面を外し、ベッドから身を起こしてナンバー1を見る。
今や、ベッドに寝ているのはナンバー1とナンバー2だけ。
他の全員が、貴族としての顔に戻って、ナンバー1のベッドを囲んでいた。
「陛下、一体あなたは何をお考えなのか」
「王太子殿下もです! 戦争に負けたら、我々がどうなるとお思いか!」
彼らは二人を糾弾するが、それに対してナンバー2が見せたのは、小さな嘆息。
「あさましいことだ」
「何ですと!?」
「ここまでオギャリながら、なお、自らを世俗の一部と認識しているとは」
彼が言うと、ナンバー1も続くようにかぶりを振った。
「致し方あるまい。所詮は貴族。オギャリに信念を持たぬ、烏合の衆よ」
「ですが、それでも仮の器にはなれるでしょう」
「うむ。我ら、群体となりて、天にまします我らが太母を迎え入れようぞ」
この二人は何を言っている? 何を、話している?
ベッドを取り囲む大貴族達の間で、徐々に恐怖の念が高まっていく。
「まずは王都に噂を流しましょう。我が軍は、敗北寸前であると」
「うむ。よい。そののちは?」
「実際に、軍を敗走させましょう。事実による追い打ちで、不安を極大化させます」
淡々と話す二人に、ついに第一騎士団の将軍が、悲鳴をあげた。
「本気で負けるつもりなのか、あんた達は!」
「無論だ」
ナンバー1が答える。
「何故だ、どうして、どこにそんな必要が……!?」
「もちろん、皆をオギャらせるためさ」
ナンバー2が答える。
「君達がオギャったのだって、日々のストレスに心が潰されそうになったからだろう? 人はね、強烈な過負荷で自分が壊れそうになると、歪んでも痛くない部分を自ら歪ませて、突き進むようにしてそこに逃げ込むのさ。それが――、性癖だよ」
「だから、戦争に負けようと? ただ、民をオギャらせるために……?」
「そういうことさ。もちろん、オギャるだけが性癖じゃない。ロリに走ったり、ケモに走ったり、触手に走る者だっているだろう。でも関係ないんだ。必要なのは性癖が歪むこと。そこにこそ、僕達の母は存在するのだから!」
徐々に熱を帯びていくナンバー2の声に、将軍は後ずさった。
彼は、かぶりを振りながら「狂っている」と呟き、その場で踵を返す。
「逃がしはせぬ」
しかし、ナンバー1の声がして、将軍の体はその場で硬直した。
「な、か、体が……」
「ここまで共にやってきたのだ。貴様らも、分かち合おうではないか」
「何、を……」
動かぬ体のまま将軍は天井を仰いだ。
そこに、何か黒い影のようなものが蠢いていた。
「受け入れろ。我らが母の寵愛を」
ナンバー1が言うと、周りで次々に悲鳴が起きていく。
「ああ、あああ! 何かが、な、何かが私の中に……!」
「うぶ、ぉえ……、あ、あぐ……、ひぎっ、お、おぎゃあ! おぎゃあ!」
「マンマ、マンマ、マ、マンマァァァァァァァ!」
それは悲鳴であり、同時に産声であった。
聖女の父親がそうであったように、影に纏わりつかれた彼らは、新生したのだ。
自らの意志で赤ちゃんになるのではない、心からの赤ちゃんとなった。
彼らは、確かにバブバブクラブの会員であった。
しかしそれは、クラブの会員でしかないということでもあった。
この王都で、真の意味でバブバブの秘儀を伝承する血族はただ一つ。
主たる存在の魂の一部を己の血に宿し、同化し、どうかしてしまった者達。
つまり、それこそは――、
「もはや、唯一の器を手に入れることは叶わぬ夢となった」
「ならば、全員で母を共有しましょう。子が多くなるほど、母は力を増す」
「「そのために、この国を燃やし、オギャリの心を広めるのだ」」
この日、バブバブクラブは壊滅した。
そして代わりに、国一つを生贄として邪神の降誕を目論む邪教が姿を現す。
その名は、バブバブバァバ教団。
いにしえの暗黒性癖邪神バブバブバァバを信奉する、大陸最古の邪教である。
――最後の戦いが、始まろうとしていた。
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