第11話 伝説の聖女の力に目覚めた妹が愛する父を抱擁しました

 クローゼットの中は暗くて、手紙の最初の一文以外が読めないな。

 俺は近くにあった燭台を掴むと、それを手紙に近づけた。


 これは魔法の品で、持ち手の部分から俺の魔力を吸って、先端に光が灯る。

 よし、これでねーちゃんからの手紙が読め――、


 ガンッ。


「ぴっ!」


 ガンッ。

 ガンッ。

 ゴッ、ゴッ、ガッ、ゴッ。


 ……メキ。


「エリィィィ、エェェェェリィィィィィィ~~~~……」


 うおおおおおおおおおお、怖ェェェェェェェェェェェ――――ッ!!?


 ド、ドアがメキっつった、メキって!

 こわいよー、ねーちゃん、こわいよー! たすけてよ、ねーちゃーん!


 俺は半泣きになりながら、燭台の光を頼りにねーちゃんの手紙を読む。


『エリィ、あなたは本当に、アホな子なのね。……本当に』


 いきなり罵倒された。

 本当に、が二回続いてる辺りに、ねーちゃんの呆れを感じる。


「うううう、ごめんなさい。ごめんなさい……」


 でも本当のことすぎて、反論の一つも浮かびやしない。


『いい? お薬っていうのはね、一度にたくさん飲んじゃダメなのよ?』


 はい、今後は気をつけます。本当にごめんなさい。

 一度にたくさん飲んじゃったから、元に戻らなくなったワケだしなぁ……。


『それと言っておくけど、戻れなくなったのはクラブの秘薬のせいではないわ』


 ……あれ?


『秘薬といっても薬は薬。一回飲んだだけなら、効果時間は一日もないはずよ』


 え、何、それ? どゆこと……?

 俺が元に戻れないのは、薬のせいじゃ、な、い……。え?


『だからエリィ、あなたが十日間も戻れずにいる原因は、別にあるわ』


 そ、そんな……!?

 俺が聖女に戻れない原因が、別? そんなの、心当たりがないよ!


 手紙を読み進めるにつれ、俺の頭は混乱する。

 この十日間、俺はずっとこの屋敷にいた。おかしいコトなんて、なかった。


 いや、今がおかしいわ。今確実におかしい状況だけど!

 何がおかしいって、主に親父の頭がだけど、でもそれ以外は何も……。


 頭の中が「?」で埋め尽くされていく。

 そんな俺の中の深まる疑問に対し、ねーちゃんは答えを書いててくれた。


『結論から言うわ。エリィ――、あなた、呪われているのよ』


 ……は?


『あなたが元に戻れないのは、誰かがあなたに呪いをかけたから。それが原因よ』


 の、呪い? 俺が、呪われてる?

 何だよそれ、何だよ、それ! 何で俺が呪われなきゃいけないんだ!


 叫びそうになったそのとき、ドアの軋みが一層大きくなった。

 メギッ、と鳴ったドアに、俺は目を向けてしまう。


 俺に呪いをかけた、誰か。

 それは、まさか、そんな、まさか――ッ!


「ウソだろ……」


 漏れた声は、震えていた。

 そんなバカなこと、考えたくない。親父が、俺に呪いをかけただなんて!


 あの親父が――、バカな俺でも愛してくれた親父が、俺に、呪いを?

 何で、何で?

 何でなんで何でなんで何で、何で何で、何で……!?


『エリィ、誰があなたに呪いをかけたかはわからないわ』


 ああ、遠くにいるねーちゃんにはわからないよね、確かに。

 でも多分、親父だ。いや、ほぼ確実に。

 だってそれしか考えられない。考えたくないけど、考えられないんだよ!


 ねーちゃんの手紙に、ポツ、ポツと涙の滴が落ちる。

 ショックだった。

 黒いオムツをつけてること以上に、あの親父が、俺に呪いをかけたことが。


 何でだよ……。

 そんなにも、バブバブバァバってのが大事なのかよ、親父……!


『あなたにかけられた呪いが解かれない限り、あなたは元には戻れないわ』


 さらに、そこに書かれた文面が、俺の絶望に追い打ちをかけてきた。

 呪いが解けなきゃ戻れない。じゃあ、もうどうしようもないじゃないか。


 聖女でなくなって、しかも、実の父親に呪われた娘。

 何だよそれ、俺はどこに行けばいいんだよ。何を支えにすればいいんだよ。


 いっそ、親父に従っちまえばいいのか?

 そうして、お袋をバァバにさせれば、俺は元に戻れるのか?


 ……その方が、このまま戻れないよりはマシかもしれないな。


 そんなよこしまな考えが、脳裏に芽生える。

 だが、ねーちゃんの手紙はまだ終わってない。考えるのは、読んでからだ。


『でもね、エリィ。あなたは――』


 そこに書いてある内容を、俺は目を凝らして読み進める。

 書かれていたことに、つい、声が漏れてしまった。


「…………ウソ」



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 メギッ。

 ガッ。

 ゴッ。


 メギャッ。

 バギッ。

 ギ、ギギッ。


 バギギィッ!


 ついに、ドアが破られた。

 ガラガラを持った太い手が、ドアに空いた大穴から突き出される。

 それはすぐに引っ込んで、次に、仮面を外した顔が穴から中を覗いてきた。


「エリィ、お待たせ。いい子にしてたかぁぁぁぁぁぁ~いぃ?」


 ニヤニヤと、とても愉しそうに笑うその顔が、薄闇の中の部屋を見る。


「おやぁ? どこにいるのかなぁ? かくれんぼは終わりだよぉ~?」


 顔が引っ込み、次の瞬間には、ドアが蹴破られた。

 鍵が壊れ、ドアだった板が部屋の中に倒れる。そして、彼は中へと入ってきた。


「エリィ、エリィィィィィィィィィ~?」


 ガラガラを振りながら、不気味な声で名を呼んで、部屋の中を探し回る。

 そして足音は、少しずつクローゼットへと近づいてきて――、


「ここだね、エリィィィィィィィィ~!」


 クローゼットの戸が開け放たれた。

 その瞬間――、『私』は、全力で飛び出して、お父様の体に抱き着いた。


「なッ!?」


 すぐ耳元に、魔法を介してではない、お父様の驚きの声が聞こえる。


「そ、その姿は……! 何故、元に戻っている!?」

「びっくりした? びっくりしたわよね。だって、私も驚いてるもの!」


 声も、体も、私は戻っていた。

 もう頭にネコミミはない。背中に翼はない。念じずとも、触手は生えてこない。


 お股に玉も棒もない。

 今の私は、清純にして純潔たる神に選ばれた聖女のエリィちゃんよ!


「おねーちゃんからの手紙がなきゃ、気づかなかったわよ!」


 私は、叫んだ。


「性癖ごった煮キメラになってても、別に普通に聖女のままだった、なんて!」


 ああ、悔しい。

 悔しすぎて、今夜は寝る前にお夜食ヤケ食い決定よ!

 そもそも、寝れるかどうかわかんないけど!


 おねーちゃんの手紙に書かれていたこと。

 それは、とても簡単で、単純で、そして悔しくなる事実だった。


『でもね、エリィ。あなたは聖女なんだから、そんな呪いは解除できるでしょ』


 って、手紙にはそんなことが書いてあったのだ。


『聖女の力を使えば、呪いでも、薬の効果でも、すぐに解除できるはずよ?』


 って、そんな風にも書いてあったのだ!


『聖女の力は神様の力なんだから、秘薬の効果なんかで阻まれるはずがないわ』


 そこまで読んで、私は「まっさか~……」と思いながら力を使ってみた。

 そしたら、使えちゃった。元に戻れちゃった。


 何よ、それェェェェェェェェェェェェェ――――ッ!?


 女の子に戻れてからの第一声が、あやうく絶叫になるところだった。

 じゃあ何、結局、全部私の勘違いだったってこと?

 男の子になったから、聖女じゃなくなった、っていうのが思い込みだったの?


 ……もう、泣きそうよ。


 でも、おかげで私は、元の可愛いエリィちゃんに戻ることができた。

 ありがとう、おねーちゃん。でもやっぱり、何かすごく釈然としないのよね。


「ぐっ、バカな、私の呪いをも、打ち破ったというのか!」

「やっぱり、そうなのね……」


 お父様が、もがきながらガラガラを鳴らす。

 すでに確信してたことだけど、でも、改めて本人の口から聞くと、辛いわね。


「でも、だったらやっぱりおかしいわ。私のお父様は、そんなこと、しない!」

「信じられないんだね、エリィ。でもね、これが本当の私なんだよ」


 お父様が、ガラガラを鳴らして笑う。


「私はバブバブっ子ナンバーX! 闇のバブバブクラブ隠れ特別会員なんだ!」

「ウソよ、お父様は、そんな人として崖っぷちの何かじゃない!」


 私は反論する。

 お父様は、少し身内に甘いところがあるけど、優しくて、立派な方なのよ。


 バブバブっ子なんていう、人類のライン際ギリギリを攻める存在なワケない!

 私は、そう信じてる。だからお父様に、大声で訴えた。


「どうしたのよ、何でこんなことになってるの、お父様!」

「私は知ったんだよ、エリィ! バブバブクラブの素晴らしさを、輝きを!」


「それもウソ! だってお父様、バァバの件のとき、血の気引いてたじゃない!」

「そんなこともあった、だがそれは、私が愚かだっただけだ!」

「バカ言わないでよ、公爵になったのを後悔するレベルでドンビいてたクセに!」


 叫ぶお父様に、私は同じくらいの大声で言い返す。

 すると、お父様はその体を揺らして、いきなり笑い始めた。


「ハハハハ、ハハハハハ母母母! マンマ、マンマ! おぎゃあ! おぎゃあ!」

「いきなりオギャるなァ!? 言っておくけど、ママはしないからね!」


「……あ~う~。ひっ、ひぐっ」

「泣きそうになってんじゃないわよ、泣きたいのはこっちよ!」


 至近距離で父親にオギャられる娘の心情、ちったぁ考えなさいよね!


 あ~、本当におかしくなりそう。

 でも、おかしいのはお父様の方だ。今、話してみてわかった。


 それは、私の中にある疑念を大きくするのに十分なものだった。

 もしかしたら――、お父様も、何かにおかしくさせられているかもしれない。


「おぎゃあ! おぎゃあ! びぇ、びぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」

「お父様……」


 ついに泣き出したお父様を力いっぱいに抱き締めて、私は呟く。


「今、戻してあげるからね」


 だから、くらえ!

 エルミーナ渾身の、聖女フラァァァァァァ――――ッシュ!!!!


 私とお父様の間で、真っ白い光が解き放たれた。

 光は部屋の中を満たし、外に瞬く雷光よりもずっと明るく場を照らす。


「お、ぎゃあ! おぎゃ! お、オ、オオ、ォォ……、ォ……」


 泣き喚いていたお父様の声が、だんだんとかすれ、小さくなっていく。

 すると、私は聞いてしまった。


「ォノレ、聖女……。許ス、マジ。許ス、マ、ジ……」


 お父様の口から出たとは思えない、邪悪な気配をたたえた声。

 それも弱まって、お父様の体から力が抜ける。


「…………ぅ」


 かすかに漏れる、か細い声。

 私は、抱き締めているお父様を、心配げに見上げる。


「……お父様?」


 脱力し、ガクンと下がっていたお父様の頭が、揺れ動く。

 そしてその瞳が、私を見た。


「――エリィ? どうしたんだい?」

「お父様。元に戻ったの、お父様……?」

「も。元に……? 何の話――、いや、何で私は裸で……、へぅ、オムツ!?」


 私がゆっくり離れると、自分の格好に気付いたお父様が驚愕した。

 手にしたガラガラも投げ捨てて、私の方を見る。


 ……え、何でそんな、怖いものを見る目で私を見るの?


「まさか、エリィ。ママができなくて、私までオギャリの毒牙にかけようと……」

「ちょっと待って、お父様。さすがにその解釈は私も死にたくなるわ」


 ママなんて、せずに済むなら一生やりたかないわよ!


「一体、何で私はこんな格好をしてるんだ! ワケがわからないぞ!」


 悲鳴をあげるその様子を見るに、お父様は元に戻ったらしい。

 やっぱり、何かがお父様をおかしくしてたんだ。

 おそらくは、最後に私を名指しにした、あの邪悪な気配を伴った声。


 ――何なんだろう、怖いなぁ。


 でも、何とか事態は解決した。

 これもおねーちゃんのおかげだ。ありがとう、おねーちゃん!


 と、私が感謝していた頃、おねーちゃんは絶体絶命の大ピンチ真っ最中だった。

 それを私が知るのは、まだ、もう少し先のことである。

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