第8話 伝説の聖女の力に目覚めた妹のために姉が対策を練りました

 まずい、これはまずいわ。

 私は、エリィからの手紙を握り締めて、急ぎ、部屋を出た。


「マリシア。いるかしら、マリシア!」


 家中に響くほどの声量で、私は頼るべき人の名を呼んだ。

 すると、近くの部屋の戸が開いて、眼鏡をかけたマリシアが顔を出した。


「どうなさいました、お嬢様。そのように声を荒げて」

「マリシア、お仕事中だったかしら? もしそうなら、ごめんなさいね」


 言いつつも、私は遠慮なしに彼女の方に近づいていく。

 私は、どうやらかなり焦っているらしい。


「いえ、仕事は先ほど終わりまして、のんびりしていたところですが……」


 私の勢いに若干面食らった様子で、マリシアは身を引いた。

 それに構わず、私は「これを……!」と言って手紙を握る手を突き出す。


「……お手紙、ですか。いつ届いたものです?」


 マリシアの顔が怪訝そうなものになる。

 この家に届く郵便物を管理しているのは彼女で、だからこそ不思議なのだろう。


「――転移便よ」


 一言、それだけ告げると、マリシアの顔色が変わった。


「どなたからですか?」

「エリィよ」


 差出人の名を口に出すと、さらにもう一段階、彼女の顔色が変わった。

 最初は驚きの色が現れ、次に「あー、はいはい」な感じになった。


「どうせまた、自業自得な因果応報でしょう?」

「うん、基本的にはそうなんだけど……」


 マリシアの言葉に間違いはない。うん、間違いはないのだ。

 これは完全にエリィの自業自得で、因果応報。


「だったら、放っておけばいいでしょう。わざわざ転移便まで使うなんて……」


 マリシア、渾身のため息。

 私の様子に大事が起きたかと警戒していたらしいが、拍子抜けしたらしい。

 あー、本当に、これが拍子抜けで終わるならどんなにいいことか。


「とにかくマリシア、一度でいいから、読んでみて」

「何ですか、お嬢様。いつになく顔色が悪いようですが……」


 私に手紙を押し付けられて、マリシアが軽く戸惑う。

 それでも手紙の文面に目を落として、彼女は無言で内容を読み始めた。


「はぁ……」


 そして漏れる、呆れの声。

 ここまでは完全に、私が最初にこの手紙に見せたリアクションと一緒。


「ぶふっ」


 あ、噴いた。

 丁度、性癖ごった煮キメラになった部分の辺りを読んだらしい。


「本当に、エルミーナ様は何という、か……」


 何かを言いかけて、マリシアの動きが止まる。

 それもまた、私と同じリアクション。


 彼女も読んだのだ。そして気づいたのだ。

 手紙の最後に書かれた一文。それが意味する重大な危機について。


「あの、お嬢様、これは……」


 ほ~ら、マリシアったら、汗ダラダラになってる。

 先刻、同じ状態になった私はニッコリと笑いかけてうなずいた。


「たった今、リアルタイムで起きている出来事よ」

「神に選ばれた聖女が、十日もの間、世間から身を隠しているのですか!?」


 そういうこと。

 さぁ、いよいよ大変だ。これはエリィ一人の問題に収まらないぞ。


 何せ、あの子は人格はどうあれ聖女。

 今や王太子殿下の婚約者にして、大陸列強ハイデミットの顔とも呼ぶべき存在。


 そんな子が、実に十日もの間、病を理由に姿を隠している。

 噂にならないはずがない。

 それも、できれば耳にしたくないたぐいの噂。醜聞。ゴシップなどだ。


 本来あるべきものが見えなくなると、人はその原因を好き勝手に類推する。

 そして事実はどうあれ、噂はやがて一人歩きし出す。

 そうなったら、もう止めようがない。大衆は、事実無根の噂にこそ耳を傾ける。


「エリィは神に選ばれた、それは確かな事実よ。でも、大衆のほとんどが直にそれを見たワケじゃない。だから、当然だけどイメージが先行する。そんな中で、風説や醜聞が流布すれば、聖女としてあの子が持っている求心力にも悪い影響が――」


 言えば言うだけ、それは今すぐにでも起こりうる事実として感じられた。

 現状、戦況はハイデミット有利と聞いている。

 しかし圧倒という程ではなく、場所によっては拮抗しているところもあるらしい。


 そんな中で、神に選ばれた聖女が味方である事実は、兵にとっての支えとなる。

 だが、聖女信仰とも呼べるそれが醜聞によって揺らげばどうなる。


 最前線で戦っている兵士の士気にも影響を与えかねない。

 最悪、それが蟻の一穴となってやや有利な戦況が敵側に傾くことだってあり得る。

 そんな、ありもしない醜聞一つで――、


「ですが、お嬢様……」


 私が考えていると、マリシアが深刻な顔でこちらを見てくる。


「『神に選ばれた聖女が、今よりもっと周りからチヤホヤされたいからという理由で怪しい秘薬をまとめて飲んだら、性癖ごった煮キメラになって戻らなくなりました』以上の醜聞というのは、果たしてこの世の中に存在するのでしょうか」


 …………あー。


「するワケないわね」


 思わず、断言してしまった。

 うん、私が間違ってた。

 ありもしないどころか、これ以上ない程に見事な醜聞だったわね、これ!


「まぁ、いいのよ。それはいいのよ。ええ、それはいいのよ」

「お嬢様、無理にご自分を納得させようとしても、無理がありますからね?」


 そこは指摘しないでほしいなぁ。自分でも十分わかってるから。

 でも、本当に、今考えるべきはあの子の実態がどうとか、ではないのだ。


「ねぇ、マリシア」

「何でしょうか、お嬢様」


「これから、私の魔法の先生として幾つか答えてほしいの、いいかしら?」

「ええ、私でわかることでしたら、お答えいたします」


 そう言ってうなずくマリシアに、私は改めて心強さを感じる。

 彼女は、公爵家全体を見渡しても屈指の魔法の使い手だ。


 錬金術で作る魔法薬への造詣も深く、この手の話を聞くにはうってつけの相手だ。

 そんな彼女に、私はエリィの手紙に覚えた違和感について問う。


「一つめ、一度に複数の魔法薬を飲んで、人の体は正常でいられるの?」

「断言はできませんが、クラブに伝わる秘薬ともなれば、可能なのでしょう」


 彼女の答えは、私が思っていた通りの答えだった。

 言ってみればそれは、人に複数の効果の魔法を重ねてかけるのと同じこと。


 薬は、様々な状況での使用を考えて作られるからこその薬だ。

 もし重大な異常が起きるような状況がわかっているなら、事前に注意されるはず。


 エリィは、注意されればちゃんと聞く子ではある。

 そんなあの子が、秘薬をまとめて飲んだ。

 ということは、事前の注意などはされなかったと見ていいだろう。


 一つ、安心材料が増えた。

 だが残念ながら、これは本題ではない。次の疑問こそ、最大の問題だ。


「二つめ――」

「はい」


 私は、緊張に乾いた唇を舌先で湿らせて、マリシアに尋ねた。


「仮に、魔法薬を複数飲んだことで作用が変異したとして……」

「はい」


「それが十日も続くなんてこと、あり得るの?」

「あり得ません」


 マリシアは、きっぱりとそう言った。

 やはりそうか。

 私も、そこに違和感を覚えていた。


 クラブ秘伝の薬とはいえ、十日も効果が続くなんて、いくら何でも長すぎる。

 エリィの手紙を見るに、あの子は秘薬を飲み続けているワケじゃない。


 それなのに、効果が終わらない。


 一度の摂取で十日も効果が続く薬があるなら、もっと研究されているはずだ。

 薬も、魔法も、所詮は一時的な効果しか及ぼさないものなのだ。


「つまり――」


 エリィが性癖ごった煮キメラから戻らなくなったのは、秘薬とは別の原因!


「秘薬が原因でないなら、エリィが戻れない原因は……」

「私に心当たりがあります」


 それを言うマリシアの頬を、一筋の汗が伝い落ちた。

 彼女の顔を見て私は悟ってしまう。

 その心当たりはきっと、とんでもなくロクでもないものだ。


「言って、マリシア」


 だが私は彼女に促す。もう、世間がどうとか言ってられない。

 あの子が――、エリィが、妹が、私の知らない何かに脅かされている。


 それを思うといてもたってもいられなかった。

 あの子を助けてあげられなければ、私は一生後悔する。その確信があった。


「おそらく、エルミーナ様が戻れなくなった原因は――」

「な……」


 そしてマリシアが告げた心当たりは、私の予想を遥か上回るものだった。


「それが本当なら……、いえ、でも――」


 私は呟く。

 きっと、今の私の顔色は青ざめている。マリシアと同じように。


「この推論が当たっている場合、どのように対処をすればよいのか……」


 マリシアが眉をしかめて視線を下げる。

 確かにその通り。原因がわかったとしても、対処できるかどうかは別問題。

 しかし、それについては私はあまり心配していない。


「大丈夫、何とかなるわ」


 私は、安請け合いと言ってしまっていいレベルで、軽く告げた。


「それよりも、手紙を書くわ。転移便、使えるかしら?」

「一応、秘匿転移便発送用の魔法は習得しております。魔法陣も用意はできます」


 さすが、私の魔法の先生。

 そうと決まれば、急いでエリィに返信の手紙を書いて、送らなければ。


「ですが……」

「え?」

「言いにくいことですが、今の季節ではおそらく、転移便は使えません」


 マリシアの言葉に私は目を剥く。一体、どうして?


「発送用の魔法陣は、仕様上、地脈の魔力を使います。ですが、地脈の魔力は季節によって大きく変動するのです。最も向いているのは夏。次に春。秋、冬は地脈の魔力が低減してしまい、秘匿転移便に用いれるほどの魔力は……」

「そんな……」


 私は、絶句するしかなかった。

 転移便に用いる転移魔法は、魔力の消費量がすこぶる大きい。

 それは到底、術者だけではまかなえず、必ず補助用の魔法陣が必要となる。


 魔法陣からの魔力供給がなければ、転移便は送れない。

 では、術者以外の人間の魔力も加えればどうか。


 残念ながら、それは不可能だ。


 人の魔力にはそれぞれ波長があり、無理に重ねれば干渉しあって反発を招く。

 だからこそ、波長を持たない地脈の魔力が補助として使われるのだ。


 どうする。

 一体、どうすればいいの……?


 私は、窓から外を眺めた。

 そこから見える木々の葉は、見事に赤く色づいていた。


「エリィ……」


 必ず、あなたに手紙を送るから。

 だからお願い、それまで無事にいるのよ、エリィ!

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