第7話 伝説の聖女の力に目覚めた妹だった人から手紙が届きました

 夏が過ぎて、そろそろ秋が来ようとしている。

 家の左手にある雑木林に入ると、黄色く色づいた葉がはらはらと落ちてくる。

 もう少し日が経つと、それは赤みを増して鮮やかさを演出してくれる。


 このエスティノ村に来て、そろそろ二年が経とうとしている。

 日々が目まぐるしく過ぎていた王都での生活より遥かにゆったりとした日々。

 でも、振り返ってみればあっという間だったかもしれない。


 さて、そんな私が雑木林を歩いている理由は、知人を訪ねてのことだ。

 この林の向こうに、私が懇意にしているドワーフの鍛冶職人が居を構えている。

 暫し歩くと、カキーン、カキーンと鎚の打たれる音が聞こえてきた。


 彼は、音が村人の邪魔にならないよう、わざわざ林の向こうに住んでいる。

 本人はそんなことはないというけれど言動の端々から気遣いが感じられる人だ。


 さらに歩くと、木々の間に煙突のある家が見えてくる。

 煙突からは黒い煙が上がっていて、どうやら彼は鍛冶仕事の真っ最中のようだ。


「ガゥンドさーん、いらっしゃいますかー?」


 鍛冶場に顔を出すと、彼は無心に鎚を振るっているところだった。

 赤熱する金属塊をやっとこに挟んで掴み、それを金床の上に乗せて鎚で叩く。

 そのたびに舞う火花が、鍛冶場をパッと刹那に照らし、鮮やかに散った。


 鎚を振るっているのは、白髪に鉢巻を巻いた、隻眼のドワーフ。

 上半身裸の彼は、顔も体も汗にまみれさせてひたすらに鎚を振るい続けている。

 鳴り響く金属音はとても澄んでいて、耳にうるさいどころか心地いい。


「ガゥンドさーん」


 私は再び呼びかけるが、だが、反応はない。

 ガゥンドさんは完全に鍛冶仕事に没頭しているようだ。


 農作業をしているときのトマスさんと同じ感じ。

 そういえば、執務室でお仕事をしてるときの父様もそんな風だったわね。


 男の人って不思議ね。

 どうしてそんなに一つのことに没頭できるのかしら。


 呼びかけても無駄だとわかり、私はしばし、その場で待つことにする。

 すると、大した時間も経たないうちに、鎚の音が止む。


「ふぅ……、こんなもんかのう」

「それは、斧ですか?」

「む? おお、何じゃい、来とったんか。村長の嬢ちゃん」


 叩いたものを水につけて、一息ついたガゥンドさんに、私は声をかけた。

 それでようやく気づいてくれた彼が、驚きの顔を浮かべた。


「実はさっきからいました」

「何と。ならば呼べばよかったではないか」


「呼びました」

「むむ? そうか、集中していて聞こえんかったわ。すまんすまん」


 軽く謝って、ガゥンドさんは相好を崩した。

 傷と髭にまみれたその顔は、でも、笑ってみると非常に人懐っこく見える。


「それで、この気難しい老人に何か用かね?」


 と、彼はいつも通りにそんなことを言う。

 ガゥンドさんが気難しかったことなんて一回もなかったけれど。


「ウチで使っている農具が、ちょっと歪んでしまったようでして……」

「ほぉ、無理な使い方でもしたかね?」

「トマスさんが言うには、農具がそもそも古いからだ、って……」


 私がそう言うと、ガゥンドさんは「ああ」と手を打った。


「そういえばあんたが使っとるのは、誰も使ってなかったお古だったか」

「そうなんですよ」


 個人用の畑を耕すため、余っていた農具をもらい受けたのだ。


「ふむ、わかったわかった。こいつが終わったら、そっちをやってやろう」

「ありがとうございます。お代はしっかりお支払いします!」

「別に構わんがね。ま、こっちは明日にでも終わる。そのときにな」


 金床の上に置かれた斧を見て、彼はそう言ってくれた。

 つられてそちらを見た私はふと気づく。


「これ、トマスさんのおうちの斧ですか?」

「ほほぉ、よくわかったな」

「前に何回か見たことがあって。……古そうなのに、とても綺麗」


 トマスさんが担いでいた斧は、かなり使い込まれていた印象があった。

 でも、今、金床の上に置かれたそれは、深い灰色の地金がとても輝いて見える。

 ガゥンドさんが鍛え直したおかげだろう、見ていてまるで飽きない。


「こいつは、ちょいと特別な一品でな」


 何故だか、ガゥンドさんが嬉しそうに笑ってそう言った。


「特別な一品、ですか?」

「ああ、こいつはな、元々斧ではなく、剣だったんじゃよ」


 それを言うガゥンドさんは、何かを懐かしむように目を細めた。


「エスティノ村の名の由来は、知っているかね?」

「初代村長のお名前にちなんでつけられたんですよね、確か……」

「おう、そうとも。ヤツとワシとは旧知の間柄でな、共にここに来たんじゃ」


 それは、知らなかった。

 ガゥンドさんがずっと前からこの村にいることは聞いてたけど。

 まさか初代村長の時代からだなんて。


「もう、何百年前になるかのう……」

「ハイデミットが建国される前から、というのは聞いています」


 そうすると、最低でも二百年以上前、か。

 こんな僻地に、とんだ歴史の生き証人がいたものだ。興味深い。


「エスティノのヤツは、兵士だか、戦士だか、冒険者だか、何だったか……」

「覚えてないんですか?」

「人間の職業には疎くてのう。ワシはただの鍛冶屋じゃから」


 考えているうち、ガゥンドさんは「ま、よいわ」と顔を上げた。

 まぁ、確かに大したことではなさそうだ。私も気にすることなく話を聞く。


「ヤツから頼まれてな、ヤツが持ってた剣を斧に打ち直したのさ」

「それが、これなんですか?」


 と、また斧に目を向けて、私ははたと気づく。


「あれ、そうするともしかしてトマスさんって……」

「あやつはエスティノの子孫じゃよ。直系じゃ」


「じゃあ、本来の村長は私なんかじゃなくて、トマスさんの方なのでは?」

「かもしれん、が、何代か前のトマスの先祖がそれを投げ出してな」


 ええっ!?


「自分には農家の方が合ってるからと、村長の座を他に渡してしまったわい」

「トマスさんのご先祖様って、その、ええと……」


 どうしよう、何て言えばいいのかわからない。


「ま、気にするな。今の領主様はよくしてくれてる。誰も不満などないわ」


 ガゥンドさんがそう言ってくれた。

 父の名代として村長になっている身としては、非常に嬉しい言葉だ。


「さて、そろそろ中に入るかのう。茶でも飲んでいくか?」

「そうですね。じゃあ――」


 と、うなずきかけて、私はハッとした。


「あ、すみません、ガゥンドさん。ちょっと、急用を思い出しました」

「ふむ、そうかね。急ぎじゃ仕方がないのう」


 一瞬だけ残念そうな顔を見せながらも、ガゥンドさんはうなずいてくれた。


「それでは、ガゥンドさん、また後日」

「ああ、っと。なぁ、村長の嬢ちゃんよ」


 踵を返そうとする私を、ガゥンドさんが何かに気づいたように呼び止めてくる。

 何だろう、と思って私が振り向くと、彼が笑って、


「そろそろ、トマスもいい歳だ。あんたが貰ってくれりゃ安心できるよ」

「な……ッ!」


 い、いきなり何を……!?


「ま、そんだけじゃよ。ほれ、急いどるんだろう? 行った行った!」

「あー……、はい、ま、また来ます!」


 私は声を裏返らせて、早足に鍛冶場を去った。

 そして、雑木林を歩きながら、自分の左胸に軽く手を当てる。

 思いがけない不意打ちに、心臓がバクバクいっている。やたらと頬が熱かった。


「もぉ、何なのよ、ガゥンドさんったら……」


 呟きつつ、だが、私の頭に浮かんでいるのは彼ではなく別の人の顔。

 それにまた取り乱して、私は深呼吸を繰り返し、全く別のことを考えようとする。


「そう、そう! 今はそれより、こ、これよ、これ!」


 まるで自分に言い聞かせるように、私は右手が掴むそれを見る。

 ガゥンドさんとの会話中にいきなり手の中に現れたそれ。


 ――多分、エリィからの手紙だった。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 秘匿転移便。


 それは、伯爵以上の爵位を持つ貴族が認めた場合のみ送れる郵便だ。

 特定の印章を持った相手に向けて送る、転移魔法を用いた緊急配達便である。


 転移魔法を用いた郵便といえば便利に聞こえるかもしれない。

 しかし、実はこれが非常に高価だったりする。

 転移便一回の使用で、下手をすれば中流家庭一年分の収入くらいはかかる。


 と、いうのも、人を指名しての物品の転移は消費魔力量がかなり多いのだ。

 通常の、場所と場所とを繋ぐ転移の数倍、下手すれば十数倍。

 おいそれとできるものではないため、その分、コストもかかってしまうワケだ。


 そんなものが、私の手元に届いた。

 差し出し人はエリィ。

 ということは、これを使うのを許可したのは父様か。


 一体、何があったのやら。

 母様がバァバ襲名の権利を押し付けられたときにも、使わなかったのに。

 家に戻った私は、自分の部屋で手紙の封を開けた。


 あ、今回は少ない。

 封筒の中を見て、まず思ったのはそれだった。

 いつもは便箋数十枚をむりやり折り畳んでパンパンになってるのに。


 まぁ、何があったころで、力を貸す気は全然ないけど。

 前回の手紙の件を、私は忘れていない。

 そして、自分でいうのも何だが、私はわりと根に持つ方である。


 大方、例のクラブ(名前は言いたくない)に追いかけ回されてるか。

 それともケモケモクラブ辺りに言い寄られてるか。

 或いは、ハネハネクラブなどにつけまわされてるか辺りだろう。しょーもな。


 色々予想しつつ、私は取り出した手紙を開く。

 まず最初に、こうあった。



『ねーちゃんたすけてくれ』



 ……おやぁ?


 何か、予想してたのと感じが違うというか――、


『ねーちゃん、俺、聖女じゃなくなっちまったよ。どうしてこんなことに……』


 俺? ちまったよ?

 んんんんんんんんんんんんんんんんんんん?


 あれ、この手紙書いたの、エリィじゃないの?

 何か書き文字も、いつもと比べて太いっていうか、ワイルドっていうか……。


 いや、そんなことよりも、聖女じゃなくなった?

 そんなバカなこと、あり得ない。

 神に選ばれた聖女がその資格を失うなんて、過去に一度だって例がない。


 かつて、勇者と共に魔王を滅ぼしたという聖女。

 その後も大陸に幾度か現れた聖女は、皆、生涯を通じて聖女であり続けた。

 その力が失われるなんて――、


『俺、おっぱいがなくなって、代わりにお股に棒が、玉が、ついちゃった!』


 ……はい?


『トラトラクラブの秘薬飲んだら、エリィ、男になっちゃったよ――――!』


 あそこかァァァァァァァァァァァ!


 トラトラクラブ。

 正式名称、セクシャルトランス同好クラブ。いわゆる性別逆転クラブである。


 クラブに伝わる秘薬を用いて、一定時間、性別逆転を楽しむ。

 ただそれだけのクラブで、秘薬もそれ以外に危険なところはないはずだけど。


 ああ、聖女をやめたってそういう……。

 聖女じゃなくて、女性であることをやめちゃったってことね。


 それは驚くだろうけど、でもこれ、エリィが自分から秘薬飲んだパターンね。

 人気者になりたいからいい顔してトラトラクラブの秘薬飲んだんでしょ。


 それで男の子になって驚いたからって、転移便まで使う?

 おねーちゃん、これはちょっとがっかりしたなぁ。


 転移便ってすごく高いのよ?

 そんなコトを知らせるためにお父様に頼って無駄な費用を使わせて――、


『あと、頭にネコミミ生えて、尻にネコ尻尾が生えて、背には翼が生えたァ!』


 ……え、それだけじゃないの?


『ケモケモクラブとハネハネクラブの秘薬飲んだら、何か生えちまったよォ!』


 一度にどれだけ秘薬飲んでるのよ、このおバカな妹は。

 でも、あー、なるほどなるほど、そういうことかー。うん、理解したわ。


 要するに、色んな秘薬をいっぺんに飲んで、色んな効果が一気に出た、と。

 それで混乱しちゃったワケね。で、お父様も同じく驚いた、と。


 OK、大体わかったわ。

 なるほどねー、ふ~ん、そっか~。なるほどね~。


「はァァァァァァァァァァァァァァ~~…………」


 我ながら、体内の空気を全て絞り出すかと思うほどのため息が出た。

 正直に言ってしまえば、だから何だというのだろう。というのが私の感想。


 結局、私の妹への失望は変わらない。

 男の子になろうが、ネコミミ生えようが、羽が生えようが、秘薬の効果だ。


 秘薬は、長年使われてきたからこその秘薬。

 確かにその効果は永久に滅してほしいものばかりだが、安全性は高い。


 厄介な副作用なども表れないよう調整されたものを飲んだだけ。

 要するに、今のエリィの状況は、ただそれだけのことに過ぎないのである。


 それだというのに、全くこの子は――、


『それだけじゃないんだ、ねーちゃん。お、俺、あと、し、触手……』


 え。


『触手が、変な、ぬらっとした触手が……、う、あああああああああああ!』


 なっ!?

 まさかあのショクショククラブがエリィに手を出したというの!


 ショクショククラブ。

 それは、数あるクラブの中でも、特に極まったクラブとして知られている。


 あろうことか、彼らは異界の魔物を使役するのだ。

 ぬめる触手を持つ魔物を召喚し、会員はその触手に身を絡ませてヌメヌメする。

 ただそれだけの、傍から見たら危険度MAXなクセに実は無害なクラブ。


 ――そう思ってたけど、実は違っていたらしい。


 まさか、聖女すらも触手に絡めてヌメヌメさせるとは、何という破廉恥――、


『触手が体から生えてくるんだよォォォォォォォォ――――ッッッッ!!!!』


 …………。


「んんんんんんんんんんんんんんんんん?」


 そこに書いてあった文面を、私は二度、三度、繰り返して読んだ。


『気を抜くと、何かヌメヌメした触手が体から生えてくるの、ちょー怖いッ!』


 エリィが触手に絡められるのではなく、エリィから触手が、生えてくる?


『しかもショクショククラブの人、生えた触手で私を絡めてくださいってさァ!』


 あー、そっかー。そういう感じかー。

 ごめんなさい、ショクショククラブの皆さん、私、勘違いしてました。


 本当に、ただ絡まりたいだけなんですね。

 そこに他の意図はなく、ただただ、絡まってヌメヌメしたいだけなんですね。

 私は、あなた方の純情を疑ってしまいました。ごめんなさい。


『ううう、ロリロリクラブの秘薬飲んで体も小さくなっちゃったしさー……』


 そしてやっぱり飲んでたかー。

 味を占めないワケがないと思ってたわ、おねーちゃん。


 そして、おおよその状況も理解したわ。

 つまりあれね、今のエリィは――、


 幼くなって、男の子になって、

 ネコミミとネコ尻尾が生えて、背中には羽が生えてて、

 気を抜くと体からヌメヌメした触手が生えてくるという――、


 まさに『性癖のごった煮キメラ』と化してしまったのね。

 もし身近にいたら、絶対に近寄りたくないわ! 農村にいてよかった!


「……バカな子」


 それ以外に言うべき言葉なんて見つからないわよ、こんなの。


『今、俺、親父に事情話して病気ってことで親父の家に隠れてる状況なんだ……』


 まぁ、確かに、人前に出れる状況ではないわね。

 でも完全に自業自得だと思うけど。本当に何ていうか、頭悪いなぁ。


 エリィにとって、今回の件は文字通りいい薬となるだろう。

 性癖のごった煮キメラ状態だって、一日もすれば秘薬の効果が消えて治るはず。

 秘匿転移便なんて来て何事かと思ったけれど、特に大きな問題は――、


『ちなみに、秘薬飲んだの十日前。まだ治ってないけど、これっておかしい?』


 大問題だった。

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