幕間 伝説の聖女の力に目覚めた妹も知らない場所で

 闇の中に、ガラガラの音が響く。


「おぎゃあ! おぎゃあ! おぎゃあ!」

「マ、マンマ……、マンマ……」

「うぇぇ、えぇぇぇぇぇん、んえぇぇぇぇぇぇぇん……」


 同じくして、深い闇の中に響き渡る、幾重もの声。声。声。

 それら全てが、母を求める声であった。

 愛されようとする、剥き出しのままの無垢なる心が鳴らす、魂の渇望であった。


 おお、見よ、闇の底に輪を作るようにして並べられた、十二のベッドを。

 その上で、愛に飢えし無垢なる魂達(平均年齢50歳)が母を求めて泣いている。


 彼らは裸で、かろうじて股間にオムツをつけているだけ。

 また、顔にも仮面をつけている。

 本来であればそれは顔の上半分を覆うだけのモノ。しかし今は違っていた。


 のっぺりとして、目も鼻もない仮面に、大きく数字だけが描かれている。

 その数字は1~12。

 しかし何故か、4の位置にあるベッドには誰もなく、仮面が置いてあるだけ。


「おぎゃあ! おぎゃあ! おぎゃあ! おぎゃあ!」

「まま、まま~、ち、ちっこ~……」

「チュバ、チュバッ、お、おっぱい……。おっぱいぃ~」


 ベッドの上で仰向けになっている無垢なる魂達が、母を求めて泣き喚いている。



「――鎮まれィ」



 泣き声が、ピタリと止んだ。

 彼らの魂の要求を一声で抑え込んだのは、1の仮面のバブバブっ子であった。

 ベッドで仰向けになったまま声を出しただけで、場の空気がズンと重みを増した。


「まずは、我ら『園児・託児所議会』の招集に応じたこと、礼を言おう」

「ナンバー4は、残念ながらいないようですが」

「彼のような者をこの『園託議会』に加えていた不明は、まさに余の恥である」


 バブバブっ子ナンバー1が紡いだ声は、心底からの苦渋に濡れていた。


「まさか、聖女殿を担ぎ上げてバァバ襲名を阻みおるとはな……」

「忌まわしや、ロリロリクラブめが」

「彼奴らこそがこの国の癌。何が真なる紳士よ、無垢なる少女を弄ぶ害悪共!」


 ハイデミットの闇の託児所――、園託議会の面々が次々に怒りを露わにする。

 静かに響き続ける、優しい子守唄のオルゴールをもってしても抑えられない怒りだ。


「実に百年ぶりにもなろうという、バブバブバァバの降誕が阻まれた」

「前回も、最終的には阻まれたのでしたか……」

「記録にはそうある。前回は、ケモケモクラブめが反動勢力を形成したのだ」


 ナンバー3に対し、ナンバー1が答える。

 すると、バブバブっ子達の間で再び激しい怒気が膨れ上がった。


「ケモケモクラブ! 我らが野望を幾度も阻む、畜生の下僕め!」

「ケモミミ・ケモシッポなどという穢れに傾倒する輩に人心は残っておらぬ!」

「畜生に愛を見出すような歪んだ連中は、やはり畜生同然なのだ!」


 園託議会は怒りの炎に包まれようとしていた。

 それは、或いは素直すぎる魂の色の発露なのかもしれない。

 しかしまた、ナンバー1が言った。


「鎮まれィ」


 声が、ピタリと止まる。


「各々、思うところはあろうが、今は国が一つにならねばならぬ時期なのだ」

「陛下……」

「否。この場における余は、バブバブっ子ナンバー1である」


 訂正一つすら、威厳に満ち溢れている。

 彼を「陛下」と呼んだバブバブっ子はたちまち委縮し、オムツを湿らせた。


「国の象徴たる聖女殿が待てというのならば、バァバ襲名は待たざるを得ん」

「しかし、ナンバー1、それでは……!」

「うむ。バブバブバァバの降誕は我がクラブ創立以来の大願でもある」


 漂うのみだった空気が、熱に沸く。

 闇の中、流れるだけだったオルゴールの音色が突如として高く、低く乱れた。

 生じた空間の震えに、バブバブっ子達は揃っておののいた。


「おお、お怒りになっておられる。ナンバー1が、お怒りだ……」

「バァバを求めておられるのだ。大いなる母の抱擁を、優しきまなざしを!」

「母の腕にあって泣くは、まさしく正しき子の姿。それを阻まれたのだ!」


 皆が、ナンバー1の怒りと嘆きに共感した。

 母なるものを求めた末に、この場へと辿り着いた彼らは、まさに魂の兄弟である。


「神に選ばれし聖女の母、まさしくバブバブバァバになるために生を受けし者」

「然り、然り!」

「全くだ、かの女性こそは、バァバになるに相応しき器!」


 ナンバー1に、皆が同調する。

 そんな中で、手にしたガラガラを鳴らして己を主張する者がいた。


「バァバ襲名の儀について、わたくしに任せていただけませぬか」


 その声を発した者は、いつの間にかナンバー4のベッドに横たわっていた。

 他のバブバブっ子の視線が、そちらへと集中する。


「な、貴様、何者だ! チュッパ、チュッパ!」


 ナンバー6が、おしゃぶりを吸って平静を保ちながら、声の主を質す。

 その声の主は彼と違う、黒いオムツと黒い仮面を身に帯びていた。

 仮面の真ん中には赤く交差した『X』の文字。


「――来たか、バブバブっ子ナンバーX」


 場が騒然とする中、ただ一人、ナンバー2だけは彼の到来を予期していた。

 泰然自若として親指をしゃぶっていたナンバー1が、傍らのナンバー2を見やる。


「おまえの仕込みか、我が息子――、いやさ、ナンバー2よ」

「ええ、ナンバー1。バァバ襲名については彼にお任せください」


 この二人が会話をするだけで、場は重い緊張感に包まれる。

 オルゴールも止まって、しばしの間、ナンバー1の親指をしゃぶる音だけがする。


「――よかろう。やってみせるがよい」

「ありがたき幸せ。聞こえていたな、ナンバーX」

「は」


 ナンバー2に促され、黒い仮面のナンバーXはただ短くそう応じた。


「君が上手くいった暁には、今寝ているナンバー4のベッドは君のものだ」

「恐悦至極」


「喜ぶのはまだ早い。全ては、ことを成してからだ。――いいね?」

「は」


 念を押すナンバー2に、ナンバーXはまた短く返す。

 そして、次の瞬間にはその姿は消えていた。

 彼が寝ていたベッドには、黒い仮面と、そして小さなおねしょ跡。


「おお、見ろ、このおねしょ跡を……!」

「エ、Xの文字を描いている!?」


 かすかな異臭に気づいたバブバブっ子達が、ナンバー4のベッドを取り囲む。


「何ということだ、一体、いつの間に……?」

「あの緊迫感溢れる会話の中でしていたというのか、おねしょを!」

「バブバブっ子ナンバーX、何たるバブり。ヤツこそは尿道のアーティスト!」


 ざわめくバブバブっ子をよそに、ナンバー1は尋ねる。


「ナンバーX、ヤツは、使えるのだな?」

「ええ、聖女ママに対しては、この上ない相手でしょうね」


 ナンバー2が、仮面の奥でほくそ笑んで、短く続けた。


「何せ彼は――、僕の義父になる男、ですから」


 子守唄のオルゴールが、網の中に再び流れ出した。

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