第6話 伝説の聖女の力に目覚めた妹から報告の手紙が届きました

 高く上がった太陽の下で、私は土にまみれてカブを抜く。

 適度に雨が降り、適度に太陽が照ったおかげで、初めてのカブはすくすく育った。


 毎日、少しずつ大きさを増す葉を見て、私は胸をドキドキさせた。

 そして今日、トマスさんからも大丈夫と言われて、ついに収穫の日を迎えた。


 カブは、私が思っていたよりもはるかにしっかりとしていた。

 引っこ抜くのにそんなに力はいらないと思っていたが、大間違いだ。


 大地に深く潜り、根を膨らませたそれは、なかなかしぶとく私は苦労した。

 トマスさんが「手伝いましょうか」と言ってくれたが、辞退した。

 だって、これは私の初めての収穫。喜びも、苦労も、私だけで独占したいの。


 そう言うと、トマスさんは「わかりますよ」と言ってくれる。

 夏の日差しの下で、麦わら帽子をかぶった私は、カブを相手に苦闘を続ける。


「それ、もうすぐですよ、お嬢さん!」

「はい、ん、んんんんっ!」


 これまでで一番大きいカブを相手に、私は声援を受けながら踏ん張った。

 ゆっくりゆっくり、大きなカブが地面の中から白い実を見せ始める。

 やがて、ようやく引っこ抜けたとき、勢い余った私は後ろに倒れそうになる。


「きゃあ!」

「おおっと、危ない」


 地面にぶつかる覚悟をした私を、大きな壁が受け止めてくれた。


「大丈夫ですか、お嬢さん」

「トマスさん……」


 受け止めてくれたのは、トマスさんだった。

 その分厚い胸板は、私のような華奢な体の女がぶつかった程度ではビクともしない。


 私は、彼の胸に手を添えて、肩を寄せていた。

 咄嗟のことだったから、トマスさんも私の方に手を回してくれている。

 彼と私は、これまでにない近さで、身を寄せ合っていた。


 土とお日様の匂いがする。

 トマスさんに染み付いた村の匂いだ。それがわかるくらい、今の私は彼に近い。


 ――気づいて、さっきとは違う意味でドキドキする。


「トマスさん……」

「やぁ、こいつは大きなカブだ!」


 頬を紅潮させた私が彼を見上げると、返ってきたのはそんな声。

 彼は、こんな状況だというのに、私ではなくカブの方を見て、はしゃいでいた。


「どうです、お嬢さん。なかなか重たいでしょう、それ」

「……はい。そうですね」

「あれ、お嬢さん、どうかしましたか?」


 私がジトっとした目で言うと、トマスさんは不思議そうに首をかしげた。

 まるっきりわかっていない様子の彼に、私は怒るよりも先に笑いだしてしまった。


「お嬢さん?」

「いえ、何でもありません」


 だって、トマスさんったらカブにしか目が行ってないんですもの。

 本当にこの人は農家さんで、私はというと、まだまだ貴族の頃のクセが抜けてない。


 男性が、妻でもない女性の肩を抱く。

 あの王宮だったら、とんだ醜聞だ。翌日を待つまでもなく、宮中を噂が駆け巡る。


 夜こそ、ねじ曲がり、歪み切った性癖の坩堝と化す、あの王宮。

 では昼間がマシかといえば、そんなことはない。

 昼も夜も、種類は違えどあそこには人の屈折した情念と、堕落した悪意が渦を巻く。


 夜になればそれは『クラブ』という形で現れる。

 そして昼は『貴族社会』という、一層分かりにくい形でそれが顕現する。


 ハイデミットの王宮の本質は、昼も夜も変わらない。

 ただ、形が変わるだけに過ぎないのだ。そんな場所に、私は長くいすぎた。


 それに対してトマスさんの見せる鈍さは、むしろ素朴さの表れにも見える。

 隣人は隣人であり、力を合わせ、助け合って、肩を並べるもの。

 そんな、あの王宮では決してあり得ないことが、この村では常識なのだ。


 でも、やっぱり今のシチュエーション、トマスさんにも照れてほしかったかも。

 彼には絶対に漏らせない、私の小さなワガママであった。


「これで終わりですね、お疲れ様です」

「ありがとうございます、トマスさん。手伝っていただいて感謝してます」

「いえいえ、俺は何もしてませんよ」


 初めてのカブの収穫を終えて、私は大きく息をついた。

 土まみれのカブが、ええっと、幾つくらいあるのかしら、これ……。

 収穫に夢中で、数えるのを忘れていたわ。見るからに数は多く見えるけど。


「今日はこれを使って夕飯ですか?」


 カブを数えていた私に、トマスさんがきいてくる。

 私は「そうです」とうなずいて、自分の家の方へと目を向ける。


「この間、行商で珍しいモノを買って、それで使ってみようかなって」

「へぇ、珍しいモノ? どんなのです?」

「東方の調味料で、ミソっていうらしいんですけど」


 そのままなめるとかなりしょっぱい、ドロッとした茶色のペーストだ。

 発酵食品の一種らしく、行商いわく湯に溶いてスープにするといいとのこと。

 今日は、それを使ってカブの煮込みスープを作るつもりだ。


「ミソですか、聞いたことがないですね」

「美味しかったらおすそ分けしますね」

「ええ、是非!」


 嬉しそうに笑うトマスさんを見て、私も何故か嬉しくなる。

 その後、一緒に井戸水でカブを洗って、彼は農作業に戻っていった。


 私は、用意したカゴに洗ったカブを入れて家まで歩く。

 カゴは重たかったけど、今の私ならば十分持てる程度の重さだった。


 楽しかった時間もこれで終わり。

 家に戻り、台所にカゴを一度置いて、私は部屋に戻る。


 本当は他にすることもあるのだけど、先に見なければいけないものがある。

 机の上に置かれた、それ。


 ――エリィからの手紙であった。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



「さて……」


 愛用の椅子に腰を下ろし、私は封筒を手に取った。

 封は、もう開けてある。中身の確認はまだしていないけれど。


 正直、心配は募らせていた。

 母様がどうなったか、エリィはうまくやったのか。


 エリィにもかなりの負担をかけてしまった自覚はある。

 しかし、山奥にいる私には、彼女に任せる以外に手がないのもまた事実。


 そもそも、エリィが私から殿下を奪ったことが発端でもあるワケで。

 今さら、それを恨んではいないけれど、やったことへの責任は負ってもらおう。

 そう思いつつ、私は封筒から取り出した手紙を開く。



『おねーちゃんにたすけてもらわなくてよかったかも』



 おおっと、これはなかなか虚を突く書き出し。

 私が提案した作戦が上手くいったから手紙をよこしたのだと思ったけど……。


『だって私、聖女だモンね。聖女ってコトは、すごいえらいってコトだモンね!』


 エリィ、そんなどうでもいいことはどうでもいいの。

 それよりも、母様はどうなったの? バブバブバァバ襲名は延期できたの?


『それで、お母様のバブバブバァバの襲名についてなんだけど――』


 そう、それよ、エリィ。

 どうなったの? 飼い猫な母様は人としてのメンタルを保てているの?


『どうしよっかなー。教えてあげよっかなー。やめよっかなー。教えてほしい?』


 エリィ?


『ねぇねぇ、教えてほしい? 教えてほしい? でもなー、どうしよっかなー』


 エリィ???


『だっておねーちゃん、遠いところから生意気に私に命令してただけだしなー』


 エリィ!!?


『ウッソ~ン♪ 仕方ないから教えてあげるわ。フフンフンフフフフ~ン♪』


 あの子、鼻歌歌いながらこれ書いたな。

 脳みそが鼻歌で満たされて、文面にまで鼻歌書いちゃってるじゃないの。


『お母様のバァバ襲名は無事に無期延期になりましたー。私の狙い通りにね!』


 よかったわね、エリィ。

 でも、それを提案したのは私よね?


『ななな、何と、非主流派クラブの協力をこぎつけたのです! 私、すごいわ!』


 そうね、すごいわね、エリィ。

 でも、それを提案したのも私よね?


『イェ~イ、おねーちゃん見てる~? エリィの考えた作戦どう? どう?』


 とても自慢したいのね、エリィ。

 でも、ここまで出てきた中にエリィが頭働かせたところ、あったかしら?

 それとね、手紙は見るものじゃなくて、読むものよ。


『あ、でもね、例のクラブに協力してもらうときはなかなか大変だったわ……』


 ああ、例の非主流派クラブ。私も名前を言いたくない、アレ。


「――そうね、ごめんなさい、エリィ」


 誇りある淑女なら、あんな扱いを受けるのは屈辱だろう。

 状況ゆえ、仕方がなかったとはいえ、私はエリィに辛い思いをさせてしまった。

 それに対して、私はただただ申し訳なさを感じることしかできな――、


『だってあの人達ったら、私のコト大好きすぎるんですもの! やだ、もー!』


 …………エリィ???


『ちょっと小さくなるだけで、褒めてくれるし、お菓子くれるし、最高よね!』


 …………例のクラブに適応したのね。


『これも私が聖女だからね。神様に選ばれた私は、どこに行っても人気者だわ!』


 …………そして増長もしてるのね。


『もうね、私、人気ありすぎて忙しくて仕方がないの。夜もママしなきゃだし!』


 …………あまつさえママにも順応してしまったのね。


『お母様からも泣いて喜ばれたわ。もう、仕方のない人。全部、私のおかげだけど』


 あれ、エリィ? ねぇ、エリィ?

 それはさすがにおかしいわよね、エリィ?


『あ、ところでおねーちゃん何かしたっけ? 田舎でお芋掘ってるおねーちゃん!』


 お芋……。


『これからは私の時代だから、せいぜいド田舎で楽しく暮らしていけば――』


 そこから先、枚数にして四十枚。

 その全ての内容が、私に対する聖女マウンティングで占められていた。


「えい」


 一通り目を通した後で、私はマリシアから習った魔法で手紙を燃やした。

 皿の上でメラメラと燃え上がる手紙を見ながら、私は息をつく。


「そうね、これがエリィよね……」


 私は、母様を飼い猫と評した。

 あの人は本当に弱い人で、自分がやることにすらストレスを感じてしまう。


 一方で、母の血を九割方受け継いでいるエリィだが、そこだけは違った。

 あの子は何というか、無駄に打たれ強いのである。

 私があの子に例のクラブへの接触を提案した理由も、そこにある。


 エリィならば、例のクラブから何を頼まれても耐えられる。

 そういう目算があっての提案だったけど、まさか耐えるどころか受け入れるとは。

 おまけにバブバブママであることすら、自慢の種にしてしまっている。


 う~ん、私が思っていたよりも、あの子のメンタルは強いのかもしれない。

 いや、強いというか、スライムみたいにダメージを吸収する的な感じに思える。


 だが、そんな記憶力含めてスライムなエリィだからこそ、認識が甘い。

 ハイデミットの王宮は、あなたが思ってるほど生易しくはないのよ、エリィ。


 まぁ、でもせっかく聖女様が楽しく暮らせばいいと言ってくれたのだ。

 今後一切、どんなことがあろうとも私はエリィに協力することはないだろう。

 だって、田舎で芋を掘っている私は、楽しく暮らすので忙しいから。


「お嬢様、ただいま戻りましたよー」


 玄関の方から、マリシアの声がする。

 その瞬間、私の頭にはミソとカブのことだけが浮かんでいた。


「お帰りなさい、マリシア。あのね、今日の夕飯を――」


 そして私は、彼女を迎えるため部屋を出ていく。

 三か月以内にまた助けを求めてくるであろう妹のことは、もう頭から消えていた。

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