15 こころのほんとう

15-1 ふたりっきりのクリスマスイブ

「良かったねー。お兄」


 俺の安アパート。いつもの半額弁当を前に、結菜は嬉しそうだった。


「そうだな、結菜」


 大騒ぎの社内コンペを終え、皿やら鍋やらの片付けに追いまくられたら、もう退勤時間。


 普通ならお疲れさんと商品化祝賀を兼ねてみんなで飲みに行くところだが、なんせクリスマスイブの金曜だ。予約もせずに店になだれ込めるはずもない。なのでそれは週明けの忘年会でということで、解散となった。


 でまあ、こうして代わり映えもしない晩飯風景になっているわけよ。一応、イブだからコンビニでケーキを買ってある。ケーキ屋は全滅で、予約分しか残ってなかったし。


 結菜とふたり、のんびり「お疲れ会」でもってところよ。飲むのはわかりきってるんで、風呂はもう済ませてある。酔ったらごろりと寝ちゃえばいいい。ツマミは弁当とスーパーの惣菜。平社員と高校生ならまあ、身分相応ってところだろう。


「でも結菜、せっかく風呂入ったのに、なんでセーターなんか着込んでるんだ。いつものジャージでいいだろ」


 しかも結菜が大事にしている、お気にセーターだ。


「だって……」


 結菜はちらりと俺を見た。上目遣いで。


「コンペに勝った記念日だし、かわいい服着たいなって」

「そうか」


 結菜も女子だからな。わからなくはない。


「でもそんなら、下もかわいいスカートにしたらいいじゃん。なんで部屋着のジャージなんだよ」


 あはははっと結菜は笑った。


「いいんだよ。そっちはお兄から見えないし。ジャージ、楽だし」


 ……まあたしかに向かい合っちゃえば、俺からは見えないか。


「それともスカート穿いてほしい? すごーく短くして」


 結菜の瞳が輝いた。


「いや遠慮する」


 鉄壁スルースキル発動。


「でもけっこう褒められたよね。偉い人に」

「まあなー」


 なんて言ってたかなー。清水開発統括は。えーと……。


 日東ハムの苦手分野ですら、食文化革新の狼煙は上げられる。市場で受け入れられるかどうかは不明だが、その意気を示した西乗寺チームには称賛の言葉を贈りたい――。とかなんとか、そんな感じだった。


 翻訳しちゃえば、「売れるかわからんから受賞は無理だ。でもなんかヘンで面白いから、試しに商品化させてやるわ」ってところだ。それを砂糖でまぶして褒めた形にしただけで。


 俺がそう解説してやると、結菜は笑い出した。


「いいじゃん、それで。絶対売って、見返してやればいいんだから。ハムチームに、まいったって言わせようよ」

「だなー」


 小さなケーキの苺周辺をスプーンですくうと、結菜は口に放り込んだ。


「はあー。なまらおいしい。ショートケーキ……」


 もう飯は終わって、ケーキをつまんでいるところだ。俺のはコンビニスイーツならではというか、どえらく小さなブッシュ・ド・ノエルだが、半分くらいはもう結菜に食われている。まあこうなるとは思っていた。


「……てかお兄、さっきから返事がだらけてるよね」

「なんか、気合いが入ってた分、終わったら気が抜けた」

「そういうものかもねー。はい、お酒どうぞ」


 ストロングチューハイを、グラスに注いでくれる。一応プレゼン打ち上げの記念日だし、缶から直じゃなくて、グラスは用意したんだわ。結菜のグラスもあるが、そっちには高いぶどうジュースを注いである。


「おいしいよ、ぶどう味のお酒。飲みなよ」

「ありがと」


 たしかにうまい。……今日は飲みたい気分だ。実際もう、三本めだし。


 結菜との関係だって、もう会社で隠す必要はない。それで心が軽くなったのも事実だ。実際、今日だって初めて一緒に帰ったしなー。


「ところで結菜」

「なあに、お兄」

「今日、俺に話すことあるって言ってたろ。昨日の夜」

「あー……」


 天井を見上げて、結菜は黙った。チラと目だけで俺を見る。


「……まだ覚えてた?」

「当たり前だろ」

「忘れてもいいよ」

「そうはいくか、気になってたんだ。……あれ、なんだよ」

「それはね……」


 俺をじっと見つめた。黙っている。


「どうした――あっ」


 握り締めてたストハイグレープ缶を、一気に煽りやがった。


「ふうーっ。……なまらおいしい」

「お前……」


 まあいいか。今日は結菜、泣いたりして大変だった。たまには羽目外させてやっても。もう風呂入った後だから、酔ったら寝かせちゃえばいいし。


「なんか言うの恥ずかしくなった」

「それで飲んだんか、勢いつけるために。……おっさんかよ」

「ひどーい」

「ほら話せ。なんだかわからんが、馬鹿にしたりしないから」

「笑わないでよ」

「なんだ。今日は随分バリアー張るなあ、お前。ハードル下げて聞くから、安心しろ」


 酔ったのか、結菜は少し頬が赤くなってきた。器用にぱくぱくと口だけ動いていたが、そのうち声が出た。


「あたしは……結菜は……」


 無理やり押し出したような声だ。そこで言葉が途切れると、俺を見た。すがるような瞳をしている。


「どうした」

「……結菜はむ、昔から……洋介……兄のことがす……好き……だった」

「……」


 想定外の告白に、結菜の意図がわからず混乱した。俺を拒絶したくせに、どういう意味の「好き」なんだこれ。


 ほんとの昔だよ、と、結菜は続けた。盆暮れ正月に親戚が集まったとき、まだチビだった結菜と遊んでやってた頃かららしい。そういや、正月に俺が寝てると他のチビと一緒に跨ってきて、勝手にお馬さんごっことかやってたな、結菜。


 最初はただの「遊んでくれるお兄さん」。中学頃からは「気になるお兄さん」。そして……。


「だからお兄と会えると嬉しかった。去年だって、お兄の実家で会えたら、なんか溜めてきた気持ちが、一気に心から溢れちゃって……」


 あんときの話か。


「その頃、ウチはもう壊れてたから、寂しかったのもあると思う。あたし、洋介兄にすがってたのかも」


 そら、たまにしか会わない相手だしな。勝手にイメージ膨らませてたってのは、あっても不思議じゃない。俺のことイケメンとか言ってたし。


 それでか。好きムーブしてたのは……。


「ふたりこれまでの関係から一歩踏み出して連絡取り合おうって、俺、言ったんだよな。好きだったんなら、なんで断ったんだ」


 それも「お断りします」って、他人行儀の塩対応だったからな。


「怖くなっちゃって」

「俺がか」

「ううん。自分が」


 苺ショート、最後のかけらを、スプーンでていねいにすくい取った。


「なんか家庭がおかしいのをいいことに、自分をお兄に押し付けてるみたいで。……お兄があたしのほう向いてくれるってわかったら、急に怖くなった」

「それで塩対応か」

「あのとき……ごめん」


 申し訳なさそうに、下を向いちゃった。


「それでね、お父さんが……」


 またストハイ缶を掴んだんで、それは奪い取った。


「もうやめとけ。ジュースにしろ」

「わかった」


 素直に頷くと、ぶどうジュースを飲んだ。


「それでいよいよお父さんもお母さんもいなくなって、家が完全に空になったら、どうしていいかわからなくなって……。先生に相談して休学だけさせてもらって。それでも部屋で独りで。誰も頼れないし、すごく独りが怖くなって……。そうしたら、お兄の顔が、頭に浮かんだ」

「それで俺を頼ってきたのか」

「そう」


 こっくりと、うなだれるように首を振る。寂しくて不安で、怖かったんだな。結菜がやたらと添い寝をしたがったのには、それもあるのかもしれない。誰かの体温を感じていたかったんだ。


 それから結菜は話し始めた。セフレになりたがった、真の理由を。

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