12-3 涙の添い寝、深夜三時

「えぐみを感じるってことは、シュウ酸が過剰ってことだよな、基本」


 深夜。アパートのライティングデスクで、俺は実験資料を見直していた。


 でも、北インド添付袋の成分分析からは、シュウ酸はほとんど検出されていない。てことはつまり、添付と本体が合わさったとき、シュウ酸以外のなんらかの作用でえぐみが生じてるってことだ。


「タンニンかな……」


 添付袋と北インドレトルトの成分をパソコンの画面上で並べて、数値を追う。


「……でもなさそうだよなあ」


 やっぱり一度添付成分を白紙から組み立て直したほうがいいな、これ。


「はあ……」


 ずっと画面を覗き込んでいたから、肩が凝った。腕を上げて体を伸ばすと、背後から手が伸びてきた。肩から胸にかけ、優しく抱かれる。


「……結菜、起きちゃったのか」


 画面を見る。夜中三時過ぎ。いつもなら結菜は、能天気にぐうぐう寝ている時間だ。


「お兄……体に毒だよ。根を詰めすぎ」

「今、追い込みだからな」


 手をぽんぽんと叩いてやる。抱かれているので、頭に胸を感じる。


「結菜は寝てろ。お肌に悪いぞ」


 あんまり胸を押し付けられると、仕事どころじゃなくなるしなー。


「お兄、最近、あんまり寝てないじゃん」

「別に平気さ。受験のときだってこのくらい普通だったし」

「それ十八とかでしょ。お兄、もう二十六歳じゃない」

「四捨五入すれば、どっちも二十歳だ」

「六捨七入でしょ、その計算だと。無理すぎ」

「誤差みたいなもんだろ」

「違うもん。あたしだって心配で眠れないし」

「まあ、とにかくもうちょっとしたら寝るからさ」


 どちらにしろ、朝は七時起きとかだ。経験上、睡眠時間三時間を切ると、てきめんに体力に響くからなー。


「だって……」


 言葉が詰まった。


「……お兄が体壊したら、あたし、どうしたら……」


 急に、ぎゅっと強く抱かれた。頭に結菜が頬を寄せて。なにか熱いものが、髪を通して頭につたった。


「泣いてるのか」


 驚いて立ち上がる。下を向いたまま、結菜は黙って涙を流していた。


「どうした」

「……だって」


 言葉にならなかった。ぽろぽろ涙の粒が落ちると、顔が苦しげに歪んだ。


「え、えーん……」


 声を上げて泣き始めた。赤ん坊のように。


「しっかりしろ、結菜」


 仕方ないんで抱いてやった。


「俺は大丈夫だ」

「……」


 俺の胸に頬を寄せ、黙って泣き続ける。


「だって……」


 だってしか言わなくなった。


 考えてみたら、今の結菜にとって、頼れるのは俺だけだ。その俺が倒れたらどうなるか。不安になっても当然だ。ついこの間、自分はもう大人だと俺に強がってみせたが、泣いている結菜を見ると、まだ子供にしか思えない。十八歳って、端境だ。俺はもう少し結菜の心に寄り添ってやらないと。


「寂しかったのか。俺が忙しくって」

「……」


 俺の胸に顔を埋めたまま、こっくりと頷く。


「ごめんな結菜。今日はもう止めにするわ」

「……一緒に寝て」

「いいよ」


 これもう仕方ないな。手早くパソコンを終了させると、手を引いてベッドに引き込んだ。


「お兄……」


 当たり前のように、結菜が寄り添ってきた。


「よしよし」


 肩を抱いて、抱き寄せてやる。結菜は俺の腕枕で寝ている形だ。


「背中……撫でて」


 頬に涙の跡がある。瞳を閉じているのは、泣いて恥ずかしいのかもしれない。


「早く寝るんだぞ」


 旭川の結菜の部屋での事がある。撫でるとお互いそっちにスイッチが入っちゃう危険性があるから、背中を優しくぽんぽんしてやった。


「ほら、結菜はいい子だな」

「……もっと言って」


 家庭がな……。ここ一、二年くらい、自己肯定感に乏しかったのかな、この反応を見ると。


「結菜はいい子だ。いつも頑張ってるし。俺に気を遣ってくれるし」

「……お兄」


 また下半身に腿を回してきた。部屋着のジャージを通して、結菜の熱くて柔らかな内腿を感じる。間にタオルケットとか挟んでないので、お互い、相手の体をモロに感じざるを得ない。結菜だって、俺の下半身が今どういう形かすらわかるはず。


 まあいいか……。


 結菜に悟られないよう、俺はこっそり溜息をついた。


 今晩は、例のカワウソになってやるよ、結菜。お前の不安を散らしてくれた、大事な抱き枕に。下半身に変化が起きないように頑張るが、俺の意志に反してそうなっちゃっても許してくれよな。俺は我慢するからさ。


 ぽんぽんは疲れたので、背中に腕を回したまま、手首から先だけで撫でてやった。まあ、旭川のときのようなことは、ないだろう。……ないよな、結菜。


 結菜は、黙ったまま俺にしがみついている。特にセフレ攻撃を仕掛けてくる気配はない。


「……すう」


 そのうち、寝息を立て始めた。そりゃ、もう三時半とかだからな。それに俺が心配であんまり寝てないって言ってたし。ぐっすり寝るのも、当然っちゃ当然だ。


 こっそり、結菜の表情を窺った。涙の跡こそ残ってはいるが、あどけない、なんの悪意もない寝顔だ。


「こうやってると、かわいいんだけどなあ……」


 聞き取れないくらい小声で呟く。


 俺は考えた。


 多分処女のくせに、どうしてセフレとか、とんでもないこと言い出したんだろ、こいつ……。非モテの俺には、女子の考えることなんか、さっぱりわからんわ。


 まあいい。俺ももう寝よう。抱き枕扱いされてんだ。こっちも結菜を抱き枕と思ったって悪くはないよな。結菜はもうすっかり意識もないし。


 左腕に力を入れ、試しにぐっと強く抱いてみた。結菜の体は温かい。右手を、そっと結菜の腰に置く。尻を撫でてやると、ジャージを通して結菜の下着を感じる。


 そのまま手を上にずらすと、上着の間に手が入って、素肌に触れた。さらに上に……。シャツの奥深くまで俺の腕は侵入し、すっと通った、背筋の窪みを感じた。サバンナを跳ね回る小動物のように、体が締まっている。


 このまま前に少しだけ手を回せば、胸か……。


 温かな胸に触れ、優しく揉んで、胸の先に触ってみたい。そのままシャツを剥ぎ取り、胸を口に含んでみたい。下着を脱がせて腿を開かせれば……。


「……いかん」


 下半身に血流が集まりつつある。


「今日はここまでだ」


 自分に言い聞かせると、俺は目を閉じた。裸の背中だけは抱かせてもらう。そのくらいは許してくれ結菜。あとは我慢するからさ……。

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