12-2 開発頓挫でやり直し

「あーもうカレー、見るのも嫌だ」


 ばったりと、菜々美ちゃんが机に倒れ伏した。白衣姿の髪が揺れている。


「言わないの。あと少しでしょう」


 元気づける西乗寺主任も、心なしか目の下にクマが浮いている。


 カレーの候補がほぼ決まり、今は毎日試食して添付とのバランスを試している。よせばいいのに北インド・南インドとも添付を二袋ずつにしたため、これが結構な難しさでなあ……。


 西乗寺チーム全員、なかなかの疲弊具合だ。なんの責任もないバイト、つまりいちばんお気楽なはずの結菜まで、毎日うんうん唸ってるからな。


「また失敗か……」


 岸田が、添付サンプル入りのシャーレを放り出した。


「どうなってんのよ、これ」

「本体のカレー自体は、おいしいですよね」


 菜々美ちゃんが首を傾げた。


「そうなんだよ。そっちは多分、ウチが発売してきたカレーレトルトでもトップクラスで」

「思い切って地域を絞ったのが良かったですよね。味に特徴が出たから既存製品と差別化できるし。そもそもおいしいという」

「添付候補もバランスを変えて何種も試したけどなあ……」

「南インドのほうは、割とうまく行ってるんですけどねえ……」

「北インドは難しいわ」


 実際、甘みを重視すれば味がぼけ、スパイスを強調すれば元のカレーの良さを殺すとか、そんな感じ。あちらを立てればこちらが立たずというのが、今の状況だ。


「わかった」


 西乗寺主任が、声を上げた。


「この添付、入れると変にエグミが出るし。一旦白紙に戻しましょう」

「それって……」


 嫌な予感がする。


「今までの添付レシピを全部捨てるってことすか」

「そうよ木戸くん」


 冗談を言っている顔ではない。瞳がマジだ。


「北インドは、ゼロからスパイスの選定をやり直しましょう。……場合によっては、チャツネを捨て、別のコンセプトにしてもいい」

「くそっ」

「頑張りましょう。考え方次第でしょ。だってもう、カレー本体は北も南も、ほぼ決まった。南インド添付も完成してるから、後は北インド添付のバランスに応じ、微修正するだけで済む。残るは北インドの添付だけ。つまり開発はもう八割終わったというところよ」


 たしかに、現状分析としてはそれが正しい。でもなあ……。


「その北インドがなあ……」


 岸田がぼやいた。


「北インドにはヒマラヤがある。あれと同じで、登山成功を阻む、まさに最後の壁、絶望のアイガー北壁って感じ」


 いやアイガー北壁は、アルプスだけどな。とはいえ……。


「ヒマラヤ登山か……」


 たしかに、言い得て妙だわ。


「ラスボスだな、これ」

「登山だって、頂上目前の最前線キャンプから先が、いちばん難しいからな」

「お兄もお姉も、卑怯なハムチームに負けてもいいの。馬鹿にされたままで終わっていいの」


 立ち上がると、結菜が叫んだ。


「みんな……頑張ろうよ。あいつら、見返してやろうよ」

「そうね。結菜ちゃんの言うとおりだわ」


 クマの目立つ顔で、主任が頷いた。


「日東ハムとしても、私達が頑張って新分野を開発しないとね。いつまでも定番ハムに頼っていては、ジリ貧だものね」

「まあ確かに……」


 岸田が唸った。


「ハムの連中にデカい面されたまま、ってわけにはいかないよな。俺にもタマ付いてるし」

「岸田さん、それセクハラですよ」


 呆れたように、菜々美ちゃんが腰に手を当てた。


「悪い悪い。つい勢いで。……お詫びに今度、晩飯ごちそうするよ」

「そんなことより、頑張りましょう。たしかにあたしたち、負け犬根性になってたかも。あたしもカレー、もっと食べます。もう愚痴は言わないで」


 カレーのサンプルに、スプーンを突っ込んだ。


「今日だって、あと十杯くらい食べちゃうから」


 いや試食は各サンプル、ひとくちかふたくちでいいんだわ。まあサンプルが多いから、そこそこ腹いっぱいにはなるかもだけど。


「太ったら、西乗寺チームのみんなに責任取ってもらうし。……まずは木戸さんに、ダイエットフーズご馳走してもらう」


 謎宣言。


「なんで俺に流れ弾当てるんだよ」


 思わず叫んだ。だってそうだろ。次は「もつ鍋」の約束だ。その先にダイエットフードとか、なんだよ。


 諭吉一枚一枚ぴらぴら召喚する「永久運動」だろ、これ。熱力学の第一法則、第二法則どっちにも反してる、オカルト理論だわな。


 てか経済学か。俺のエンゲル係数、謎の爆上がりとか、勘弁してくれや。


「頂上は見えてるよ」


 結菜が俺達を見回した。


「ヒマラヤ登山なんか、なに。みんなで頑張れば、ラスボス倒して、きっと頂上にだって立てるよ。登って夜明けに、神々しいご来光を見ようよ」


 いや結菜。元気づけてくれるのはうれしいが、お前それ元旦の富士山かなんかとごっちゃになってるだろ……。

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