11-3 美月ちゃんと焼鳥

「うわ、煙もうもう」


 暖簾のれんを潜ると、美月ちゃんが呟いた。


 吉祥寺、井の頭公園脇の焼鳥屋。今日は美月ちゃんリクエストの「吉祥寺の焼鳥屋」という、ピンポイント指定飲み会だ。


「そりゃあね。炭火で焼き鳥、鬼のように焼いてるし」


 マジ、目が痛む寸前くらいには煙ってる。焼き台は通りに面してて換気扇も入り口も全開だけど、それでも換気が間に合ってない。なんせ焼き台にふたり取り付いてて、次から次へと焼きまくってるからなー。


「いい香りー」


 鶏肉の脂が炭火に落ちるジュッという音と共に煙が立ち、香ばしい匂いが広がっている。


 小さなふたり席に陣取ったが、美月ちゃん、嬉しそうだ。今日の美月ちゃんは、グレーのゆったりしたシャツ。下は黒いパンツ姿だ。焼鳥行くから多分、染みとか付いても大丈夫な色にしたんだろう。


「ここ、公園行くたびに気になってたんだ」

「だろうね。俺なら毎日吸い込まれてるわ」


 今は普通に夜だが、この店は昼からやっている。この匂いで釣られちゃあなあ。なんなら公園行くの止めて飛び込んじゃうね。


「でもほら、あたし飲めないし。飲まない女子ひとりで入るの、なんか怖いから」

「それでリクエストしたのか」

「うん……。それに木戸さん相手なら怖くないし」


 なんか微妙に男扱いされてないが、まあいいか。どうせ女子会のツマミ扱いだからな、俺。


「まあ食べようよ」

「そだね」


 美月ちゃん、最初に会ったときはあんまり俺と話してくれなかったけど、もうすっかり慣れたな。男が怖いというより多分、人見知りが強いんだと思うわ、この娘。


「なに頼む」

「木戸さんに任せる。……こういう店、慣れてるでしょ」

「まあね」


 王道ネギマに各種野菜串、それぞれたくさん。女子ならこの「あっさり系焼鳥」が鉄板だろ。全部塩にしてもらった。加えて、これは外せない手羽とつくねを少々。女子の冒険枠として、レバーと砂肝、軟骨を1本ずつだな。先発選手は、こんなところだろう。あとは美月ちゃんがおいしいと思った奴追加していく方針で。


「じゃあかんぱーい」

「よろしくー」


 生と烏龍で乾杯する。この店、焼き台オープンで引き戸も開けっ放し。もちろん冷房なんか入ってやしない「自然派」だ。まだ九月。残暑厳しい季節だから、生が進むのは見えてる。俺ばっかグイグイ飲むの悪い気もするけど、考えたら今日は俺の奢りだし、問題はないだろ。


「ぷはーっ。うまい」

「どんどん飲んでね。あたし、おいしそうに飲んでる人見るの好き」

「なら遠慮なく」


 秒で飲み干して、次を頼んだ。ちょうど焼鳥第一陣が届いたから、いい進行具合だ。


「おいしそう……」


 皿に並んだ焼鳥を見て、迷っている様子。


「どれから食べたらいい」


 割と受け身なんだな、この娘。女子会でも他の娘みたいにグイグイは話さないし。


「まずネギマ行きなよ。焼鳥の王道だし。あと野菜系も好きなだけ。アスパラとかエリンギとか美味しいよ。トマトの豚バラ巻きもオススメだけど、トマト汁が熱くて火傷するから、もう少し冷ましたほうがいい」

「なら木戸さんオススメのネギマから食べるね」

「俺も」


 ふたり仲良く一串ずつ取った。俺が七味を取り皿の端に盛ってやる。


「わあ、美味しい……。鶏がすごいジューシー」


 美月ちゃん、もうニッコニコじゃん。


「美月ちゃんにリクエストされて調べたけど、この店、結構有名だったよ。コスパが良くて美味しいんだってさ」


 実際、その評価が正しいと、食べた瞬間わかったわ。いい鶏使ってるんだろう。噛んだ瞬間、鶏からうまみがジュワッと出てくるし。それに炭火ならではのいぶされた香ばしさがまた、肉の味を百倍うまくするというね。


「それで、カレー開発のほう、どんな感じ」


 ふたり夢中でひととおり食べたところで、美月ちゃんに振られた。すでに焼鳥第二陣に加え、漬物とかのあっさり系口直しを注文してある。


「生産技術だのの細かな調整はだいたい終わって、今は肝心の商品開発の山場ってとこかな」

「味見とか、そういうの?」

「そんな感じ。もう毎日毎日、スパイスをすり潰してカレー作って味見して、ルーを味覚分析計に掛けて……とかの繰り返し」

「へえ……面白そう」

「面白いっちゃあ面白いんだけどね。研究室、すごいスパイス臭くて、そろそろカレー魔神に追いかけられる悪夢見そうというか」

「それ、怖そう」


 楽しそうに笑うなあ……。


「北インドと南インドで、ルーの色はわざと変えたんだよ。南は激辛を連想させる赤っぽいルー。北は濃厚さをイメージさせるように、ビーフシチュー的に黒いカレー」

「いいね、それ。見た目で差があるほうが、地域対決っぽく演出できるし」

「でも色の縛り入れたらさあ、スパイスの選定が難しくなっちゃって」

「ああ、本当はこのスパイス使いたいけど、色が黒くなっちゃうとか、そんな」

「そうそう。そのへんのバランスが難しくて」

「でも木戸さん、楽しそうだよね」

「まあ、楽しいのは確かかな。開発って、初期が楽しく、段々辛くなってくんだよ。今ちょうど、けっこう辛くなってきたとこ」

「ふふっ」


 美月ちゃんの瞳が、キラキラ輝いた。


「でも頑張ってる男の人って素敵だよ」

「そうかな」

「話してて楽しいし……。少しだけ、飲んじゃおうかな」

「大丈夫?」

「うん。一杯くらいなら……」


 店員に頼むと、秒で生中を運んできた。さすが活気のある店は違うな。


「うん……美味しい」


 ビールを口に運ぶと、微笑んだ。いや小鳥の水飲みかってくらい、少ししか飲んでないけどな。


「木戸さんって、休みの日とか、なにやってるの」


 おっ。プライベートに踏み込んできたか。今日の美月ちゃん、意外に積極的だな。

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