11-2 インド大使館で結菜が謎ムーブ

「どうぞ」


 立派な応接に案内された。九段にあるインド大使館。俺達に会ってくれたのは、アディティハ・ネールと桜木誠という人。ふたりとも四十代くらい。名刺では「インド大使館商務官」となっている。立派なスーツを着こなしふっくらして大人たいじん然としたネールさんに対し、痩せていて眼鏡姿の桜木さんは、神経質そうだ。


「お忙しいところ時間を取っていただき、ありがとうございます」


 コーヒーが来て季節や大使館の造作とか型通りの雑談が終わったところで、西乗寺主任が切り出した。


 俺達は、主任に俺、岸田、それに菜々美ちゃんに結菜まで押しかけている。早い話、最乗寺チーム全員。人数でやる気をアピールしようという、割と姑息な作戦だ。


「今日はなにか、ご提案があるとか。……あなたが八尾さんですね」


 菜々美ちゃんを見て、ネールさんが微笑んだ。


「はい」

「どことなくタケシの面影があるから、わかりました」

「おじがお世話になりました」

「いえいえ。私の方こそ、イエールの法科では世話になりっぱなしで」


 なにか思い出そうとするかのように、首を傾げて斜め上を見た。日東ハム役員である菜々美ちゃんのおじさんが留学中、やはり留学生だったネールさんとルームメイトだったとか。その縁で、今回すんなり会えたんだわ。


「ではご提案を伺いましょう」

「はい」


 西乗寺主任が、資料を取り出して配布した。A4用紙二十枚ほどに印刷したもので、表紙には「北インドVS南インド ――地域料理振興企画――」と書かれている。


「インドは四大文明発祥の地であり、世界トップクラスの人口を抱える大国でもあります」


 主任が説明を始めた。


「それだけに食文化も多様で豊か。特にカレーは世界中に広まり、日本人が好きな料理のトップ10にも入っております」


 二ページめの説明に移る。


「そこで弊社では、大国インドの食の多様さを消費者にアピールする企画を考えました。北インドと南インド、それぞれの代表的なカレーをレトルトで発売し、消費者にどちらが好きか考えてもらうというものです」

「実際、北と南で、食文化は大きく二分されています」


 主任に視線で振られて、俺が続けた。


「小麦文化の北インド、米食文化の南インドと。本企画では単にそれぞれのカレーを発売するだけではありません。『味変』という要素を入れることで、インドの多様性を消費者にわかってもらう仕掛けを施します。これにより、日本人のインドに対する理解が深まり、長い目で見たときに御国のファンを増やすことに必ずや貢献できると信じております」


 続いて、三枚め以降、具体的な商品構成と内容、ざっくりした想定価格など、細かな点を、主任が説明した。インド大使館として企画を後援してほしいという依頼と共に。


「……なるほど」


 説明を聞きながら最後まで目を通したネールさんが、ほっと息を吐いた。


「ご趣旨はわかりました」


 資料から目を上げて、主任を見る。


「日本の方が我が国を好意的に見ていることは、インド人なら誰もが知っています。ですがたしかに、地方文化まで深く訴求できているかといえば、そうでもない。インドは産業面では世界に貢献していますが、文化をアピールするソフトパワーには、やや欠ける部分があるのが現状です。ボリウッドがあるにしても、ハリウッドには及ばない」


 言葉を切ると、コーヒーを口に運んだ。


「カレーというわかりやすい切り口でインド文化を訴求してくれるなら、面白いとは思いますね。……桜木さん、日本人の感覚としてはどうですか」

「そうですね、面白いとは思います。ネットでも受けそうなので、インドの食文化をアピールする一助にはなるでしょう。……ただ」


 言葉を選ぶかのように、桜木さんはいったん言葉を切った。


「……ただひとつ、心配な点があります。この資料によると、北と南の対決のような演出がある。それは地方振興というより地域対立をアピールしているようになる。その企画を、インド大使館が後援するというのはどうでしょうか」

「なるほど」


 ネールさんも頷いている。


「そこは大丈夫です」


 岸田が発言した。


「日本には見立ての文化というのがあります。対立でなく、遊びとして見てもらえるでしょう。桜木さんは、きのこたけのこ戦争はご存知ですか」

「ええまあ……」

「あれだって別に互いが嫌いという戦争ごっこじゃない。どちらも認めた上で、戦いの見立てで楽しんでいるだけで。……あんな具合に、日本人は楽しんでくれますよ」

「あたし、たけのこのが好き」


 よせばいいのに突然、結菜が殴り込んできた。


 眼鏡の位置を直すと、桜木さんは、結菜をじろりと睨んだ。


 いや結菜お前、黙ってろや。いま真面目なシーンだぞ。


「私はきのこ派ですね。あなたとは戦うしかなさそうだ」


 真面目な顔で冗談を口にする。


「そう。それですよ」


 菜々美ちゃんが微笑んだ。


「そんな風に楽しんでくれますよ、絶対」

「……この、味変というのはどうですか」


 資料の七ページめを、ネールさんが示した。


「そこは、北インドの濃厚さ、南インドのスパイシーさを強調する味変の添付袋を用います」


 俺が詳しく説明した。マイルドな味からピーキーな味まで、それぞれの地域のカレーの独自性を強調するためだと。


「さらに、北インドカレーの袋を南インドカレーに使うなど、個々人の好みを投稿してもらう仕掛けを作ります。自分流で商品を盛り上げる狙いですが、同時にインドの食文化のとてつもない多様性もわかってもらえると、信じています」

「うむ……」


 頷くと、しばらく黙っている。


「たしかに面白い。個人的には乗ってもいいとは思います。だが北と南の勝負となると、たとえ『見立て』という日本の文化に則ったものだとしても、本国に打診しておかないとなりません。……ご理解いただけますか」

「もちろんです」


 西乗寺主任は頷いた。


「あとひとつ、懸念があります。……こちら、まだ御社内でオーソライズされていないと、企画書にはある。商品化が流れる可能性もあるということですね」

「はい」

「オーソライズの前に、『商品化の際は、インド大使館が後援する』と約束してほしいということですね」

「可能なら、ぜひお願いしたいところです」

「私が本国を説得して後援の許諾を取り付けたとして、その後に企画が流れると、本国で『ネールは何やっている』という話になる。……少し困りますね」

「それは……」


 主任は詰まった。


「……我々のチームが全力で企画を通します。可能性を信じて頂ければ……と」

「ねえおじさん」


 結菜が割り込んできた。いや、大使館員掴まえておじさんて……。


「結菜、黙れ」

「言わせてよお兄」


 ネールさんを、結菜はまっすぐ見つめた。


「おじさんって、インドのために働いてるんでしょ」

「そうですよ」


 インド大使館商務官のトップをおじさん呼ばわりでさすがに面食らったようだが、面白そうに瞳が緩んでいる。


「ならなに? ちょっとくらい失敗してもいいじゃない。おじさん、見たところ立派だし。たまーにカレーでシクるくらい、問題ないっしょ」

「こ、こいつは、ネールさんならインドのために全力を尽くしてくれると、そう言いたいだけです。ほら謝れ」


 結菜の頭を掴んで、ぺこりと下げさせた。


「あなたは……木戸さんでしたかな」


 テーブルに並べた俺達の名刺に、チラと目を落とす。


「翻訳していただいてありがとうございます。……私も日本長いですが、若い子の日本語は難しくて」


 普通に嫌味交じりだな、これ。笑ってるから、とことん気分を害してはいないようだが。


「いずれにしろ、ご趣旨はわかりました」


 開いていた資料を、ネールさんは閉じた。傍らのクリアファイルに入れる。


「本国に打診後、こちらから連絡致します。……桜木さん、なにかありますか」

「いえ。おおむねわかりました。なにかあれば、メールで聞きますし」

「そうですか。では……」


 ネールさんは立ち上がった。桜木さんや俺達も立ち上がる。


「本日はご来訪、ありがとうございました。いいご縁です」


 手を出すと、西乗寺主任と握手する。


「あなたのチームには、ユニークな人が大勢いますね。あなたなら、きっといい製品を作ってくれると信じています」

「ありがとうございます」

「八尾さん……」


 菜々美ちゃんに向き合う。


「タケシによろしく」

「はい」


 嬉しそうに、菜々美ちゃんが微笑んだ。


「おじには、ネールさんが紳士でかっこ良かったと言っておきます」

「おう。それは心強いですね」


 菜々美ちゃんの肩をぽんぽんと叩く。


「それにこちらの三人、なかなかユニークですね」


 俺と岸田、結菜に笑いかける。別れ際に全員に話しかけてくれるとか、マジ紳士だな。


「あ、ありがとうございます」


 なんと返すべきかわからなかったので、とりあえず礼を言った。


「この企画、インド大使館後援にならなかったとしても、商品化の折は、必ず買って食べますよ。楽しみにしています」

「買うなんてとんでもない」


 岸田が飛び上がった。


「十ダースばかりお贈りします」


 安請け合いする。


「それじゃ賄賂ですな」


 片目をつぶって冗談を口にする。


「買いますよ」

「おじさん、いい人だね」


 よせばいいのに、また結菜が放り込んできた。


「……あなたは、まだ若そうだ。面白いから、そのまままっすぐ育って下さいね」


 謎激励。なめこかもやしくらいの扱いだな、それ。


「任せて下さい」


 なぜか結菜が太鼓判を押した。胸を張るなめ茸……。


「ウチのチームは世界一ですから」


 なぜ代表者のような口を利く。結菜お前、ただのバイトの高校生だろ。

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