10-2 結菜の父親、ウェーイする

「いや、洋介くんには世話になった」


 結菜の家。居間で父親が頭を下げた。


「いえ伏見さん。頭を上げて下さい」


 俺が三度も頼むと、ようやく顔を起こした。


「返す返すもすまん。家の都合で」


 結菜の父親はまだ四十前。脱色した短髪で、建築親方だけに服の上からも筋肉がわかる。見るからにウェーイ系だ。


「ほんとにもう」


 俺の隣で、結菜が眉を寄せている。


「お父さんも悪いんだよ。浮気なんかするから」

「すまん結菜。……でも母さんがさせてくれないし」


 おいおい。レスなのはそりゃ家庭の事情だろうが、ひとり娘の前でそんな話するかあ。こりゃ結菜がセフレセフレ歪んだのも、なんとなくわかるわ。


 父親が女のところに転がり込むのは前々から何度かあったそうだ。結菜の話だと、そのたびに一か月ほど音信不通になるらしい。今回は長かった。四月に消えてから三か月ほど、電話もネットも通じなかったからな。


 ついこの間だよ、連絡が来たの。どうやら久しぶりに親戚グループ覗いて、結菜の家出で大騒ぎになったのを知ったらしい。


「まあ結菜も元気そうで安心したわ。洋介くんのところに転がり込むとか、いい判断だ。なんせ大学のその上まで行った、親戚での出世頭だからな」


 いや院たって修士だし。それに食品会社なんか給料低いし。親方やってるおじさんのほうが、よっぽど稼いでるだろ。


 それに娘が親戚とはいえひとり暮らしの男の家に押しかけたというのに、貞操とか心配じゃないんか。


「お前には生きる力がある。俺と母さんの子供だけある。ふたりともそれだけは鉄板だからさ」


 ガハハハと、能天気に笑う。


「それで、洋介くんとは仲良くやってるのか」

「うん」


 横の俺を、結菜はチラ見した。


「洋介兄とあたし、もう家族だから」


 おいおい。


「そうか。それは良かった」


 ガハハ。


 いかん。このままではこの親子のペースでやられてしまう。


「おじさんは、もう家に戻ったんでしょ。なら結菜も旭川で暮らせると思うんです。高校のこともあるし」

「一年休学したんだろ、結菜」


 俺を無視して結菜に話しかける。


「そうだよお父さん。神田のおばさんも、『長い人生なんだから一年くらい遊んだって構わない』って言ってくれてる」


 結菜は、よくぞ言ったという謎の表情。


「さすがだな。なら東京でゆっくりしろ。俺だって若い頃は結構遊んでたからなー」


 また笑ってるがな。


「それに洋介くん。今日は話があるからここに来たんだ。荷物をいくつか引き上げたかったし」

「それって……」

「まあそういうことだ」


 なぜか恥ずかしそうな顔になる。


「今の彼女が、ちゃんとふたりで暮らそうって言ってくれてな。仕事の拠点も移すから。……ここはまあ、俺の青春の思い出の場所として残すだけだ。わはは」


 なにが面白いんだかわからん。


「母さんだってどうせ、どこかで男と暮らしてるだろ。あいつ生命力強いし、俺の金、あらかた握って消えたしな」


 またガハハと笑う。


「俺は大丈夫だ。働きゃ金はまた湧いてくるからな。結菜は洋介くんのところで安心だし。伏見家は今日で卒業式だ」


 謎発言。


「……いや、成人式とかのがいいかな」


 どっちでもいいわ――と、思わずツッコみそうになるのをこらえた。


「冗談はさておき、洋介くん、結菜のことはよろしく頼む」


 また頭を下げてきた。


「いや、そんなこと言われても」

「大丈夫だよお父さん。あたしとお兄、もうセフ――」

「セーフだから。そう言いたいんだよな、結菜」


 父親からは見えないように、左目だけで睨みつけてやった。俺って器用だ。


「……そう。セーフレ」


 謎の「レ」を足すな。


「洋介くんにも迷惑掛けるんだ。養育費は払うからさ。毎月の決まった日とはいかんが、仕事の金が入ったら、まとめてな。高校の学費も払っておく。……それで結菜」

「なあに、お父さん」

「お前、大学行きたいんか」

「うん」

「そうかそうか」


 嬉しそうに瞳を細めた。それより養育費って言い方違うだろ。


「俺と母さんの子供なのにな。突然変異だわ、お前。学費は心配するな。体が壊れるまで働いて、俺が工面してやる」

「ありがと。……良かったね、お兄」

「あ、ああ……」


 なんか知らんが大団円みたいな雰囲気、ふたりで醸し出すなっての。俺が笠地蔵か鶴の恩返しに寄生されてる現状、まったく変わらないじゃん。


「で、でもですねえ、結菜の――」


 プルルルと、おじさんのスマホが鳴動した。すまんと言いながら、耳に当てる。


「なに。マジかよ。そいつ殴っとけ。今行く」


 通話を終えると、ガタガタと席を立つ。


「すまんな洋介くん。現場でトラブルだ。俺はもう消える。――結菜」


 結菜の頭に手をやり、一回だけ撫でた。


「東京で頑張れよ。なんか困ったら連絡しろ。お前は実に――」


 なんか話しかけつつ、居間を出てっちゃったよー。どうすんだよこれ。中途半端に現状追認して終わりじゃん。


「わかったー」


 結菜が返事した頃には、もう玄関開く音がしてるし。せわしないなー。まあ昔からせっかちなところがあったけどさ。


「……さて、お兄」


 居間の扉をじっと見つめていた結菜が、俺に視線を戻した。


「なんだよ」

「あたしの部屋見る? 入ったことないでしょ」


 さりげない言い方だが、誘うような目つきだ。結菜、お前……。

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