5-4 やっぱり結菜に押し倒される

「ドゥルルルルルっ」


 いつもどおりの晩飯が終わると、結菜が突然奇声を上げた。


「なんだよそれ」

「ドラムロール」

「……まあいいや。どうした」

「今日は重大発表があります」

「なんだ、この間の模試、結果が良かったのか」

「あれはまだ出てない。……はいこれ」


 テーブルの下に隠してあったのか、かわいい紙箱を取り出した。


「お祝いのケーキ」

「なんだ、初潮か」

「お兄のエッチ」


 睨まれた。てか、こいつ相手にシモの冗談は止めたほうがいいな。考えたらふたり、奇妙で微妙な関係だし。


 結菜のエロ攻撃に耐えながら、なんとか七月まで我慢した。毎日手を握って寝ているが、そのくらいならなんとか。たまーにこいつ、夜中に俺のベッドに潜り込んでくるから、朝が実は一番危ない。背中に胸を感じて起きたときとか、さすがに襲いかかりそうになるからな。もう毎日が本能とのガチバトルよ。


 じめじめした梅雨も、そろそろ明けようかという気配。すぐ飽きるかもと思った結菜の「勉強」も、意外に二か月近く続いている。もちろんコンビニバイトも。


「実はあたし、バイトが決まったんだあ」

「コンビニ辞めんのか」

「そっちはシフト減らしてもらうんだ」

「へえ……なんのバイト」


 危ないバイトなら止めないとならないしな。


「ほらあたし今、研究者目指してるでしょ」

「ああそうだな」


 知らんが。そう言っ張ってるだけだし。


 結菜が出してくれたケーキをぱくつきながら、生返事する。イチゴのショート。まあ無難な奴だ。割とうまいからこれ、駅の反対側のケーキ屋の奴だな。ケーキを味わった後、砂糖抜きのビターなコーヒーで口を洗うと最高にうまい。


 ちなみに結菜は、イチゴのショートとガトーショコラだな。並べて食ってるわ。


「だからさ、そういう研究の下働きみたいの」

「資料集めとか器具洗浄とか、そういうのか」


 ウチにもひとりいるからな。菜々美ちゃんが。


「わかんないけど、食品会社の新製品開発で、若い子の声も欲しいって」

「へえ……」


 一石二鳥って奴か。セコい会社だ。


 普通その手の参加者は、マーケ企業使って集めるんだけどな。ただこれだと金かかるから、最近だとSNS使う場合も多いらしいが。まあ俺はそういう世界はよくわからんからな。担当違うし。


「味の森あたりか。あっこの八王子研究所はでかいから、バイト集めてそうだし」

「ううん」

「ほんなら日本漁労、ニチギョか。あそこも最近は『映え』重視を打ち出してるから、若い子の声は欲しそうだ」

「ううん。精肉系」

「なんだよ。ウチのライバルかよ」


 ケーキを食う手を止めて、しばらく考えた。プリリンハムか横須賀ソーセージあたりが怪しい。どこだろ。考えてる隙に、結菜が俺のケーキトップのイチゴすかさず摘んで食べやがったが、まあいい。結菜が買ってきてくれた奴だしな。


「なんて企業だ」

「うん」


 また俺のケーキをフォークですくうと口に運ぶ。もう自分のケーキはふたつとも食べ尽くしてるからな。


「世田谷研究所だよ。日東ハムの」

「なるほど……って、ウチやないかーいっ!」


 思わずノリツッコミしたわ。どういうことよ、これ。


          ●


「なんでウチがお前雇うんだよ。そもそもそんな募集、聞いてないぞ」


 もうケーキは片付け終わって、俺はまたストロングチューハイに戻ってる。飲まんとやってられんわ、こんなん。


「なんでも、新製品開発に勝負を懸けるんだって。採用担当の人、言ってたよ」

「はあ? 知らんし」

「もうDDTとかいう書類にもサインしたよ。なんか、秘密がどうちゃらって奴」

「NDAな。秘密保持契約」

「そう、それ」


 DDTって殺虫剤じゃんよ。


「言ってたけど来年、新シリーズを作るんだって。それで冬に集中的に社内試食会やるって」

「待てよ、それ……」


 そういや、なんか一か月くらい前の会議で、そんな申し送り事項があった気がするわ。前日結菜が抱き着いてたせいで寝不足で、うとうとしながら聞いてたから細部は忘れてるが。


「世田谷研究所の開発全ユニットが競うコンテスト形式だって聞いたよ」

「あー確かに」


 そうだったそうだった。コンペ形式の開発はこれまで何度か行われてきたが、ウチはだいたいあっさり負けるんで聞き流してたわ。西乗寺チームは、ハム屋としては傍流だからな。勝てるわけない。


 それに研究所は部外秘の案件も多い。普通はバイト入れないのに、よっぽど今回気合い入ってんだな。あーよく考えたら、菜々美ちゃんをテストケースに、今後は若い子の声を入れるっていう話があったな。あの流れか。


「お前、いつ履歴書出したんだ」

「いつって……募集をネットで見たときだよ」

「住所ここにしたんか」

「当たり前でしょ。旭川の住所にしたら取ってくれるわけないもん」


 そりゃそうだが、どうすんだこれ。住所、俺と同じじゃんよ。


 言っても所詮バイトだから、ガチの身上調査はしないだろう。でも誰か個人情報を見られる立場の奴が気まぐれでチェックすれば、同居バレの恐れがある。


「いつからバイトだ」

「さ来週から。週三だって。で、お盆明けからは毎日だから、コンビニ辞める」

「決まってすぐじゃん」

「なんか本当は今日からでも来てほしいんだってさ。でもあたしも家族がいるし、その都合もあるしって言ったら、こうなった」


 あっさり言う。まるで悪びれてない表情だ。


「いや家族とか……」


 同居バレしたらどうするか、瞬時に考えた。まあ結菜の親父なんとしてもひっつかまえて説明させる手だろうなあ。事情があって預かってると。多分それでなんとかなる。


「家族でしょ。セフレって言ったほうが良かった?」

「そら困る。てかそんなこと言ったらお前、不採用だろ」

「ならいいじゃん。家族で。嘘じゃないし」


 開き直ってやがる。


「あっお前」


 隙見て俺のストロングチューハイをぐい飲みしやがった。


「油断も隙もないな」

「だって……喉乾いたし。それ甘くておいしいし」

「お前が酒飲むと、ロクなことにならないだろ。箱根の醜態を覚えてないのかよ」

「覚えてないよ。記憶ないし。朝になったらお兄があたしを裸に剥いてて、いろいろ触ったりキスしてたりしてた。そのくらいしか覚えてない」


 この野郎。いいように記憶を操作してやがる。ジェイソン・ボーンかよ。


「してないし」

「してたよ。ふと気づいたらお兄、あたしの胸吸ってた。あたしうれしかったから、そのまままた寝たふりしてたんだもん」

「あんとき起きてたんかお前」

「うん」


 あっけらかんと言い放つ。どこが悪いの――といった顔だ。


「なら俺がそっと、お前をもう一度寝かしつけたの知ってるだろ」

「それは多分、エッチなことが済んだからでしょ。なんて言うのアレ……そうそう賢者タイムとかいう奴」

「全然違うし」


 出してもないのに賢者タイムになるかっての。どっちかというと我慢するのに必死だったんだからな、あのとき。


「それより結菜、世田谷研究所の、どこに配属されるんだ」

「もちろん、お兄のチームだよ」

「……マジか」


 最悪だ。


「なんでも、バイト候補を見たお兄の同僚が、熱心に採用担当にアピールしたんだって」

「誰だそいつ」

「よくコンビニに来る男の人。えーと確か……」

「岸田だろ」

「そうかな。キシなんとかって言ってたから」


 コンビニで目につけた結菜のこと、なんとか身近に置いときたくて工作したんだな。あの野郎。明日会社で絞め殺す。


「だから今日は結菜とお兄の前祝いだよ」


 テーブルを回ると、結菜がにじり寄ってきた。


「……なんの」

「職場恋愛……じゃないか職場セフレの」

「はあ? お前、また酔ってるだろ」


 瞳がとろんとしてる。間違いない。


「ねえ、なにしてほしい? 給湯室でエッチなこととか、コピー機の上でエッチなこととか」

「お前、どんなエロコミック読んだんだよ」

「洋介兄……」


 部屋着のトレーナーをがばっと脱ぎ捨てると、上半身裸のまま抱き着いてきた。


「のわーっ!」

「お兄……前祝いしよっ❤」

「む、胸を顔に押し付けるなっ」

「お兄の……エッチ」

「どっちがじゃ」

「口動かしちゃイヤ。くすぐったいよ胸が」

「もう勘弁しろやっ」


 抵抗虚しく、全体重を掛けてきた結菜に、俺は押し倒された。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る