2 同棲開始
2-1 セフレ宣言後の職場は眠い
「どうしたの、木戸くん」
職場の研究室で大あくびの俺を見て、白衣姿の西乗寺綾音さんが目を丸くした。
「目の下、クマできてるわよ」
「すみません。ちょっと寝不足で」
「ゲームのやりすぎは毒よ」
「はは……」
適当に笑ってごまかす。従姉妹が乗り込んできて謎のセフレ宣言した挙げ句、居座って添い寝してきたとか、本当の事を言うわけにもいかない。なんせ上司だし、女子だからな。いろいろ誤解されたらヤバいわ。
考えたら、夜中に押しかけてきて堅い床で添い寝。翌日はエロ攻撃はかわしたものの、俺はまた床寝。次の日に有給取って布団買ってようやく一段落ついたとはいうものの、結菜が気になって眠れなかった。そして今朝だ。ここ三日間でこれだからな。そら寝不足にもなるだろ。
「今日は大事な役員試食会だからね。気合い入れてよ」
「もちろんです」
西乗寺さんは、二個上の二十八歳。俺の上司、つまり中堅食品メーカー「日東ハム」世田谷研究所主任だ。日東ハムは、社名でわかるように、ハムとかソーセージ、つまり肉の加工品が事業主体の「ハム屋」なわけよ。で、西乗寺チームは、冷食やレトルト食品開発を担当している、零細部門だ。
言ってみれば、傍流部隊。社内での権力は、ないも同然。ただ傍流だけに割と好き勝手できるんで、俺の性には合っている。少人数だけに追い込み時分は激務化するのが辛いけどさ。
西乗寺さんは、女子らしい、ほんわかした優しい人だ。ただ勝負どころになると急に厳しくなる。さすが三十前で主任に出世しただけはある。
「木戸くん。中身のサンプルと、調理済みの大鍋用意しといてよね」
「はい」
「今日は暖かいから、ちょっと鍋商品のプレゼンには不利だけど」
「ランチ試食会だから、大丈夫と思います。ウチ、役員は男が多いし。今回がっつり系商品ですしね」
「そうね。この間の『初夏の冷やし麦とろ』は没になっちゃったし、なんとかリベンジしないとね」
今日は半年掛けて開発してきた新商品「秋鍋さん・怒涛のソーセージ(仮)」の試食会だ。これは秋に鍋をという新提案の、ソーセージ入り鍋つゆ。冬の鍋より薄味にして、軽い食感を狙っている。鍋に放り込んで、冷蔵庫で余ってる適当な野菜を入れるだけ。肉や魚不要で簡単に鍋を楽しめるのがコンセプトの商品だ。
秋の新商品候補だから、春の今、試食会やるんだわ。役員のOKが出れば、生産現場が実際のコスト試算から生産設備検討、プロモーション展開を考えていく手筈になってるわけよ。
「菜々美ちゃん、試食用のレトルト、出しといて。役員は全部食べるわけじゃないから、十人前ね」
「わかってます。木戸さん」
微笑んだのは、アシスタントの八尾菜々美ちゃん。西乗寺チームのアシスタントというか、学生バイトだ。使いっぱならともかく、バイトが研究所の開発チームに配属されるのは珍しいんだ。守秘の問題があるから。
でもこれからは若い子の声が開発に欲しいってんで、バイトを増やしてくらしい。菜々美ちゃんは役員の親戚とかで、そのテストケース的なアレらしいわ。本人もなんか食品とか調理方面に進みたいみたい。数か月後にはもっとバイト増やすとか所長が言い張ってるらしいけど、どうなるんかね。
「ちゃちゃっと用意しますね」
「頼むわ」
「木戸くん、なにやってんの」
西乗寺さんが、呆れたような表情で俺の手元を見ている。
「あっ……」
しまった。俺ぼーっとして、別のサンプル出してきてたわ。これは「鰻ダレくん・冬の男気どんぶり(仮)」だったわ。
「すみません」
レトルトサンプルを棚に放り込むと、今度こそ正しい奴を取り出す。
「ほんとにもう、今日は変だよ木戸くん」
「あははは」
俺の虚無笑いが、だだっ広い研究室に響いた。
そりゃあな。ちょっとメンタル崩壊気味だし、俺。
「どうしたんだよ、木戸。ぼーっとして」
ひそひそ声は、岸田武。俺の同期で、同じく西乗寺チームの同僚だ。調子のいい奴だけど、悪いキャラじゃない。
「まあぼんやり系男子なのは前からだが、今日はとくに酷いぞ。女でもできたんか。ひひっ」
ひひっじゃえねえよ。こっちは悩みが増えて困ってんだっての。
「な、なんだよ。ただの冗談じゃないか」
俺が虚無目でじっと見てるから、なんか怖くなったみたいだな。
「なあ岸田。お前にちょっと相談があるんだ」
「おう。こいつは楽しみだ。木戸の相談ってことは、いよいよマッチングアプリやる気になったか」
鼻の穴を膨らませ、得意げにぺらぺら続ける。
「アプリマスターの俺に言わせてもらうならな、お前のようなとろい系初心者は、まず業者の少ないアプリにしたほうがいいわ。多少マイナーだが、そうだな……ラブマッチタームあたりがいいだろう」
「誰もそんな話してないだろ」
「ならなんだよ。まさか借金とか。逆ナンされてマルチ商法に引っかかったのか?」
「お前と一緒にするな」
岸田はそっち方面の活動、お盛んだからなー。ほっとくとどんどん話が暴走するし。
「そういうんじゃないが、ここでは話せない件だ」
「ほう。ますます興味深い」
岸田の瞳が輝いた。
「んじゃあ昼飯、ウチの連中が行かないとこにするか、木戸」
「ああ。個室の中華がいいわ」
「あそこかあ……。高いからなあ……。今、アプリ課金で金ないし……」
眉を寄せ、もの言いたげに俺を見る。
「わかった。相談に乗ってもらうんだから、今日は奢るよ」
「さすが木戸様。勇者だわ」
うんうん頷いてやがる。まあ必要経費だ、仕方ない(泣)
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