97話 父の思い、娘の決断
真琴を生んですぐに妻あゆみは先に旅だった。
源太は誓った。
妻から託されたこの尊い命を、大切に育てていくのだと。
娘にたっぷりの愛情を注いできたつもりだ。
だが父である彼は知っている。
真琴に、さみしい想いをさせてしまっていることに。
どうしても家業柄(農家)娘と接する時間が取りにくい。
先祖代々の田んぼを潰すわけにもいかず、かといって真琴をないがしろには絶対に出来ず。
結果、どっちつかずになってしまった感が否めない。
源太はずっと悩んでいた。
真琴に、きちんと愛情を注げているかどうか。
ずっと聞けないでいた。
なぜならさみしい想いをさせているのは事実だから。
★
源太の盲腸の手術は無事に成功した。
医者も経過は良好といってくれた。
そう遠くないうちに退院ができるだろうとのことだった。
「パパ良かったねー! 無事に終わって!」
病室には源太と真琴が二人きりでいる。
弟である光彦と、真琴の将来のパートナーは、空気を読んでか、病室の外にいる。
「ああ、おかげさまでね。心配かけてごめんよ、真琴」
「まったくだよぉう! ぼくをハラハラさせるなんてっ。悪いぱぱだなっ!」
笑顔で言う真琴を見て、源太は微笑む。
妻に似た、綺麗な笑顔だ。
娘が幸せそうに嗤っている姿を見ているだけで、源太は良かった……と心からの安堵の息をつく。
「あの……さ。パパ……言いたいことあるんだよね」
真琴が居住まいを正す。
源太は……なんとなく言いたいことを察していた。
「これからのことなんだけどさ……ぼく……」
その目はまっすぐに父を見ていた。
「ぼく、東京に帰るよ」
真琴の選択を聞いて、一抹のさみしさを覚える一方で、しかし充実感をその体にいっぱいに感じていた。
「そうかい」
とだけ、源太は返す。
「……何でって聞かないの?」
追求されることを予期していたのだろう。
だが源太は微笑んで首を振る。
「わかるさ。真琴。君の心が……満たされてるからだろう? 彼のおかげで」
この場にいなくても、真琴のそばには彼……
彼という支えを得た彼女は今、まっすぐに立って、はっきりと自分の意見を口にする。
「ぼく、長野には帰れない。東京にはチームのメンバーたちがいるから」
真琴は名門バスケ部のレギュラーだという。
今レギュラーを抜けることはつまり、チームに多大なる迷惑をかけること。
さらに、彼女をレギュラーに選んでくれた先生、真琴を東京の高校に推薦してくれたコーチ、応援してくれるチームメイト……。
たくさんの人たちの思いを踏みにじることになる。
「ぼくね……バスケを一生懸命やりたいんだ。……ぼくね、まだお兄さんにも言ってないんだけどね」
父親に、内緒話をするように、こっそりという。
「……二つ、成りたいものがあるの。一つはお兄さんのお嫁さん」
「もう一つは……なんだい?」
真琴はまっすぐに、父親を見て言う。
「女子のプロバスケットボール選手!」
「バスケのプロ……」
うん、と真琴がうなずく。
「今までずっと考えてたんだ。お兄さんのお嫁さんになるだけでいいのかなって。だってお兄さんだけに負担かかるじゃん?」
嫁として支えることも確かに重要ではあるが、確かに経済的な負担を彼に強いることになる。
「お兄さんの、大好きな人に支えられてばかりじゃ駄目なんだ。ぼくも、あの人を支えれるようになりたい。お兄さんに何かあった時、逆に守れるよう、力を身につけたいんだ」
たとえば薮原が怪我して入院したとき、経済的に彼を支えるとか。
今のままでは、薮原の背中におぶんしてもらうようなもの。
だから、自分の何かを手に入れたい。
「そう……か。それで、バスケのプロに?」
「そう! ほら勉強だめだけどバスケは得意だしさ。これを生かして、お兄さんだけに頼らない生き方も、考えてこうかなって」
にかっ、と真琴が笑顔を浮かべる。
「将来的には、海外とかもね、行ってみたいんだ!」
……その返答を聞いて、源太はホッ……と安堵の息をつく。
そして、あふれんばかりの、感謝の念が胸をいっぱいにする。
「ど、どうしたのパパ!? 泣いてるの!?」
気づけば源太の瞳からは涙があふれていた。
「いや……すまない……ちょっと……感無量でな」
小さくて、毎日さみしいと泣いていた娘が……。
将来の夢を語っている。
ここを、父の元を離れて大空を羽ばたき、そして未来へ向かって進んで行っている……。
「……真琴。悪いが、
真琴は恐る恐るうなずいて、一度病室を出て行く。
ほどなくして
泣いてる源太を見てぎょっとしたものの、何でもないからという源太の言葉を聞いてうなずく。
「
ベッドの頭をつけるほど、深く腰を折って、源太が謝意をあらわにする。
「ちょっ、源太さん! 傷口が開きますって! 頭上げてください!」
慌てて肩をつかんで、
「きみに心からのお礼が、言いたくってね。……真琴を救ってくれて、ありがとう」
源太は目を閉じてコレまでを思い返す。
真琴はいつだってその瞳に、さみしさと悲しさを宿していた。
真琴は母親の愛がかけている。
だから……いつだってさみしそうだった。
「僕は……真琴をこの地に、縛り付けてしまってた。そのことが……ずっと申し訳なかったんだ」
真琴には広い世界を走り回って欲しい。
だというのに、彼女の意識は、まだこの山の牢獄に閉ざされていたままだった。
真琴の父という存在が、真琴の躍進の邪魔をしてるのではないかと。
「娘の
だからね、と源太は続ける。
「君みたいな、最高に頼れる、素敵な男性と結ばれたことが……僕はうれしいんだ。真琴を変えてくれた、君が、ずっとそばにいてくれることが……心からうれしいんだ」
だから、誰かにおんぶに抱っこされる生き方ではなく、自立した大人の思考を持てるようになったのだ。
「僕では足りなかった愛情を、注いでくれて……あの子が前を向けるようにしてくれて、ありがとう。感謝しても、しきれないよ」
これでもう、思い残すことはなかった。
しかし
「何言ってるんですか」
「え……?」
「愛情、足りてますよ。十分すぎるほどに」
ぽかんとする源太をよそに
「真琴があんなに明るくて、素直な子に育ったのは源太さんの愛情がしっかり伝わってたからですよ」
「いや……そんな……ことは……」
そんなことはない。
さみしい想いをたくさんさせた。
仕事があって全然かまってやれなかった。
「時間なんて関係ないです。真琴はあなたが大好きなんです。でなきゃ、あんなに動揺したりしないですよ」
好きだからこそ、失って欲しくなかったのだ。
「俺は、源太さんが真琴を大事にしてるのを知ってます。真琴もまたあなたを誰よりも大切に思っている。だから……お
「こんな時に言うのは場違いかも知れないですが……ぼくに……娘さんをください!」
「あなたの大事な大事な宝物、俺も一生かけて守っていきます! だから! 俺に
なんて気に早い男だろう。
どうしてこんなに、律儀なのだろう。
ああそうか、彼はこういう子だからか。
「うん、わかった。君の覚悟は、伝わったよ」
娘の心だけでなく、義父の心さえも、彼は救って見せた。
真琴への愛情が足りてないか、ずっと不安だった源太。
でも愛情は十分だったと彼は言う。
その証拠は目の前にあったのだ。
前に進む決断を下した娘。
全部が
でも違ったのだ。
父の愛が根幹に、真琴の意識の奥底に、あったからこそ……前へ進めたのだ。
「こちらこそ……
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