98話 ただいま



 俺たちは長野から東京へと戻ってきた。


 親父さんの体調は安定してるとのことで、真琴が帰ると言ったのだ。


 今日は日曜日。

 明日からの学校に出たいそうだ。


 最寄り駅に到着したとき、真琴がふと、こんなことを言う。


「あ、お兄さん。帰るまえにさ、ちょっと寄りたいとこあるんだ」


「寄りたいとこ?」


 俺たちがやってきたのは……。


「床屋?」

「そ。髪、切りたいんだよね」


 真琴は腰のあたりまで黒髪を伸ばしている。


 ……そういえば昔は短かったのに、出会ってから今日まで、ずっと伸ばしっぱなしだったな。


「了解。じゃ、終わるまで待ってるよ」

「うんっ!」


 俺たちは最寄りの美容院に寄る。

 日曜日だったが割とすいていた。


 ほどなくして……。


「おっまたせー!」


 腰まで伸ばした黒髪を、肩口のあたりまで、バッサリと切っていた。


「どうどうっ?」

「くっ……!」


 俺は手で目を押さえる。


「なんてことだ……あり得ない……まさかこんなことが……」


 ちょっと貯めて、俺は言う。


「うちの嫁、かみ切って銀河一可愛くなった」


「えへー♡ でっしょー?」


 真琴がコアラみたいに、俺の腕に抱きつく。

 ショートカットになった真琴は、そりゃあもう、めちゃくちゃかわいかった。


 子供の頃と似たような髪型になったわけなのだが……全然違う。


 背が伸びて、体つきも顔つきも大人になっている。


 そこでこのスポーティな印象を与える髪型は、もう犯罪レベルで可愛かった。


「やべえ、犯罪者になってまう」


「んも~♡ だめだぞ~♡ 今から夫の帰りを牢獄の外で待つ妻とか~。おなかの子はどうするの~?」


「俺の帰りを子供と一緒に待ってくれるかな?」


「いーともー♡」


 ……とまあ、美容院でバカップルっぷりをいかんなく発揮した。


 騒がしくしてごめんなさい。


 俺たちは美容院を後にして、近くのハンバーガー屋に入る。


 遅めの昼食を取りながら会話する。


「というか真琴よ、どうしていきなり髪を切るなんて言い出したんだ?」


 ポテトをぽりぽりと、子リスのようにかじってる真琴に尋ねる。


「なんというか、踏ん切りがついたから……かな」


「踏ん切り?」


「うん。もう後ろ髪は引かれないぞって言う」


 真琴が自分の黒髪を触りながら言う。


「お兄さんさ、不思議に思わなかった? ぼく、スポーツ選手なのに、どうして髪の毛あんなに長くしてるのかって」


 真琴はバスケの選手だ。


 走り回るのに、確かに腰までのロングヘアは邪魔で仕方ないだろう。


「何か思いがあって伸ばしてたのか?」


「そう。お兄さんに……ぼくが女の子だって、常に意識してもらいたかったからなんだよね」


 いまいちよくわからない話しに、思わず首をかしげてしまう。


「ほら、ぼく子供の頃からずっとショートカットだったでしょ? それに一人称は、パパの影響で【ぼく】だったし。男の子だってお兄さんに思われてたじゃん?」


「あー……あったね、そんなことも」


 俺は真琴を最初は年下の男の幼なじみだと思っていたんだっけ。


 懐かしい……。


 もううちにきてから、2ヶ月経ってるのか。

「ぼく、怖かったんだ。再会したときに、お兄さん、ぼくが女だって気づいてもらえないんじゃないかって」


「……俺のために、髪の毛のばしてたのか」


「うん。そーです」


 ……知らなかった。

 てっきりロングの方が好みなのかと。


「あとお兄さんの性癖が、黒髪の巨乳のお姉さんだったからってのももちろんある」


 おいぃいいいいいいいいい。


「何で知ってる!?」

「幼なじみをなめちゃいかんぜよ~♡ ちゃーんとお兄さんの性癖もバッチリちぇっくずみだぜ!」


 ぐわぁああああああああ!

 確かに持ってるAVは、どれも髪の長い巨乳女のやつばっかりだけどもぉおおおおお。


「ま、冗談はさておき」

「冗談で済まされないぞ……」


 性癖暴露されてるし……。


「いーじゃん、嫁にこんなに好かれてるならさ♡」


 ……ま、いっか。

 どうせお互いの弱い部分は、もう知り尽くしてるわけだし。


「ぼくね……お兄さんの女になりたかった。お兄さんに好かれたかった。女だって意識して欲しかった。……今思うと、自信のなさの裏返しだったのかもね」


 自信のなさ。

 つまり、女としてみてもらえないんじゃないか。


 好みの外見をしてなきゃ、好かれないんじゃないかっていう、自信のなさがあったのだろう。


 それを切ったってことは……。


「もう、長くしてなくても、大丈夫だって、気づいたからさ」


 真琴が晴れやかな表情を俺に向ける。


 今更髪型が好みじゃないくらいで、この子を捨てる気は全くない。


 外見なんてどうでもいい。


 俺は、真琴という存在がいれば、それでいい。


「新しいヘアスタイルのぼくも、素敵でしょ~?」


 真琴が返事を期待する。


 俺が否定することなんて、全く考えてない様子。


 俺たちの思いが通じているから。


 外見の変化くらいじゃ、俺たちの絆は揺るぎはしないと。


 俺も……真琴も、ちゃんと理解できてる。


「ああ、そうだな。髪を切ったおまえも、素敵だよ」


 俺の返事を聞いた真琴は、最高の笑顔を俺に向ける。


「でしょー!」


 ああ……まったく。


 髪を切った俺の嫁は、やっぱり銀河一可愛い。


    ★


 散髪と昼飯を終えた俺たちは、自分ちへと向かって歩く。


「明日かられんしゅーかぁ~。数日は知ってなかったから、きついだろうなぁ~」


 うへえ、と真琴がだるそうにする。


「ほら、それが終われば旅行が待ってますぜ」


「そうだったー! 旅行たのしみ~!」


 試験お疲れ様の旅行が待っている。


 真琴は心から楽しそうにしている。


 親父さんの退院は、まだもうちょいかかる。

 前野真琴なら、父親が入院しているから、旅行を楽しめなかったろう。


 キャンセルしようと思っていたけど……でも、今は大丈夫。


「パパにおみやげ、何買おうかな~。写真も取りまくって送りまくるんだっ!」


 ……もうこの子は大丈夫だろう。


 何か落ち込むようなことがあっても、俺が彼女の背中を支えてやれば良い。


 もう立ち止まらないだろう、振り返らないだろう。


 いや……立ち止まらせない、振り返らせない。


 俺は、ずっとこの子の手を引いていく。


 家が近づいてきたそのときだ。


「マコー! おにいさーん!」


 俺のマンションの前に、見知った顔が何人も居た。


「いっちゃーん!」

「それに、千冬ちふゆさんにひな、アンナさんまで……」


 真琴の親友の五和ちゃん。


 会社の上司で叔母の千冬ちふゆさん。

 先輩のアンナさん、後輩のひな。


 みんなが勢揃いで、俺たちの帰りを待っていた。


 真琴は俺の手を離して走り出す。


 五和ちゃんも走って、真琴を抱きしめる。


「どうしてどうしてっ?」


「……三郎兄さんから、そろそろ帰るだろうって連絡があったから」


 三郎は五和ちゃんのお兄さんだ。


 そこから知ったのだろう……。


 三郎はたぶん、光彦叔父さんから聞いたんだろうな。


 千冬ちふゆさんには俺から連絡した。

 明日から仕事でれますって。


 ひなとアンナさんは、千冬ちふゆさんから聞いたんだろうな。


「……マコ、もう大丈夫なの?」

「うん! もうバッチリ! 夏のインターハイに向かって、全力全開だよー!」


 晴れやかな表情の真琴を見て、千冬ちふゆさんが静かに微笑む。


「……お疲れ様、たっくん。マコちゃんも」


 千冬ちふゆさんが涙をうかべて、しかし笑顔で言う。


「二人とも、成長したわね」


 真琴はともかく、俺も成長しただろうか。

 いや、昔から俺を知ってる千冬ちふゆさんがそう言ってるのだから、本当だろう。


貴樹たかき! よかったぁ~……もう会社出てこないんじゃないかって」


「せんぱいがいなくてすごいさみしかったです! 帰ってきてくださってよかった!」


 俺は……いいや、俺たちは、待っててくれた人たちに言う。


「「みんな、ただいま!」」


 彼女たちもまた、笑顔で俺たちに返す。


「「「おかえりなさい!」」」


  

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