96話 選択



 俺は真琴と一緒に深夜のドライブにでかけた。


 夜のサービスエリア、小高い場所から街を見下ろせる場所にて。


「一番大切な……話し?」


 涙で濡れる黒い瞳を俺に向ける。


 彼女は今選択を迫られている。


 長野に残るか、東京に残るか。


 父親の元にいるか、父親の元を離れるか。


「ああ。真琴……あのな、先に行っとくぞ。おまえの望みは、100%叶えることはできない」


「そんな……」


「仕方ないんだ。何かを選ぶってことは、何かを捨てるってことだから」


 もしも長野に残ることを取るのならば、バスケと親友を諦めなくてはいけない。


 もしも東京に残ることを取るのならば、父親の元を離れる必要がある。


「両方を手に入れることは無理だ。俺たちは人間で、人の生きる道は常に左右に分岐してる。片方を進んだら……もう片方には戻れない。そういうレールの上を俺たちは歩いてるのさ」


 俺だってそうだ。

 大学の時、元カノを捨てて長野に残る選択もあった。


 だがあのときの俺は、故郷よりも元カノを選んだ。


 まあその結果元カノに浮気されるっていう最悪の事態が起きたが……。


 それでも……。


「怖いよ……お兄さん……ぼく、怖いよぉ……」


 真琴が俺の腰に抱きついてくる。

 ぐすぐす……と涙を流す。


「何が怖いんだ?」


 俺はなるたけ優しい声音になるよう、注意しながら言う。


「……パパが病気で倒れたとき、駆けつける前に、死んじゃうのが」


 東京に住んでいたら、確かにすぐに父親の元へ駆けつけられない。


「盲腸で死なないって。大袈裟だよ」


「……違うの。今回に限った話しじゃないんだ。今回はたまたま、盲腸って軽い病気だった。けど……もしも交通事故だったら? 脳溢血だったら? ぼくの到着が、間に合わないくらいの……大病だったら?」


 真琴が不安げに言う。



「たまたま今回は、死んじゃうような病気じゃなかったからいいけどさ。即死するような病気とか怪我とか……そんなとき、ぼく……最後にお別れできないじゃん……」


 ああ、そうか。

 真琴が恐れているのは、今回の手術の話しだけじゃないんだ。


 真琴は、自分の父親が死んでしまうことを恐れている。


 もっと言えば、死ぬまえに最後のお別れが出来ないことを……恐れてるんだ。


 自分の母親とは、ちゃんとお別れができなかった。


 それが真琴にとってはトラウマになってるんだろう。


「死ぬ前にさよならできないなんてさみしいよ、悲しいよ……くるしいよぉ~……」


「真琴おまえ……」


 この子には呪いがかかってるんだと、俺は理解した。


 母親の死に目にあえなかった。

 ちゃんとお別れできなかった。


 そのことが真琴に、拭いきれない不安と恐怖を与えている。


 母親とはもう二度と会うことが出来ない。

 お別れができない。


 もう死んでしまっているから。

 

「大好きな家族ひとの最期に立ち会えないなんて……そんなの……やだ……」


「……じゃあ、おまえは長野に残るんだな。東京を捨てて、いいんだな?」


 ふるふる、と真琴が首を振る。


「……捨てられないよ。バスケも、いっちゃんも……なにより、お兄さんと暮らした、あの家が……好きだもん」



 わがままを言うな、としかる気には、俺にはなれなかった。


 真琴がバスケにかけてきた情熱を知っている。


 真琴が五和いつわちゃんと培った友情を知っている。


 真琴と過ごしたあの家の思い出を……知っている。


「……ぼく、わがままなのかなぁ。駄目な子かなぁ。残り全部を捨てて、大好きなパパを選べない……薄情な子かなぁ?」


 ……真琴の呪いを完全に解くのは、無理だ。

 なぜならば、悪い言い方になるが、呪いをかけた本人はははもう他界しているから。

 逆立ちしたって死んだ人間をよみがえらせることはできない。


 俺はヒーローじゃない。

 スーパーマンじゃない。



 でも……俺は真琴の人生ものがたりにとっての、主人公ゆいいつむにでありたい。


「そんなことない。そんなことないよ、真琴」


「お兄さん……」


 俺は真琴をぎゅっと抱きしめる。


「おまえが薄情な人間なもんか。おまえが父親を誰より強く思ってることは知ってるよ」


 俺は彼女の幼なじみだ。


 彼女の人生を横で見ていた。


 彼女が父を大事にしていることは重々理解している。


「おまえがバスケに一生懸命なのも知ってるよ。おまえが友達思いのいい女だったことも知ってる。全部知ってるよ。だから言ってやるよ、おまえは……悪い子なんかじゃない。駄目な子じゃないよ。安心して」


 それに、と俺は続ける。


「俺は真琴がうらやましいよ」


「うらやましい……? 何言ってるの?」


「だっておまえ、簡単に捨てられない、大事なもの……たっくさん持ってるんだろ?」


 何も捨てられないってことは、そのすべてを大事に思っているってことだ。


「俺はさ……一度故郷を捨てた。就職するとき。特に悩みもしなかった。俺に取っちゃ、恋人のほうがあのときは大事だったんだよ」


 長野は、不便だ。

 寒いし、電車は来るのが遅いし、チャンネルは少ししかない。


 アニメもうつらない、アマゾンが届くのも遅い、遊び場も全くない。


「若い頃の俺は、こんな何もないくそ田舎なんて、でてってやるって。さほど悩むことなく東京を選んだ。でもおまえは違う。故郷と今と、どっちも大事に思ってるんだ。それは凄いことだよ。選べないことは悪いことじゃない」


 よく人は優柔不断を嗤う。


 だが俺にしてみれば、そうして賢しげに人を非難してるやつのほうが馬鹿だ。


 選べない、決断できないなんて人間に取っちゃ当たり前のこと。


 どちらにも思い入れがあるのならばなおさらだ。


 よく考えもしないで、うわべだけの便利さや、快楽だけで一生を決めるような選択をするやつ。


 そいつこそ阿呆だ。


 ……まあようするに、俺は馬鹿だったってことだよな。


「真琴、苦しまなくて良いんだ。人生は選択の連続。これは仕方ないことで、人は無意識に最良を選んでいる」


「さいりょう……?」


「そう。だからおまえに言いたいのはさ。【ベストではなく、ベターを選べ】ってこと」


 最高の選択なんてこの世には存在し得ない。

 何かを選んだときには、必ず何かデメリットがついてくる。


「よりよい方がどっちか考えて……選びな。俺は真琴……おまえの選択を否定しない。俺はおまえの意思を一番に尊重する。でも……これだけは忘れないでくれ」


 俺は真琴を抱き寄せて、その唇にキスをする。


 愛おしい彼女のことを、ぎゅっ、と。


 身近に俺を感じられるように、強く。


「俺は、いつだっておまえのそばにいる。この先の人生……一度だって離れない。おまえが悲しんでるときも、喜んでいるときも、そばにいる。最期まで……ずっとな」


 真琴は目から涙をこぼす。


 彼女が俺の体に抱きついて、何度も何度も、「ありがと……お兄さん……ありがと……」と繰り返す。


 俺は彼女の背中を押した。

 これからも支えると覚悟を見せた。


 あとは……真琴が選ぶ番だ。


 長い沈黙の後、朝日に照らされながら……真琴は口にする。


「お兄さん……ぼく……ぼくね……」

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