93話 義父から感謝される



 俺たちは長野の病院へと到着した。


「真琴。いくぞ」

「……うん」


 彼女が車から降りる。


 走り出す……かと思ったのだが、彼女は俺を待つ。


「ね……お兄さん。手ぇ……」

「ああ、わかった」


 俺は真琴の手をぎゅっと握る。


 彼女の緊張と不安が伝わってくる。

 だが俺が手をつなぐことで、少しだけ、力が抜けたように感じた。


「三郎、ありがとう」

「送ってくれてありがとー」


 俺たちは運転席の、三郎に頭を下げる。


 ここまで数時間、ずっと運転を任せっぱなしだったからな。


 申し訳ない。


「なんのなんの! 親父さん、早く退院するといいね!」


 三郎が笑顔で真琴に言う。


 早く良くなるように、とは言わなかった。


 彼女を励ましてくれたのだろう。


「うん!」

「ほんとすまんな。何から何まで。奈良井んとこに、今度お礼しに行くから」


「いーっていーって! そんじゃ! またご入り用のときは、いつでも連絡してね~ん!」


 三郎は手を振って車を発進させた。


 たぶん東京にこれから戻るのだろう。


 数時間のドライブをした後だって言うのに、元気いっぱいだ。凄い人だな。


「いくか、真琴」

「うんっ」


 車の中で寝てからだろう、真琴の血色は良くなっていた。


 良かった……東京を出るときの顔のママだったら、親父さんに逆に心配かけるとこだったからな。


 俺たちは受付で病室を尋ねて、真琴パパのもとへと向かう。


 ややって。


「ぱぱー! お見舞いに来たー!」


 ベッドに横になっているのは……真琴の父親、岡谷おかや 源太さんだ。


「…………」


 源太さんは、ぎょっ、と目をむいていた。


「ほえ? どうしたのぱぱ~?」


「あ……いや……その……」


 とてもびっくりした表情の源太さんが、ふと、俺と目を合わせる。


「ああ……なるほど……だからか……」


 源太さんは、何かに納得したようにうなずく。


 そしてさっきまでとは一転して、穏やかな表情になる。


「お帰り真琴」

「うん、ただいまー! って、病室で言いたくなかったんだけどねぇ~」


 真琴は笑顔で父親に答える。


 今朝よりは、元気になってくれてたかな。


    ★


 源太さんの近況を尋ねる。


 昨日の朝に急に腹痛を感じて、市内の病院へと搬送されたそうだ。


 入院の手続きは真琴の叔父、光彦おじさんが既にしてくれてたらしい。


 今は着替えやらなんやらをとりに、実家へ戻っているそうだ。


「ぱぱ~。手術はいつなの~?」


 真琴はベッドの隣に座って、父親に尋ねる。

「明日だよ」

「退院はいつ? その日?」


 源太さんは微笑んで、真琴の頭をなでる。


「ばかおまえ、そんな簡単に退院できるわけないだろう?」


「そっかぁ~……」


 真琴はさみしそうな顔になる。

 だが泣いている感じはなかった。


 無理してる……ようにも見えない。


「早く元気になると良いね」


「そうだな。……ところで真琴。ちょっと売店に、新聞を買ってきてくれないかい?」


 源太さんが真琴にそう頼む。


「えー。自分でいきなよーう」


 真琴が不満げに言うと、源太さんは笑って、財布から千円札を取り出す。


「おつりはあげよう」

「やったー♡ ぱぱだーいすき~♡」


 ひったくるように千円を受け取ると真琴は病室から出て行った。


 まったく現金なやつめ……。


「さて……貴樹たかきくん」


「あ、はい。……え?」


 源太さんが深々と、頭を下げていた。


「ありがとう、真琴のそばにいてくれて、本当に……ありがとう」


 ベッドに頭をつくんじゃないかってほど、深々と頭下げてる。


 え、え? いや、え?


「ど、どうしたんですか急に? そんなお礼言われるようなこと、俺してないですよ……」


「いや、君は凄いことをしているんだ。君は気づいてないだろうけどね」


「は、はぁ……と、とりあえず頭上げてください」


 すごいこと?

 俺なんかしちゃったか……?


 源太さんが顔を上げて、「あいたたた」とおなかを押さえる。


 盲腸やってるひとが、あんなふうに体を折り曲げるなんて。


 体が痛むだろうに……。


「私はね貴樹たかき君。とても、とても、驚いていたんだ」


 ああ、そういえば源太さん、真琴と顔を合わせたとき、すごい表情してたな。


「真琴がね、普通だったからだよ」


「あいつが……普通? それがどう驚くことに?」


「……私が倒れたのにもかかわらず、あの子が平静さをある程度、保っててくれた。それは、凄いことなんだ」


 昨日と今朝は結構動揺していたような気がする。


 だがそれでも、源太さんは言う。


「昔ね、私が足を折って入院したことがあるんだ。真琴がまだ本当に小さいときに」


「それって……確か真琴が小学校入る前でしたよね」


 俺も覚えている。


 そうだ、たしか、あのとき……。


「覚えてるかい?」

「……はい。ずっと泣いてましたね」


 源太さんが入院したとき、真琴は俺のうちに預けられた。


 あのときはもう、ずっとびーびーぎゃあぎゃあと泣いていた。


「真琴が私の様子を見に来たときも、そりゃあもうひどいもんだった。ずっと腰に抱きついて、パパ、死なないでって……」


 俺は学校へ行っていて知らなかったが、そんなことがあったなんて……。


「真琴にとって私は、唯一の肉親だ。あの子の母が病気で死んで、トラウマだったのだろうな。父である私が、入院するのが」


 父が居なくなってしまったら、もうひとりぼっちになってしまうと、真琴は思ったのだろう。


「足を折ったときも痛かったが、私は真琴にそこまで心配させてしまった、悲しませてしまったことの方が心が痛かったよ」


 でもね……と源太さんが続ける。


「今日は違った。あの子は驚くほど穏やかだった。君がそばにいてくれたからさ」


 だからありがとうと、とまた源太さんが頭を下げる。


 そんな、俺のおかげなんて言われても……正直そんなのは買いかぶりな気がする。


「俺は何もしてないですし、何より……あいつが大人になったからじゃないですか? 冷静に見えたのは」


「いいや、違うさ。大人になろうと真琴の本質は変わらない。親だからわかるんだ。君が居てくれたおかげで、あの子がああして元気なんだって」


 確かに病室に来てからは元気な態度を取っている。


 無論、無理してる感はひしひしと伝わってきた。


 それでも、源太さんは喜んでいた。


「本当に、あの子にとって君は、なくてはならない存在になったのだね。私はうれしいよ……君という、素晴らしい義理息子むすこをもてて」


「源太さん……」


 彼は泣きながらまた何度も俺に頭を下げてきた。


 俺は申し訳ないと思いつつも、彼女の父に認めてもらえた気がして、とても……うれしかった。

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