91話 義理父の入院



 翌日、水曜日。


 朝、俺たちはマンションの前に立っていた。

 俺の隣にはキャリーケースをそばにおく、嫁の真琴。


 一瞬見せた動揺はどこへやら、真琴は唇をとがらせながら言う。


「昨日さー光彦おじさんから電話かかってきてねー。パパが倒れたってゆーからさー何かと思ったら、盲腸だって! もー、驚かせるんだから~」


 ぶちぶち、と真琴が文句を言う。


 俺は事前に彼女から、光彦おじさんからの電話の内容を聞いていたのだ。


「今時盲腸って。あはは! 調べたけどぜーんぜん怖くない病気なんだってねー!」


「ああ、そうだな」


「んも~。パパも光彦おじさんも大袈裟すぎ~。救急車で運ばれるとか! ねー、どう思う? 盲腸でだよ! っか~。もっと大病で倒れてるひとがいるかもなのに~。パパってば心配かけさせちゃってさ~。ねー!」


 しきりに真琴が俺に問いかけてくる。


 彼女は何でもない風を装っているが……。


 俺には、わかる。

 真琴が動揺してること、そして、かなり心配してること。


 ピコン♪


「あ、光彦おじさんからだ。車もうすぐくるって!」


 真琴がスカートにスマホをしまう。


「そんじゃ、ちゃちゃーっと様子見て、ぼく返ってくるから! お留守番よろ!」


 元気よく手を上げる真琴に、俺は言う。


「いや、俺も着いてくぞ」


「……………………え?」


 きょとん、と真琴が目を点にする。


「な、何言ってるのさ! 今日は水曜日だよ? ド平日じゃん、お兄さん仕事」


「休んだよ」


 真琴が一瞬たじろぐ。

 だがすぐに無理して笑う。


「あはは! お兄さんまで心配? んも~。心配性だ……」


 俺は真琴を、ぎゅっ、と抱き寄せる。


 近くで見ればわかる。

 真琴の目の下にクマができていた。


「親父さんも心配さ。でも俺が一番心配なのは、おまえだよ」


「ぼく……? な、何言ってるのさ! ぼくはへいちゃらだもん!」


 ぶんぶん! と真琴が強く首を横に振る。


「パパが盲腸で倒れたくらいで、動揺するなんて思ってるの? 子供じゃないんだし!」


 真琴は虚勢を張っているが、心配なのがバレバレだ。


 でも無理してるのは、自分がこれくらいで動揺してるって悟られたくないからだろう。


 なぜ、と言われると……わからない。


 だがどうにも真琴は、このケースに限っては、弱さを見せたくない様子。


「そうかい。じゃ、俺は親父さんが心配だから、俺の都合で見に行くってことで」


「そ、そっかそっかぁ! お兄さんにとっては、将来は義理のお父さんになるひとだもんね!」


「ああ。だから何かあったらいやだから、様子見に行くんだよ」


「え……?」


 一瞬で、真琴の顔から血の気が引く。


「な、なにかって………………なに?」


 ……本当に消え入りそうなくらい、小さな声で真琴が不安を吐露する。


 やっぱり怖がってるんじゃないか。

 心配してるのに、無理して平気なふりをしていたんだ。


 また指摘すると否定されるだろう。

 だから俺は、彼女の頭をなでる。


「大丈夫。医学の進歩なめんな。盲腸で人が死ぬわけない」


「…………だよね」


 何度も彼女は、自分に大丈夫だと言い聞かせる。


 やっぱりついて行くと決めて正解だった。


「…………」


 真琴が俺の体に抱きつく。

 ぶるぶる……と震えていた。


「……ごめん、お兄さん。何も聞かずに、こうさせて」


「……ああ」


 真琴は結構欲望に忠実なやつだ。


 そんな彼女は、今回の不安を表に出さないのには、何か理由があるんだろう。


 彼女が言いたくないのなら、無理して追求しない方が良い。


 

「……お兄さんといると、ほっとする。気持ちが穏やかになるよ」


「そうかい。そりゃ、彼氏冥利に尽きるってもんだ」


 わしわし、と俺は真琴の頭をなでる。


 真琴はしばらくそうして、俺にずっと寄り添っていた。



 ほどなくすると、マンションの前に車が到着……したのだが。


「「り、リムジン!?」」


 俺も真琴も驚愕する。

 マンション前に止まったのは黒塗りのリムジンだ。


「へーい! おまた~……って、あら? 真琴ちゃんと旦那さんじゃーん」


「あ、あんたたしか……奈良井ならいの旦那」


 高校の頃の同級生、奈良井ならい

 彼女の結婚相手である、ガタイのいい男がリムジンから降りてきたのだ。


「あー! いつぞやのターミネーターじゃーん!」


 真琴が男を指さして叫ぶ。


「おいっす~。奈良井の旦那、贄川にえかわ 三郎くんでーす!」


 黒服にサングラスをかけた、みため完全にターミネーターの男が笑顔で挨拶をする。


「あれ? 光彦おじさんが来るって……え、なんでさぶろーがいるわけ?」


 はて、と真琴が首をかしげる。


「若旦那の命令でさー、二人をお迎えにあがったわけ」


「「わかだんな?」」


 誰それ?


岡谷おかやさん……光彦さんのことだよ」


 どうやら三郎は真琴の叔父さんと知り合いらしい。


 しかも若旦那って……。


 え、光彦叔父さんって、そっち系のひとなの? やの着く職業の人なの?


「光彦おじさんは?」

「若旦那なら昨日の夜ひとりで先に、長野の病院に様子見に行ってるよ」


「そ、そうなんだ……」

「うん。で、おれが真琴ちゃんを迎えに来たって訳。ささ、乗りねえ乗りねえ」


 リムジンのドアを開け、中に入るよう三郎がうながす。


「あ、俺も着いてっていい……です?」


「もちもち! リムジンは広いっすからねぇ! あと敬語いいよ。おれ奈良井の旦那だし、年下だし!」


 奈良井のやつ、年下と結婚してたんだ……。

 こんな厳つい見た目で俺より下なのか、歳が……。


 まあ、何はともあれ、俺は三郎の車に乗る。

「しかしリムジンで出迎えて、ターミネーターから若旦那って呼ばれて……真琴。おまえの叔父さん何物なんだ?」


 正面に座る真琴に問いかける。


「さ、さぁ~……ただの編集者って聞いたけど……」


 バッグミラー越しに、にかっと笑う。


「シートベルトおっけー?」


「おっけー!」


 真琴が元気よく答える。


 だが空元気なのはわかる。

 彼女はずっと俺の手を握っており、震えているから。


「安心しなぁ真琴ちゃん! 爆速で長野まで連れてってやっからよぉ!」


 う゛ぉんう゛ぉん! とリムジンがエンジンを吹かす。


 どうやら三郎は、親爺さんが入院した胸を知ってて言っているのだろう。


「いくぜぇ! おらおら若旦那の姪っこがお通りだぁ! じゃまするやつは開田グループが地下帝国建設送りにしてやるぜー! 命がおしけりゃ道を開けな愚民どもー!」


 といいつつも、ちゃんと法定速度と車間距離を取る三郎。


 かくして俺たちは、長野の病院に入院することになった、真琴の親父のお見舞いにいくのだった。


 

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