82話 真琴と五和、感情をぶつけ合う



 五和いつわの部屋にて、真琴は、薮原やぶはらへの思いを語った。


「ごめん、大好きなんだ……。譲れないんだ……ぼくは……お兄さんが、大事で。どれくらい大事かって言うと……」


 ぎり、と五和が歯がみする。


「……なにそれ」


 五和は、自分でもびっくりするくらい、低い声が出た。


 理性で抑えていた感情が、爆発する。


 薮原やぶはらへの思慕が、真琴への愛情が反転し……真琴への強い恨みに変わる。


「……自慢かよ?」

「え?」


 真琴はびくっ、とおびえる。

 五和の瞳には、ありありとした敵意が浮かんでいた。


「……良かったね。自分の方が可愛いもんね。選ばれて当然だよね」


「い、いっちゃん……何言ってるの?」


「……ああ良かったね! 大好きな彼に選んでもらって! 自分の方が上だって言いたいんでしょ!?」


 ……そんなこと言うつもりがなかった。


 でももう理性で思いを抑えることが出来なかった。


 真琴に負けた悲しみ、薮原やぶはらを奪われた苦しみ……。


 それらが一気に、親友である真琴に、悪意という形で、牙をむく。


「違うよ! どっちが上とか、そういうこと言いたいんじゃないんだよ!」


 真琴が否定する。

 彼女が本当に言いたいことを伝えようとする。


 だが五和は耳を塞いで首を振る。


「うるさい!」


 びくっ、と真琴がおびえる。


「帰ってよ! あんたなんてもう顔見たくもない!」


 ……五和が涙を流している。

 真琴のことは好きだ。愛してる。


 でもだからこそ……この憎しみにとらわれてしまっている。


 真琴を敵と思うことでしか、自分の心の傷を癒やせない。


「でてって!」


 五和は立ち上がると、真琴の肩を乱暴につかむ。


 そのまま部屋の外へと押し出そうとする。


「やだっ!」


 だが真琴は頑として、動こうとしない。


「いっちゃん! 話聞いて!」

「うるさい! 出てけ!」


「聞いてよ!」

「やだ!」


 五和はもう真琴との対話を求めていない。


 彼女が何を言おうと、今の五和を傷つけるだけだ。


 だから五和は真琴を部屋から追い出そうとする。


 だが……。


「いっちゃんのわからずや!」


 真琴の発言にかっ、となって、五和が手を上げる。


 バシッ……!


「……あ」


 さぁ、と五和の顔が青くなる。

 親友に手を上げてしまったことに、罪悪感を覚える。


 だが真琴はきっ、とにらんでくると、バシッ! と頬をたたき返してきた。


「なにすんのよ!」


 バシッ……!


「うるさい! 聞けよばか!」


 バシッ……!


「馬鹿はどっちだ馬鹿っ!」


 そのまま真琴が五和に飛びかかって押し倒す。


 二人とも髪の毛をひっぱったり、頬をひっぱったりする。


 どすんばたん、とものすごく大きな音が響く。


 五和は真琴の話を聞かず、追い出そうとする。


 真琴は自分の話を最後まで聞いて欲しいから、彼女に抵抗する。


「なんなんだよ! さっさと出て行いきなさいよ!」


 五和は真琴の頬をたたく。

 真琴もまたやり返す。


「やだっ! ぜーったいやだ!」


「馬鹿にしやがって!」


「馬鹿にしてないもん!」


「見下しだしてたんでしょいつも!」


 五和は真琴を押し倒し、馬乗りになって、胸ぐらをつかむ。


「どーせ! 自分の方が可愛いって思ってるんでしょ! いいわよね! 生まれ持って可愛い子はさぁ!」


 ……ソンナコト言いたくないのに、傷つけたくないのに、もう自分を止められない五和。


「何にも努力せずそんなに胸もおっきくて! 髪の毛もさらっさらで! なんだよズルだよズルすぎるんだよ!」


 世の中の不公平を、この子に当たりつけても仕方ないとわかってるのに。


 それでも心の内にたまっていた思いを、吐き出さずにはいられない。


「バスケもさ! 生まれ持ったバネとか! センスとか! どんだけだよ! しかも可愛くてちょっとお馬鹿で……盛りすぎなんだよ! 才能!」


 真琴を構成するすべては、まるで男を喜ばせるために、神が自ら選んで作ったかのようなもの。


 すべてが、五和にないもの。


「そのうえさぁ! なんだよ、幼なじみって! そんなのズルじゃん! 勝てっこないじゃん! 生まれなんて選べない! スタート前から好感度MAXって! そんな状態で勝てるわけないじゃん! 出来レースだよ! ズルいよ! ズルいよぉおお!」


 そう、最初から対等な勝負ではなかったのだ。


 容姿才能家柄見た目、何もかもで自分は負けていた。


 どれもがどうしようもないことだった。

 真琴に言っても仕方ないことだった。


 でも言いたかった。

 わかってほしいから。才能の差で負けたんだって。


 あなたは、自分にないものをたくさん持っているんだって。


「良かったね! かっこいいお兄さんと! 幸せ暮らせば良いじゃん! もうこんな女のことなんて忘れてさ! はいはいさよなら! もう出てって……」


 と、そのときだ。


「…………!」


 真琴が、泣いていた。


 でもその瞳に浮かんでいたのは、憐憫ではなかった。


 真琴は五和を哀れんでいなかった。

 真琴は五和に怒っていなかった。


 ただ、悲しんでいた。


「なに……泣いて……」

「聞いてよ、馬鹿いっちゃん!」


 がんっ! と真琴が頭突きをしてきた。


 五和がドシン、と倒れる。


「ば、馬鹿って……」


 しゃべろうとする五和の頬を、真琴がたたく。


「あんたの言いたいことわかったよ! でも、でも……! あんたばっかり、言いたいことばっかいってさ!」


 バシッ、とまたたたく。


「なんだよ! 全部ぼくがわるいのかよ! なんだよ! 何もかもわかったつもりで、えらそうに!」


「はぁ!? 別にそんなこと言ってないわよ! あんたが凄いのは事実じゃん! あんた恵まれてるのじゃん!」


「それがむかつくんだよ!」


 ばしっ! とまた真琴がたたく。


「何が恵まれてるだよ! ぼくが……ぼくが! どんな風に育ったのか、いっちゃんしってるのかよ!?」


 ……薮原の幼なじみという以外、真琴のパーソナルな情報を、五和は知らない。


 当然だ、真琴が言ってないのだから、そこまで踏み込んでいないのだから。


「ぼくは……お母さんいないんだよ」


「え……?」


 急に重い話題が振ってきて、戸惑う五和。

 反撃の手もやめて、彼女の話に耳を貸す。


「お母さん……ぼくが生まれてすぐ、死んじゃったんだよ。兄姉は……いないし。お父さんも……仕事忙しくって、滅多に家に、いないし……」


 ぽたぽた……と涙がこぼれる。


 辛い過去を思い返して、泣いてるのだろう。


「家に……ずっとひとりなんだよ……あんたにわかんのかよ……! 家に帰ればお母さんとお父さんがいて、優しいお兄さんとお姉さんが居る、あんた! ぼくの孤独が理解できるのかよ!」


 ……そんな、と五和が言葉を失う。


 真琴はてっきり、恵まれて育ってきたとばかり思っていた。


 何一つ悩むことなく、明るい道を歩いてきたとばかり思っていた。


 恵まれすぎているからこそ、ズルという言葉が口をついたのだ。


 でも……違った。


「お兄ちゃんが欲しかったよ……お母さんが欲しかったよ……でもそんなの、わかってても手に入らなくて……さみしくて……苦しくて……一人で泣いてて……」


「…………」


「そんなとき、お兄さんが手を差し伸べてくれたの。隣の家の、優しいお兄さん。ぼくのこと、励ましてくれて……本当のお兄さんみたいに、優しくしてくれて……だから、好きになったの……」


 真琴は泣いていた。

 五和に間違って欲しくなかった。


 浮ついた気持ちで、薮原やぶはらを好きになったのではないと。


 本気なのだ。本気で彼を愛してるんだって、知って欲しかった。


 だから、ぶつかり合おうと思ったのだ。


「いっちゃんは……何も持ってなくなんか、ないよ。かっこいいし、すらっとして素敵だし、頭も良いし、美人だし……それになにより、こんな暖かい家族がいるじゃんかぁ……」


 妹を心から心配してる、兄が居た。

 真琴はうらやましかった……。


「家族が欲しいんだよぉ~……さみしいんだよぉ~……ぼくは……ぼくはぁ~……」


 本当の家族が、うらやましかった。


「ズルじゃないもん……ぼくだって……ぼくだっていっぱい……がんばって……だって……持ってないから……他の人みたいに……恵まれてないからがんばって……だから……お兄さんが大事で、手放したくない大切な人で、だから譲れないんだもんう……う……ううぅ~……」


「マコ……」


 気づけば真琴を、五和は抱きしめていた。


「なんで、いっちゃんまで泣いてるんだよぉ~……」


 五和までも大泣きしていた。


 真琴を優しく、包み込む。


「……だって……マコが……ごめん……なにもわかってなくって……ズルとか……」


「……そうだよぉ、ばかぁ~……。ぼくだってぇ~……ばかばかいってごめんぅ~……」


 五和は理解した。


 真琴は完璧な存在ではなかった。


 彼女もまた深い闇を心に抱いていたのだ。


 自分と同じく劣等感を持っていたひとだったんだ。


 何もズルなんかじゃなかった。

 そうだ、バスケだってそうじゃないか。


 この子はひたむきに練習していた。


 恋だってそうじゃないか。


 真琴は一生懸命彼に振り向いてもらいたいって努力していたじゃないか。


 そうだ、生まれ持ってのことじゃない。


 人は皆、生まれてすぐは何も持っていないんだ。


 環境から、生まれから、人はそれを補おうと、必死になって努力をする。


 その積み重ねが才能と呼ばれているだけ。


 努力を多く積み重ねてきたものを、人は天才だと呼ぶ。


 でもそこには、天才にしか理解できない悲劇や、努力や、苦労があるのだ。


 真琴が薮原やぶはらに好かれているのは、決して、ラッキーで済まされるものじゃなかった。


 彼女は、自分のすべてを薮原やぶはら 貴樹たかきに捧げている。


 その血も肉も魂も、全部彼にあげている。


 そのほかの一切を捨ててでも、薮原のために生きる覚悟。

 全身全霊をかけて彼だけを愛するという、強い決意。


 それがあるから薮原の心を射貫いただけだ。

 ……なんて、馬鹿だったんだろう。

 五和は己の無知を恥じた。


 生まれとか、才能とか、見た目とか、そういう次元の戦いじゃない。


 彼をどれだけ愛するかという勝負で……五和は真琴に、完全に敗北していたのだ。


「ごめん……マコ……痛かった?」

「うん……痛かった……すっげえ痛かった……」


 真琴の珠のような肌に傷をつけてしまい、申し訳ない気持ちになる。


「……顔、ごめんね」

「ちがうよばかぁ~……」


 真琴が胸の中でグスグス泣いてる。


「いっちゃんにぃ~……嫌われたんじゃないかって……、もう2度と……会えなくなるんじゃないかって……思って……胸が痛かったんだよぉ~……」


 ……ここまで、自分が悪感情をぶつけても、真琴は自分を求めてくれる。


「……どうして? マコ。なんで? ひどいことたくさん言われたのに、どうしてまだそばにいてくれるの?」


「ぐす……そんな……きまってるんだろぉ~……」


 真琴が涙混じりの、ひどい顔で五和に言う。


「いっちゃんが、大好きな、友達だからだよぉ~……」


 ……ほんとに、馬鹿だった。

 

 勝手に勘違いして、勝手に彼女を遠ざけようとしていた。


 勝手に真琴を完全無欠な超人にしたてあげ、自分から大事な人を奪った悪者のように思ってしまった。


「……ごめん、マコ」


 ぎゅっ、と五和が真琴を抱きしめる。


「……あたしが、馬鹿だった。許して」


「う゛ん゛……ぼくも、ごめんね……」


「……マコが謝ることないよ。ごめん、ごめんなさい、マコ……」


 五和が真琴の背中を優しくなでる。


 練習がきつくて吐いたとき、真琴が自分の背中をなでてくれたときのように。


「……いっぱいひどいこと言ってごめんね。大好きだから、マコのこと」


 真琴は涙に濡れた目を細めて、うなずく。


「ぼくもごめんね……。大好きだよ、いっちゃんのこと」


 二人はそろってまた泣き出す。


 わんわんと、まるで子供のように。


 二人抱き合って、いつまでもそうして、泣いてるのだった。

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