81話 五和の真琴への思い



 贄川にえかわ 五和いつわは自分の部屋のベッドに突っ伏し、昔のことを思い出していた。


 4月中旬。

 五和はバスケ部の練習に出ていた。


 だが……。


『げほっ! ごほっ! ごほっ!』


 五和は体育館の床に崩れ落ちていた。

 全身は汗びっしょりで、肩で息をしている。


贄川にえかわぁ……! 寝てんじゃねえ!』


 顧問の怒声が体育館に響く。


 今は基礎練習……シャトルランの途中。

 だが細く、体力の少ない五和にとっては、地獄のような練習だ。


『起きろ贄川にえかわぁ!』


 だが起き上がりたくない。

 きつい、きつすぎる……。


 ここアルピコ学園は、都内でも有数のスポーツ名門校。


 バスケ部は全国出場なんて当たり前。

 だが裏を返せば、それだけ厳しい練習を、強いられるということ。


 五和は名門に入れたことで、強くなれるとそう信じていた。


 だが現実は非情だ。


 アルピコに入学して待っていたのは地獄のようなしごきの毎日。


 そうだ、入っただけでは強くなれない。


 厳しい環境で生き抜いてこそ強くなれる……。


 だが大半の新入部員は、想像を絶する激しい練習に耐えられず止めていった。


『……もう、やだ』


 五和は泣いていた。

 厳しすぎた。特に監督の五和に対するあたりが強すぎる……。


 チームメイト達が贄川にえかわをチラ見しながら会話する。


『監督、贄川にえかわにきびしくない?』


『期待の裏返しだよ。女子で180近い身長なんて希有な存在だし』


『でも体力なさすぎのモヤシじゃん』


『だから監督は体力をつけさせようってしてるんでしょ』


 監督が怒って五和の元へやってくる。


『いつまでも寝てるんじゃねえ! やめてえならさっさと止めろ! でかいだけのでくの坊!』


『…………』


 言われなくても、辞めてやる……。


 なんでここまで頑張らなくちゃいけないんだ。


 期待の裏返しなんていらない。

 こんな厳しい訓練なんて……。


 と、そのときだ。


『かんとくー!』


 ててて、と真琴が五和たちのもとへやってくる。


『マコ……』

『今の言い方は良くないと思います!』


 毅然とした表情で、真琴が監督に言い返す。


『でくの坊なんて失礼です! 頑張ってる人に対して! 謝ってください!』


 真琴は大人相手でも一歩も引かない。


 ……五和はうれしかった。


 頑張っている人って、ちゃんと認めてくれる人がいたから……。


 自分のために、かばってくれるこの子が……とても愛おしい。


『……だ、いじょうぶ……マコ』

『いっちゃん……』


 五和が立ち上がって、真琴の肩に触れる。


『……監督。あたし、まだやれます』


『ふ、ふん……そうか。さっさと走れ! 贄川にえかわ! 岡谷おかやも!』


『『はいっ!』』


 真琴達は体育館の中を走る。


 きつくて死にそうだけど……さっきみたいに倒れることはない。


『大丈夫いっちゃん! ふぁいとふぁいとー!』


 自分もきついはずなのに、ずっと真琴は、励ましてくれる。


 声を出して走るのは、普通よりも辛いだろうに。


 五和が倒れないように、一生懸命声をかけてくれる。


 真琴のおかげで、なんとかシャトルランを走り切れた……。


『うぷ……うぅ……』


 五和は体育館裏にて、一人吐いていた。


 その背中を、真琴が優しくさすってくれる。


『がんばったね! いっちゃん!!』

『マコ……』


『ん? なぁに?』


 五和は疑問を口にする。


『……なんで、あたしにそこまで優しくしてくれるの? なんで、期待してくれるの?』


 チームで一番体力が無いと揶揄されていると知っている。


 でも真琴は一度も五和を悪く言わず、それに励ましてくれもする。


『だってぼく、いっちゃんのこと大好きだもん!』


 きゅっ、と真琴が優しく抱きしめてくれる。


『大好きだから、頑張ってるいっちゃんを応援したいんだもん!』


『マコ……』


 無条件で慕ってくれる、この少女がたまらなく愛おしい。


 倒れそうになる自分を励ます声に、その優しい笑みに、何度救われただろう。


 ……五和が諦めずバスケ部にいて、頑張れる理由は、単純だ。


『一緒にがんばろうね!』


 真琴がそばにいてくれるから。

 

 自分は何度も立ち上がれる。


 五和にとって真琴は、友達以上の、大事な存在なのだ。


    ★


「…………」


 五和は目を覚ます。

 時は戻って、現在。


 薮原やぶはらに昨日振られたばかり。


 五和は自分のベッドの中で丸くなっている。


「はぁ……」


 薮原やぶはらに告って、振られた。

 わかりきっていたことだ。

 

 彼にとっての一番は、真琴である。

 叶わぬ恋だとわかったうえで、告白したのだ。


 振られて当然だった。

 だからこの胸にあいた、失恋痛みは、いずれ塞がると思う。


 すごいショックで、立ち直れないレベルの痛みだったけども、時間がいやしてくれる……。


 だが……もう一つ、五和には、抱えている大きな感情があった。


 真琴への、思いだ。


「……マコ」


 岡谷おかや 真琴。

 明るくて、可愛くて、スタイル抜群で……。

 そして、愛する人の……幼なじみ。


「…………」


 五和はぎゅっと丸くなる。

 今、真琴を思うと胸が苦しくなる。


 わかっている。

 これは……嫉妬だ。


「……うらやましいよ、マコ」


 薮原やぶはらに選ばれた少女。


 自分は選ばれず、真琴は選ばれた。


 何が違うのかは明白。

 恨むのはお門違い。

 それでも……。それでも、だ。


「……なんで」


 真琴を思うと黒い感情が次から次へとわき上がってくる。


 なんで、真琴はあんなに可愛いのだろう。


 なんで、真琴はスポーツがあんなに上手なのだろう。


 なんで……真琴は、薮原やぶはらの幼なじみなのだろう。


 五和の欲しいものを、全部を持っている真琴が、うらやましくて仕方なかった。


 今まで心の中の、深い場所に押し込んでいた羨望の感情が……。


 今回、薮原やぶはらに振られたことで、一気に吹き出した。


「…………」


 今、真琴の顔をまともに見れない。


 あの子の笑顔を見てしまったら、きっと自分はおかしくなってしまう。


 ……あたしは、振られてこんなに辛いのに。


 どうしてあなたは笑ってるの、と。


 理性で押さえ込んでいた、醜い心が、真琴の顔を見た途端、主に出てしまうだろう。


 その確信が五和にはあった。


 だから部活に出なかった。

 真琴を見るたびに浮かんでくる、この黒くてどろっとした感情がわき上がってくるから。


 こんな気持ちを抱きたくない。

 真琴は大事な友達で、大切な人。


 でも……そんな大切なひとが、もう一人の大切な男性ひとを奪った。


 ……いや、奪うも何も、最初から彼らの関係を崩すことなど不可能だ。

 

 そこを知った上で告白し、玉砕してるのだから、間違っているのは自分。


 理性あたまではそう理解してる。

 でも本能こころは叫んでいるのだ。


 ああ、うらやましい、と。


 真琴が愛おしいからこそ、胸に抱いたこの感情が、際限なく大きくなっていく。


 真琴が大好きだからこそ、この胸の痛みをわかってくれない、あの子を憎く思ってしまう。


 だめだ、だめだ。だめだ……でも。


 ……気づけば、五和は真琴を部屋に招き入れていた。


「いっちゃん……」


 五和は真琴に何を求めて、部屋に入れたのだろう。


 自分の行動なのに、自分で全く理解できなかった。


 それでも確かなことは、ふたつ。


 今でも真琴が、大事な友達だと思っていること。


 そして……。


 胸の中に芽生えた、この黒い感情が今、はけ口を見つけたとばかりに、歓喜してること。


 それを必死になって、表に出ないよう押し殺す。


「いっちゃん……部活出てないから、すごい心配したよ」


「……心配かけて、ごめんね」


 どこまでも、この子はお人好しなのだろう。


 自分が恋愛の邪魔者になってるのに、気を遣ってくれる。


 ああ、こういうところが、薮原に気に入られたのか……


 ダメだ、また暗い感情に囚われそうになる。


「……心配してくれてありがとう。病気とかそういうんじゃ、ないから。大丈夫だから。もう、遅いし、帰った方がいいよ」


 真琴の顔をまともに見えない。


 必死に必死に、自分の気持ちを押し殺す。

 それでも真琴は帰ってくれなかった。


「ぼく、話し合いに、来たの。ちゃんと……ぼくの、お兄さん……貴樹たかきさんへの思いを、言っときたかったから」


 真琴ははっきりと、五和に言った。


「ごめん、いっちゃん。ぼく……貴樹たかきさんのこと、大好きなんだ」


 

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