66話 アンナ先輩と、エレベーターで一緒に



 ゴールデンウィーク明け、俺は勤め先である、SRクリエイティブへと出社。


 この会社の入っているビルは、かなりデカい。


 今は潰れてしまった大手出版社の建物を流用しているからな。


 俺はエレベーターへと乗り込み、上の階へと行こうとした……そのときだ。


貴樹たかき~! 乗せて~!」


「アンナさん」


 ロシア系の美人、アンナ・塩渕しおぶちさんが、こちらに笑顔でかけてくる。


 ノースリーブのシャツにチノパン、というスタイルだ。


 アンナさんは俺の先輩であり、新人時代に世話してくれた人でもある。


 ショートカットの白髪に、青い瞳。


 大きな胸に明るい笑顔で、社内ナンバーワン美女の名声をほしいままにしている。


 アンナさんはエレベーターに乗ると、俺を見上げて、笑いかけてくる。


「ありがと、貴樹♡ おはよー♡」


「はい、おはようございます」


 扉が閉まると、エレベーターは上がっていく。


「今日からよろしくね貴樹♡」


「え? なんのことです?」


 唐突に、アンナさんが俺に言う。


「あら、部長から聞いてないの」

「ええ、何も」


「そっか」

「ええ」


「…………」

「……気になるじゃないですか、言ってくださいよ」


 アンナさんはにまーっと笑う。


「ふふっ♡ 秘密は女をキレイにするのよ♡」

「いや、数時間もすればちふ……部長が言うでしょ」


「かもね。でもいいじゃない。後でのお楽しみってことで♡ 今後ともよろしくっ」


 よくわからんが、俺は部長である千冬さんから、何かを任されるらしい。


 しかもアンナさんと一緒に何かをするんだという。


「いやぁ、楽しみだな~♡ ふふっ♡」


 アンナさんがニコニコと上機嫌に笑う。


 ……ふと、俺は気付いてしまった。


 彼女のシャツが、雨に濡れて、少し透けていることに。


 さっ、と目線をそらす。

 み、見てはいけないものを見てしまった……。


「どうしたの?」

「あ、いや。雨途中で振ってきましたね」


 天気予報の通りだった。

 朝出る前に傘持ってきていて正解だ。


「うん。途中まで良かったんだけど、ざって振られちゃってさぁ。コンビニで買うのも馬鹿らしいから、走ってちゃったの」


「へ、へえ……」


 透けてしまったシャツを見るわけにもいわかず、俺はアンナさんから距離を取って、目をそらす。


「なんで逃げるのかな~?」


 ずいっ、となぜかアンナさんが近づいてくる。

 俺は壁際に追いやられる!


 なんで近づいてくるんよ!


「み、見えちゃうじゃないですか……その……シャツの下が」


「別に、貴樹になら見られてもいいよ♡ むしろ見て欲しいかなー♡」


 アンナさんに、追い詰められる。

 その美しいサファイアの瞳に、吸い込まれそうになる。


 ぐにゅっ、と彼女の大きな乳房が、俺の体に当たってひしゃげる。


「あ、当たってるんですが……」

「当ててるのよ♡」


 ナンデ!? アンナ当テテンノナンデ!?


 し、しかしマズい!

 この状況は非常にマズい!


 俺は真琴という、お付き合いしている女の子がいるのに、アンナさんとこんなことするなんて……!


「ね、貴樹。前から言いたかったんだけど……あたしね。好きよ」


「ふぁ!?」


 な、なになに!?

 朝から……え、俺……こ、告られた?


「す、好きというのは……人として?」


「ううん。異性として。あなたが好きです、薮原やぶはら 貴樹たかきくん」


 朝っぱらから……しかも、こんな気軽に、アンナさんに告られてしまった。


「え……っと、なんで……? 俺なんか……」


「一目惚れってやつ……かな」


 そんな急に一目惚れとか言われても……。

「あたしはあなたが好きです。貴樹。付き合って欲しいです」


 真面目な、告白だった。


 でもだったらなおさら、アンナさんが俺に惚れる意味がわからない。


 一目惚れ? そんなものが本当にこの世に存在するのだろうか。


 ……わからない。でも、俺の答えは決まってる。


「ごめんなさい。気持ちはうれしいけど、アンナさんとは付き合えません」


 俺はハッキリと答える。

 そう、俺には真琴がいるから。


 将来を約束した、愛すべき嫁さんがいるから。


 アンナさんの思いには答えられない。


「ふーん……そっか」


 アンナさんは俺から距離を取る。


 彼女の目は……特に、感情の変化が見られない。


 告白を断られてショックを受けている感じにもみえない。


「ま、薄々わかってたから。いるんでしょ、彼女」


「はい。そうです。だから付き合えません」


「そっかー……残念」


 苦笑するアンナ先輩。

 やっぱりどこかショックを受けてる感じはない。


 先ほどの発言からして、俺に彼女がいることに、気付いていた感がある。


 だから断られても、あまりショックじゃないのか。


 ぽーん、とエレベーターが目当ての階に到着する。


「アンナさん。ごめん。でも俺……」


「だいじょーぶだよ、貴樹♡」


 アンナさんがエレベーターから降りようとして……。


 チュッ♡


「はぁっ……!?」


 俺の頬に、アンナさんがキスをしてきた。

「え? えええ!?」


 なんで!? キスなんで!?


「別にあなたに付き合っている人がいても、好きな人が居ても、関係ないから」


 アンナさんは降りると、真っ直ぐに、俺の目を見ていう。


「あたしがあなたを好きなこの気持ちが、揺らぐことはないから」


「いや……だから俺は……」


「付き合ってる彼女がいる? 将来を約束した人がいるから、なに?」


 アンナさんは、好戦的な笑みを浮かべる。

「そんなの関係ないよ。あたしは諦めない。あなたの心を、全力で奪ってみせるから」


 ぱちんっ、とウインクすると、アンナさんは先に、オフィスへと向かう。

 

「…………なんでだよ」


 俺はちゃんと、好きな人が居るからと断った。


 それでもアンナさんは諦めない。


 なぜ俺にこだわるんだ? どうして……キスなんてしたんだ……。


 わからんことだらけな状況なのに、一緒に何かを、部長から任されるという。


 ……大丈夫なのだろうか、この先。 


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