65話 朝練と、五和の思い



 薮原やぶはらの家を出た真琴まこと五和いつわ


 早朝。


 駅前の公園にて。

 彼女たちはバスケの朝練を、終えたところだった。


「ぜえ……! はぁ……! はぁ……! はぁ……!」


 五和は大の字になって地面に横たわっている。


 一方で、ポニーテールの真琴は、汗一つかいていなかった。


「お疲れ、いっちゃん」


 しゃがみこんで、真琴が飲み物を差し出してくる。

 

 倒れ伏す五和とは違い、真琴には他者に気を使えるほどの余力を残していた。


「……あ、ありが、と……」


 五和は真琴からペットボトルを受け取る。


 ごくごく……! とスポーツドリンクを飲み干す。


「やっぱポカリが最強だねぇ~」


 のんきに喉を潤す真琴は……朝日に照らされて、とても綺麗だった。


 長い黒髪。

 真っ白な肌。

 大きな胸に、瞳。


 ……どれひとつとして、贄川にえかわ 五和いつわにはないものだった。


 五和は決して不細工ではない。

 10人が居れば、7,8人は五和を見て美人と思うだろう。


 身長は、女子にしては高い180センチちかくある。


 ほっそりとした体躯には、無駄な脂肪が一切無い。


 すらりとした手足、長身、そしてはかない雰囲気を持つ美少女。


 なるほど、確かに美しい。


 ……だが、真琴は五和すら軽く凌駕する。


 10人居たら10人が、100人居たら100人が、真琴を見て美しいと思う。


 女性としての格が違いすぎる。


 ……うらやましい、と素直に思ってしまう。

 ……特に、胸にキラリと輝く、それを見てから。


「……ねえ、マコ」


「ん? なぁに~?」


 落ちてるバスケットボールを手に持って、3ポイントシュートを決める。


 綺麗な弧を描いて、ネットを一切揺らすことなくボールをくぐらせる。


 更に凄いのは、ボールが地面に着いた瞬間、バックスピンだけで、手元に戻ってきたことだ。


 真琴はボールを手に取ってまたシュートを決める。


 ……神業としか思えない。


 だが、そんな凄い技術よりも、気になっていることがある。


「……胸の、さ。指輪……どうしたの?」


 ぴた、と真琴が立ち止まる。


「んふ~♡ ききたーい?」


 真琴が、だらしない笑みを浮かべる。


 てててっ、と近づいてきて、しゃがみ込んでくる。


「ねーねー聞きたい? 聞いてくれるかいっ?」

「……う、うん……」


 表情でなんとなく察してしまう。


 自分がもっと馬鹿だったらいいのに、と思う五和。


「これね~……じゃーん! お兄さんとおそろいの、ペアリングなんだぁ~!」


 ……銀色に、桃色の宝石が小さくついた、おしゃれなリング。


 五和は、ずきり、と胸が痛んだ。


 真琴がうれしそうに、これを買ってもらったときのエピソードを語っている。

 

 聞いてるだけで辛い気持ちになる。

 親友の幸せは喜ぶべきなのに、全く喜べない。


 悲しかった。もう指輪を買ってそろえるくらい、彼女たちは仲が深まっているのだ。


「…………」


 深く長く、溜息をつく。


 ずきずき……と胸が痛んだ。

 苦しい……つらい……泣きたい……。


 このまま地面に倒れたまま、丸くなって消えてしまいたい。


「どうしたの、いっちゃん?」


 真琴が可愛らしく小首をかしげる。


 ……五和の胸の内に、黒い思いが広がる。


 なんでこの子は、何もかもを持っているんだろうと。


 可愛らしい容姿、抜群の運動神経。

 そして……かっこ良くて、頼りになる……大人な彼氏。


 ……そうだ。自分はいつもそうだ。


 贄川にえかわの家の末っ子に産まれた五和。


 彼女は兄、姉達と比べて、実に平凡だった。

 スポーツの才能に恵まれ、美しい見た目をしている長姉。


 ガタイがよく、性格の良い兄二人。


 そして……一つ上の姉もまた、五和にはない特別な物を持っている。


 ……自分には何もない。

 本当に、何もない……。


 無駄に背が高いだけの、自分が……昔から大嫌いだった。


「い、いっちゃん? どうしたの、泣いてるの……?」


 五和は手で顔を覆っている。


 こんな顔を親友に見られたくない。


 コンプレックスまみれな自分が、情けなくなって泣いたなんて……。


 彼女には全く関係の無いことだし、彼女を恨むのもまた、お門違いだ。


「……ううん、なんでもないよ。これは、汗だよ」


「そ、そう……よかったぁ~……」


 誠は心からの安堵の吐息をつく。


「辛いことがあったらなんでもいってね! ぼくといっちゃん、親友なんだから!」


 五和は上体を起こして、溜息をつく。


 ……せめて真琴が、性格の悪い、悪女だったら良かったのに。


「……神様は、不公平だ」


 正確も見た目も、器量も良い女がこの世には存在するなんて。


 しかも、よりにもよって、その子と同じ男性ひとを愛してしまうことになるなんて……。


 敵は強大……敗色は濃厚。


 それでも……それでも。


「……ね、マコ。もう一勝負、お願い」


 ふらり……と五和は体を起こす。


 正直始まる前からすでに負けてる感はある。

 だがそれでも……諦めたくないのだ。


 ……いつだって五和は諦めてきた。


 姉たち、兄たちといつも比べて、自分は平凡だからと、頑張ってもしょうがないからと、諦めてきた。


 でも……でも。

 生まれて初めて、これだけは……彼だけは、譲りたくないって、諦めたくないってそう思ったのだ。


「お願い……マコ」


「いいよっ!」


 真琴がうれしそうにボールを投げてくる。


 1対1。


 ボールを持った真琴が、戦闘態勢に入る。


 その瞬間、スイッチが切り替わったかのように、真琴の瞳が鋭くなる。


 ……気づいたら、真琴が消えていた。


 自分の脇を通り過ぎて、あっという間に抜き去っていく。


 数歩で飛び上がると、そのままダンクシュートを決めた。


 ガシャンッ……!


 五和は無様に尻餅をついて、肩で息をする。


 ……全く歯が立たなかった。


 でも、それでも……と五和は立ち上がる。


「……次、私がオフェンスね」


「おうさ!」


 五和はボールを持って、真琴の前に立つ。


 今日は、何度も何度も、ぶち抜かれた。


 五和は真琴の動きを予測して、フェイントかけてから、大きく一歩を踏み出す。


「おっ!」


 五和と真琴の違い、それは……身長。


 自分にはあって、相手にない武器で勝つしかない。


「やるねえ!」


 ……だが真琴は、抜き去ったはずだったのに、自分の前に瞬間移動していた。


 ぱしっ、とボールをスティールされてしまう。


「ぜえ……! はぁ……! はぁ……!」


「おしい! 今のいい動きだったよいっちゃん!」

 

 完全に抜いたはずだったのだ。


 でも気づいたら目の前に真琴がまたいた。


 反応速度が尋常じゃない。


 それでいて全く疲れを見せていない。


 ……化け物かよ、と五和はつぶやく。


 ……いや、化け物なのだと思い直す。


 そうだ、相手は最初から、チートスペックなのはわかっていることじゃないか。


 綺麗で、一途で、何でもできて、しかも思い人と思い出までついてる。


 ……球技だけじゃない、この恋愛という競争においても、五和は一歩も二歩も遅れているんだ。


 それでも……。


「……も、いっかい。お願い」


 五和は立ち上がって、彼女の前に立つ。


「ね、いっちゃん。なんでそんなに、頑張るの?」


 真琴は純粋に気になったことを口にしたのだろう。


「てゆーか、朝練、どうしてやろうと思ったのかな?」


 ……真琴にはわからないだろう。

 隣に居る彼を、自分がどう思っているのか。

 眼中にないのだろう、愛する男しか、目に見えてないのだから……。


 だがそれでも五和は戦いを放棄しない。

 昔みたいに、諦めない。


「……マコに、勝ちたいから……かな」


 恋愛でもスポーツでも、絶対負けたくない。

 今までずっと、色んな勝負から逃げてきたからこそ……。


 初めて抱いた、薮原やぶはらに対する恋心を、大切にしたい。


 いつまでも逃げてないで、真っ正面から……彼女に勝ちたい。


「そっかそっか! ぼく、そういうの大好きだよ! ライバルっていうの?」


 どこまでも真琴は余裕そうだ。


 それは当然だろう。

 もはや彼とのゴールは間近。バスケだって名門バスケ部のレギュラーなのだから。


 敵なんていないって、思ってるんだろうな……。


 でも、五和の闘志は死んでは居ない。


 生まれて初めて、人を好きになった、この気持ちを。


 絶対に、あきらめたくない。


「……負けないよ、マコ。私」


「ぼくだって負けないさ!」


 ……結局、この日は一度たりとも、真琴を抜くことも、彼女の攻めを防ぐことはできなかった。


 でも今日勝てずともいい。

 何度負けても、それでも彼女は手を伸ばす。

 好きになった彼が、こちらを振り向いてもらえるように。


 これから、ずっとずっと、手を伸ばし続ける……。


 戦いはそう、始まったばかりだから。




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