56話 旅行終了、出迎える嫁



 翌日、俺たちは東京へと戻ることになった。


 ホテルの前にはバスが停まっており、行きと同様、みんなでバスに乗って帰ることになっている。


 俺は前回の反省を生かして、三人掛けの椅子には座らないようにする。


 二人掛けの椅子に座って、ほっと一息。

 前みたいな左右からの修羅場ってことにはならなそう……。


「や、貴樹♡ となりいいかな~?」

「「「薮原ぁああああああああああああああ!」」」


 またも男性社員たちからの呪いの言葉が飛んでくる!

 ひぃ! 帰りも修羅場かよぉ! とそのときだ。


「だめでーす!」


 俺の隣に、どすん、と後輩のひなが座る。

 きっ、とひながアンナさんをにらみつける。


「せんぱいには、触れさせません!」


 ひなから言われて、アンナさんはじっと彼女の目を見やる。


「ふーん……そう。そういう選択をとったんだ」


 アンナさんは小さくつぶやく。

 どこか、失望のニュアンスが含まれているように感じた。


「わかった。あたしは別の席に座るわ」

「「「よっしゃあああああああああああ!」」」


 アンナさんが言うと、男性社員たちが湧きたつ。


 よかった、と思う反面、いやにあっさり身を引いたことがきになった。


 アンナさんは立ち止まり、俺……じゃなくて、隣に座るひなを見やる。


「それでいいんだ?」

「……いいんです。わたしが、望んだことなので」


「あら、そ。ご主人様を守る番犬になるってわけかぁ」

「……何が言いたいんです?」


 アンナさんは、小さく吐息をつき、厳しいまなざしをひなに向ける。


「あたしはあきらめないわよ。あなたと違ってね。……この、負けポメラニアン」


 ひらひら、とアンナさんが手を振って、奥へと向かう。

 あとにはひなと俺だけが残された。


「なんだったんだ、さっきの?」

「……知りません。誰に何を言われても、わたしは選んだんです。せんぱいを、守るって」


 ほどなくして、バスが出発する。

 ひなは道中、いつものようにしゃべりかけてきた。


「ゴールデンウィークももう終わりですねぇ」

「早いなぁ。会社つらたんだわ」


「ですねぇ。ゴールデンウィーク残りはどうやって過ごすんですか?」


 もう、黙っておくことはないので、俺は素直に打ち明ける。


「うちの彼女と一緒にどっかでかける予定。あいつの誕生日がもうすぐなんだ」


 ひなの瞳に、少しばかりの動揺が見て取れる。

 だがすぐに、にこっ、と彼女は明るい笑みを浮かべる。


「じゃー、プレゼント買わないとですね!」


 ひなは、昨日の夜、俺に言った。

 これからも後輩でありつづけてよいかと。


 直接言葉で伝えたわけじゃないが、俺はあいつを振ったことになっている。

 向こうからすれば、俺は失恋相手。気まずい相手だろう。


 だがそれでも、彼女は普通に接してくれる。

 俺が気を使わないように、気を使ってくれているのだ。


「なぁ、ひな」

「なんです?」


「…………」


 気を使わなくていいんだぞ、というのは、彼女の覚悟を、踏みにじる行為だろう。


 彼女が好きだったと告ってきたのは、自分の中で踏ん切りをつけるためだ、と思う。


 ならば、話はこれでおしまいなんだ。

 蒸し返すほうが、かえって失礼に当たる。

 だから……俺は、彼女の望むとおり、先輩として接する。


「休み明けから、夏コミに向けて忙しくなる。俺一人じゃ手が足りなくなる。だから……頼りにしてるぜ?」


 ぽん、と俺はひなの肩をたたく。

 ひなは少しだけ寂しそうに笑った後、にこっと笑顔を俺にむける。


「はい! こちらこそ、よろしくお願いします!」


 これでいいんだ。

 これで、決着がついた。そういうことに、お互いしようと、無言でそう決めたのだった。


    ★


 バスがあっという間に、駅前に到着した。

 ここで解散となる。


 社員たちがぞろぞろとバスを降りていく。


「や、貴樹♡」


 アンナさんが俺の肩をたたく。


「帰りはあんま話せなかったねー」

「まあ、席離れてましたし」


 ひなが割って入ってくる。


「解散なんですから、ほら、帰ったらどうです?」

「……ええ、そうね」


 じっ、とアンナさんがひなを見つめる。

 顔を近づけて、耳元で言う。


「……未練たらたらなの、バレバレよ」

「!?」


 アンナさんが何かを言って、ひなはなぜか驚いていた。


「わ、わたしは……ち、ちが……」

「ま、ひなちゃんが邪魔しようがなにしようが、あたしは貴樹のこと諦める気ゼロだから♡」


 アンナさんは手を振って、去っていく。


「じゃーねー! また会社で!」


 アンナさんが俺から離れていく。

 男性社員たちがアンナさんにわっと近寄っていく。


「これから二次会どうっすか!?」「旅を振り返っての飲み会しましょうよ!」


 だがアンナさんは申し訳なさそうな顔で言う。


「ごめーん、今日疲れちゃって♡ また今度♡」

「「「そんなぁああああああああああああ!」」」


 アンナさんはこちらを振り返って、小さくウィンクする。

 また今度、とつぶやいて、去っていった。


「じゃ、俺も帰るよ。ひな、おまえ最寄駅一緒だろ?」


 ひなは、いつぞやの夜の公園で、真琴と俺が一緒にいた姿を目撃していたらしい。

 どうやら家が近所だったみたいだ。


 するとひなは微笑むと、首を振る。


「ありがたい申出ですけど、せんぱい。ほら、待ってますよ?」

「待ってる? ……あ」


 ひなが指さす先にいたのは、黒髪の美少女。

 バスケ部のジャージに身を包み、ボストンバッグを持っている……真琴だ。


 駅前のアトレの壁に背を預けて、周囲をきょろきょろとみている。


「あいつ……」

「迎えに来てくれたんじゃないですか? いいお嫁さんですね」

「……ああ、俺にゃ、もったいないくらいのな」


 真琴が俺に気付いて、笑顔で手を振ってきた。

 俺もまた手を挙げて、返事をする。


 ひなはそんな俺を見て、寂しそうに笑ったあと、うなずく。


「さぁほら! せんぱい行って! 待ってますよ!」


 ひなが俺の背中を押してくれる。

 俺はうなずいて、ひなに挨拶をする。


「悪い、またな」

「ええ、また!」


 俺は真琴の方へと向かって走り出す。


「……これで、いいんだ。これで……わたしは、せんぱいが好きだから」


 ひなが小さく、俺に聞こえないような声音で何かを言っていた。

 俺はまっすぐに、真琴の元へ向かう。


 彼女は人目を気にしてか、抱き着いてこなかった。


 ただ一言、笑顔と共に、俺に言う。


「おかえり!」


 久方ぶりの嫁の笑顔を見て、俺は途方もない安堵感に包まれながら、嫁に言う。


「おう、ただいま!」


 かくして、社員旅行は、色々あったけれど、無事終了して、嫁の元へと帰ってきたのだった。


 

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